海辺の変質者
この日も、
いつもと変わらず過ごしていた。
昼過ぎに起きて、仕事に行って、
好きなことをして、寝る。
この日と言わず
今までがずっとそうだ。
楽しそう。格好良さげ。そんな不純な動機でライブハウスの裏方仕事を始めてから数年経ち、そこへ来る人達から色んな楽器を教えてもらったけど、そんな軽い理由で初めたものが身に付く訳もなく、どれも音が出せるというだけのお遊び程度にしかならなかった。
今は望んだ通りにやりたかった事は実現して、趣味も仕事も楽しいし語り合える友達もいる。何も不自由していないし、とても恵まれていると思う。
ただ漠然と、毎日が同じでつまらないなぁと感じていた。近頃では世界が鉛色に見えて、充分幸せな筈なのに、そう思ってしまう欲張りな自分が少し憂鬱で。
それでも自分ではどうする事もできずに、ただ同じ生活サイクルを繰り返している。
ステージのキャンセルが相次いでたまたま早く上がれた今日も、着替えもせずにベッドに飛び込んで特に目的もなく携帯を見たり、部屋の天井を眺めたりしながらその事を考えていた。
時計はまだ夜の八時過ぎ
寝るには少し早すぎる。
物思いにふける時は決まってギターを弾きたくなるけど、アパートでは弾けないので、家から二十分程行ったところにある、お気に入りの海浜公園へ行く事にした。
好きな人ができた時
初めての彼氏ができた時
友達と喧嘩した時
独りになった時
昔からずっと
色んな思いで海を眺めてきた。
私の大好きな場所だ。
そんな大事な場所に、最近不審者が出ると親友が教えてくれた。なんでも後ろから忍び寄ってきて抱き締めてくるのだという。
言われてみれば、たむろしていた高校生も最近見てないし、犬の散歩も入口の前を通るだけで中には入っていく様子はなかった。
ゲートの手前の販売機で買ったジュースを飲みながら見渡してみると、敷地内の街灯が照らす砂浜に人の影は見えない。
「絶対出ませんように」
私の大事なひとときを変質者なんかに邪魔されてたまるかと独り言を呟き、ゴミ箱に空き缶を投げ入れて砂浜をサクサクと歩き出した。
波打ち際が見えるギリギリの所でもう一度周囲を見渡して、誰もいないことを確認してからあぐらをかいて座り、大きく息を吸い込んで大きな溜め息をついた。
星空と綺麗な月。
浜辺を照らす夜の街灯。
少し怖い真っ黒な海と、
それに似合わない波の音。
楽しい時も幸せな時も、私には同じこの景色が見えていたはずなのになぁ
こんな風に考え出したのがキッカケで手を出してしまった煙草に火をつけると、この場所がくれる雰囲気にのまれていくのが解った。
こんな事はとっても小さい事でなんて事ないんだ。明日から少しでも違うことをしよう。変化を望むなら自分が変われば早いじゃないか。
「もう…いっかー」
ギターを取り出して
なんとなく指を遊ばせて
好きな歌を小さく口ずさむ。
Calling Calling
すると自分の声が響いて、所々を波音がかき消して。モヤモヤとした気持ちが全部飛んでくような気がした。
夢中になっていた私は、自分を取り巻くそのものがこの時を境に渦巻き始めていたなんて知る由もなく、ただぼーっと、適当なかき鳴らしメドレーを呑気に歌い続けていた。
「ねみぃな…戻るか」
歌が聞こえてきたのは、酒瓶片手にぶらぶらと船に向かって歩いている時だった。
こんな時間に女の声が聴こえるものだから今夜は相当飲みすぎたのかとも思ったが、確実に誰かが居ると、その声の主を探して自然と動き出していた。
…こんな時間に不用心だな
村の明かりは既に消えているというのに、そこには妙な雰囲気の女が一人、ギターを弾きながら歌を唄っていた。
その歌声とは裏腹に、加え煙草にあぐらまでかいている。不思議な出で立ちとこの奇妙さが何故か気にかかり、彼女から目を離す事ができないでいた。
全く気がつかないのをいい事に、自分もあぐらをかいて座り、もう少し聴いていようかとしばらく眺めていたが、いつまでもこんな所に女を一人で居座らせる訳にもいかない。
どこが一区切りなんだか解らない自由な音楽を聴きながら、一瞬の隙を見つけてやっと声を掛けた。
「おい」
「え?」
急に飛んできた声にビクっとして体ごと振り替えると、誰もいなかったはずの砂浜に、しかもこんなに真後ろに。いつのまに変なおじさんがあぐらをかいて座っていた。
「お゙あ゙ぁっ!?!!」
でたーーーーーー!!!!
だっ…抱き締められる!!!!
心臓が爆発してあまりの衝撃に女とは思えない程へんな声がでてしまった。遂に出くわしてしまった。変質者だ。
せっかく不審者が出るから気を付けろって、あれほど忠告してくれてたのに!馬鹿野郎!私の馬鹿野郎!
