天の原に誓う

 紅が初めてきちんと王騎と会ったのは、新しい家に来て二十日目のことだった。肌触りのいい衣服を与えられ、養父に抱えられた彼女は歩兵たちの訓練風景を見せてもらい、「彼らもお前を救った人たちだ」と教えられた。
 それから馬で移動をし、大きな屋敷に入ると大きな男がそこに座っていた。
 穏やかな目つきをしていたが、子供でもわかるほど威圧感が漂っており、粗相をしてはいけないと自然と背筋が伸びるほどの人物。真っ赤な唇が印象的だった。
「先の戦で王騎様からお譲りいただいた子を連れてまいりました」
「ずいぶん見違えましたねェ」
 養父の言葉に王騎と呼ばれた大男の雰囲気がすこし和らいだので、紅はほっとした。そういえばあの日、涙で滲んだ視界に王騎が移っていたような気がした。
「名前は?」
「それがちゃんとした呼び名はなかったようで、この子自身から教えられるのは愛称のようなあだ名ばかりでして……」
「子息ならそういうこともなかったでしょうが、この年頃の娘なら仕方ありませんねェ……」
「はい、なので紅と名付けました。経緯はどうあれ、我が家にとっては今やこの子は太陽のような存在でして、子が増える ことは目出度い事。なれば祝いの《紅》にしようと妻と決めました」
なあ紅や、と養父に話しかけられたが、話が難しかったらしく、要領を得ない様子で紅はこっくりとうなずいた。
「良い名をもらいましたね、紅」
 王騎はそう言って首をかしげる紅に大きな手を伸ばすと、頭を優しく撫でた。幾年も戦場を駆け抜け、何人もの敵兵を屠ったその手は豆が何度もつぶれて硬く分厚い皮に覆われていたが、とても温かく『護られている』気持ちが胸いっぱいに広がった。
「父上」
「ん、どうした」
「王騎さまは紅のおんじん、ですか?」
「そうだ、大殿が見つけて下さらねばお前はここにおらん」
 大袈裟ですよと王騎は笑ったが、紅は大まじめな顔でふんふんと頷き自分を抱く養父の腕からするりと降り立って、王騎に向かって片手の握りこぶしをもう片方の手のひらで包み込み頭を軽く下げる。
 それは兄たちから習ったばかりの礼儀作法、王騎とは言わなかったが偉い人に出会って感謝を伝えることがあればこうしなさいと教えたのだが早くも彼女の役に立った。
「繋がった命、大事にしなさい」
 王騎はそう言うと目を細めた。それを見て、紅は頬を赤く染めて「はい!」と大きすぎる声で返事をした。
 それから、紅は先ほどみた歩兵たちのようにしゃんと背筋を伸ばして、こう言った。
「わたしは、王騎さまのおやくに立てるしょーになります」
養父は目を丸くして「お前何を」と言いかけたが、王騎が手で制した。紅は興奮した面持ちで言葉を続ける。
「王騎さまのようにつよくなりたいです」
「そうですか、紅は将軍になりたいですか?」
「はい、女でもなれますか?」
「……ええ、なれますよォ、頑張り次第ではありますが」
 摎の戦う姿を思い浮かべながら王騎はその言葉を肯定した。彼女のような戦神になれるかはわからないが、少なくとも戦で失うことの痛みを知っている紅だ。薄っぺらい理由ではなくそれなりにきちんとした理由で戦場に立ってもおかしくはないだろう。
 つらい過去は時に強い原動力となる。それだけでは勿論すぐ壊れてしまうが、養父となった目の前の男や家族からはかなり愛情を注いでもらっていることが衣服や拱手をした様子から伺える。
 嫁げば命をすり減らす危険からは少なくとも逃れられる可能性は高くなる。だが、己の背中を見て前に進もうという童がいるのなら、自分がそれを否定するのはおかしいだろうと王騎は思った。
「たくさん努力をしなさい、私は待ちません。早く追いつきなさい、紅」
 王騎は待たない、自分は前に進み続けなければならない。昭王がこの世にいる限りは彼のそばで戦い続けたいから。
 ある意味紅にとっては残酷なことだが、王騎の事情を知る由もない。恩人でもある天下の大将軍に直接檄を飛ばされ、大興奮といったところだ。
「すぐにおいつきます!」
「ココココ、威勢のいい子ですねェ」
「すみません、どうにもお転婆が過ぎるようで」
「先に言っておきますが、嘘は言っていませんからね、彼女が本気だったらとっとと諦めて戦に出しなさい。貴方か息子の隊には入れてやれば幾ばくかは安心でしょう」
「そうならないことを祈りますが……そう致します」
 養父は苦笑いを浮かべたが、彼の不安は的中し翌日から紅が武術を教えてほしいと言い出すことになる。

「わたし、王騎さまのあの大きな大きな背中をおいかけたいです!」
 そう言いながら紅はぶんと振り回した木剣を義兄の金的にぶつけた。
 泡を吹く上の息子を見ながら、養父はさすがに少し、ほんの少しだけ王騎のことを恨んだのだった。