奈落の底はくろい


審神者になどなりたくはなかった。
この世の大多数と同じように平凡に生きて死ぬつもりであったし、非日常など求めてはいない。
米国のブラックメンよりは信憑性があるという都市伝説の一つのような、審神者なんぞというヤクザな仕事には就く気はさらさらなかった。それなのに何故と問われれば、その他の選択肢を全て潰されたからに他ならない。

内定が決まっていた職場が『なくなっていた』。恋人の存在が『なくなっていた』。

歴史修正主義者というものに、審神者適正のデータが漏れているようだ。自分の周囲のものが消え去り、審神者の能力を無理やり起こされた為にそれを知覚出来てしまう。地獄だ。
政府はどこかで歴史修正主義者と繋がっているのかもしれない。結局は国の都合良く、己は与えられた仕事をこなしている。



最初に選ばされた刀は加州清光と名乗った。
かの有名な沖田総司の刀であると言うが、新撰組という組織の事は授業でなぞった程度の知識しかない。
その後に待ち構える平成の時代の大臣で教科書の10ページを消費したが、新撰組に関してはたぶん3ページくらいで済まされていたような気がする。百年前の日本どうなってんだ、歴史書に書けない戦争でもあったんじゃないかというのが昨今の研究者の定説である。余談。


加州清光を最初の刀に選んだ事は正解だったように思える。
若干面倒くさい性格をしているが、主には従順だ。二人っきり、だだっ広い本丸の中ではじまったレベル1の刀とレベル1の審神者の手探り作業はなんとか今も続き、加州清光はいまだレベル1のまま、俺の近侍を勤めている。




二番目に手に入れたのは短刀の秋田藤四郎だった。
人間でいえば中学生か、下手したら小学校高学年くらいの見た目をしている。ちょこまかと走り回っては一生懸命に仕えてくれる姿は荒んだ気持ちを幾分か穏やかにさせてくれた。
しかし、手探り運営の中で彼が破壊されたのは早かった。俺の采配が悪かったのは明らかで、審神者を止めようと覚悟するくらいには落ち込んだ。自分を主と慕ってくれた幼い子供を、己の不手際で殺したようなものだ。審神者をやめたらきっと、歴史修正主義者に文字通り修正されてしまうだろうとは理解していたが、それよりも絶望感が俺を襲った。生来、悲観的で臆病な癖に善良な生き物なのだ。俺というクズは。

ごめんよごめんよと布団の中で手を合わせ、ぐずぐず泣きながら荷物をまとめていると、加州の「新しいお仲間が来たよー」と軽い声が聞こえた。なんて呑気な奴だと、相変わらずぐずぐず泣きながら鍛刀室に向かう。つくりっぱなしで放置させるほうが、出会い初日で審神者退場よりもら可哀想だと思ったからだ。

「主様!申し訳ありませんでしたっ!」

秋田藤四郎が顔を青くしてそこにいた。

「また練度が下がってしまいました。申し訳ありません…!」

「俺らしかいないんだから無理すんなって言ったじゃん。ね、主。俺がちゃんと言い聞かせておくから怒らないでやってよ。こうやって帰ってきたあたり反省の色有りって事で」



ああそうだった。こいつらは人間ではなかった。




死んだ人間は戻らないが、人間ではないこいつらは戻ってくるのだ。
初めてそれを見て、自覚して、恐怖を覚えた。秋田のことも、ただの化け物にしか見えなくなってしまった。ここには化け物しかいないじゃないか。
しかし逃げる事は出来ない。逃げる場所がなくなってしまったからだ。不幸には不幸しか重ならない。

歴史修正主義者の影響により、現代の『俺』が存在しなくった。

淡々と報告を入れるこんのすけの言葉に、足元すら崩壊していった。恐ろしいことに、俺は存在しない人間に成り果てたのだという。
この本丸は歴史修正の影響を受けない特別な空間に存在している。そのため、ここにいる間は俺は俺で在りつづられるが、一歩外に出たら歴史の歪みが俺を消し去ってしまうというのだ。
笑えない冗談だと言えば、こんのすけは情もクソもない声で「冗談ではありません」と俺が存在していない証拠をつらつらと並べ立てた。
一体俺が何をしたというのだろうか。全て仕組まれたことのような気がする。政府の望みのままに、歴史修正主義者を倒していく。


秋田が破壊されて戻ってきた日から、清光を戦場には出さないようにした。
新たな刀剣男士を鍛刀し、戦場で拾ってきた刀に神を降ろす。何度も繰り返し、本丸は次第に賑やかになっていった。
みんなが俺を慕い、主と呼ぶ。しかし俺はただの人間だ。ただの悲観的で臆病で善良だけが取り柄の人間だ。
付喪神なんていう化け物に、心を許せるわけなどないだろう。

「ねえ主、どうして俺を戦場に出さないの?」

俺、使い難いけど頑張るよ?と口を尖らせる清光の頬を撫でる。

「お前には一番大事な仕事をしてもらっているんだよ」

「書類?そりゃあ、大事だけどさ」

「違う、そんなもんじゃない」

何度も折れて何度でも帰ってくる刀剣男士の中で、この清光だけは変わらない。変わっていない。初めて会った時と変わらない赤い眼を見つめて頬を撫でる。猫のように擦りついてくる姿がいとおしい。


「あれ?この前あげた耳飾りはしていないのか。気に入らなかった?」

「う…ごめん。ずっと付けてたんだけど、うっかり一緒に溶かされちゃった…」

「は?」

「あ"っ」


清光は隠していたテスト用紙でも見つけられた子供のような顔でうろたえていた。溶かされた?一緒に?なんのことだ。
理解してはいけないことが、理解できてしまっている気がした。核心を聞いてはいけないと何かが警報を鳴らす。

主は俺の練度、あげないだろ。拗ねたような、甘えたような、いつもの清光の声だ。



「鍛刀とかで来てさ、溶かされていく俺が可哀想だから、順番で主に愛されるんだ」

ばれちゃったと笑う顔は、一番最初の清光と同じだったのに。


「ぉえっぇえ…っ」
「主!?どうしたの、具合悪い?気持ち悪いの?大丈夫!?」

板張りの廊下には食べたばかりの昼食がぐちゃぐちゃになって落ちた。
見知った愛おしい顔がなにも見えなくなった。結局こいつも化け物だったのだ。おぞましいおそろしい誰かたすけてくれここは怖いたすけて、


「大丈夫だよ主、俺がずっとついてるからね!」


たすけて。


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