「すまねえ、驚かしたな」
何がすまないだ。
こっちは完全なる無防備な上に戦えそうな武器なんてギターとライターくらいしか持ち合わせていないってのに。
それにこの男、よく見たらマントなんかしてるし、あろうことか剣のような物まで腰につけている。どうしよう新種の不審者じゃないか。
ギターとライターで、一体どうやって立ち向かえと言うんだ。
奇声をあげてあるもの投げつけて、
怯んだ隙に逃げれば
駄目だ駄目だ。
このギター結構高かった。
いや、でも命に変わる物なんてないんだから、ここはギターでも燃やして大きな松明で殴りかかり、そして怯んだ隙に走れば、や。よく見ろ足元には砂があるんだ、わざわざギターを燃やさなくてもこの砂を撒き散らしてまず目を潰して悶絶している間に
「おい、大丈夫か?」
人間パニックに陥るとよく解らない発想をしてしまうようで、持ち合わせのアイテムで武器を作る方法を考えていたら結局どの方法も最後は走って逃げるという共通点がある事に気がつくのに、脳内では無数の武器が出来上がっていた。
よし、
荷物かき集めてダッシュで逃げよう。
さん、に、いちで、
…いちで…違う違う。
荷物はいつ集めんだよ
さんで用意、にで集める、
いちでダッシュだ
「…さん…にっ、あっ…」
間違えたー
間違えたー
違う違う
2で集めるんだ
「別に何もしないが……聞いてるか?」
もういいや今だ
321
私は意を決して作戦を実行した。脳内のリハーサル通り、さんで心の用意をし、にで必死に集めた。
ところがギターがあまりにもお荷物で。鞄やら大事な譜面やら、 ありったけ抱えた荷物が、鍵を閉め忘れたまま先生さようならをした時の如く、滝のように滑り落ちていくのがスローモーションに見える。
「あああ」
もうだめだ
私は不審者に刺されて死ぬんだ
やられて山中に捨てられるんだ
頭の中が真っ白になり、変なポーズで硬直したまま動けなくなってしまっていた、その時だった。
「だーっはっはっは!!ヒッヒッヒ!!!」
急に目の前の不審者が腹を抱えて大爆笑しだしたのだ。大の大人が砂浜でゴロゴロと転がり笑っている姿に驚いて開いた口が塞がらない。
「だから落ち着けって!何もしねえよ 」
失礼な奴だ。誰のせいでこんな目に。 何もしないなら声をかけなきゃいいのに。
「こんな時間に女が一人でいるなんて危ないだろ 、早く帰った方がいいんじゃないか?」
腹を抱えて笑い転げていた彼は気が済んだのか、仮装のような格好はともかく変質者とは断定し難い言葉を口にした。 危害を加えようとはしていない様で、近所の散歩のおじさんがかけてくる言葉と同じ台詞を言ってくる。
…意外と普通の人…?
彼の一言に生命の危機は脱したのかと警戒心が緩んだ。急に馬鹿笑いをされたら当たり前かもしれない。
緊張感から少しづつ開放されて余裕が生まれたのか、何故だか急に違和感を感じて周りの風景が気になり始めていた。
あの辺って自販機……あれ?
「どうした?」
質問を無視してキョロキョロ見渡すユメを、次はこの男が不振に思い始めていた。
「…階段…電灯が…ない」
海浜公園のゲートにあった階段、まばらにあった電灯が無い。
「あー…俺の記憶が正しかったら最初から無かった筈だが」
最初からない?そんなわけない。私は販売機でジュース買って、階段降りて此処へ来たんだから。
でも、迷子を諭すような顔で見てくるこの男は、到底嘘をついてるようには見えない。
…おかしい。
…ココはどこなんだ。
「なんだ家出か?」
「そんなんじゃ……あの、ここ…私がさっきまで居た所と似てるけど違うんです」
あからさまに困った表情になっていくその男はどう見ても西洋風な格好をしていて、なんだかこの見慣れぬ風景によく合っている気がしてくる。いや、どちらかというと自分の方がこの場に似合わないような気が。
私がどこかへ
…来てしまったんだろうか。
「ここ日本ですよね」
「ニホン?残念だが聞かねえ島だ」
呼び止める声を無視して入り口があった辺りまで走った。やっぱりだ、階段が無い。自販機も無い。
それどころかゲートの向こうにあったアスファルトの道路すら無く、側に隣接したマンションや団地さえも無くなっていた。
「どうしよう」
まるで、
知らない世界だった。
「神隠しにでもあったか」
ここがどこか違う世界である事が明白になってしまった。訳の解らない事態に興奮してきて顔に血が登ってくる。
息を切らして座り込んでしまった私を落ち着かせようと、追いかけてきた男は声をかけた。
「名前はなんてんだ」
「ユメです」
「俺はシャンクス」
シャンクス。
横文字の名前がある国だなんて、
私は一体どこへ飛んできたんだ。
「名前も違う」
「珍しいのか?」
「はい…あの、シャンクスさん」
「シャンクスでいい。とりあえずアレ拾うか」
そう言われて思い出したように砂浜を見ると、さっき自分がばらまいたギターやバッグが無惨に広がっているのがぼんやり見えた。
「あー…そうですよね」
混乱で頭がフワフワして中々立ち上がれない私を、見かねたシャンクスさんが手を貸してくれた。
髪、赤いんだ
外人さんかな…?
初めて彼を間近で見て、少し衝撃だった。混乱のピークが去ってやっと他のことを考える余地ができたとはいえ、あまり見かける事のない赤い髪や、意外に紳士的なその態度は別の意味で胸を高鳴らせた。
整った顔に無精髭、大 人の男の色気が漂っている。よく見れば西洋風の出で立ちも彼によく似合っているような気もする。みんなこういう時に一目惚れしてるんだろうな、と深い意味もなくそう思った。
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