この好奇心に勝るものを
知らない
「ユメ?」
「…あっごめんなさい…ありが」
顔を覗きこまれて、思ったより長い間見つめてしまっていた事に気が付く。
ぼんやりしてしまった事に対する謝罪と、手を貸してもらった御礼を言うために口を開こうとすると、目前に迫ってきた顔がとんでもない事を口走った。
「何みとれてんだ」
「はぁぁ…!?違いますー!」
たとえ図星だったとしても
突然あんな言い方をされたら誰だって全力で否定するに決まってる。
恥ずかしさでいたたまれなくなり、猛ダッシュで荷物へ駆け寄ると、さっきは発揮できなかったスピードで荷物をまとめ上げた。
「図星か」
「違うってば!」
ムキになった勢いで荷物を地面に叩きつけてしまい、せっかく拾った荷物はまた足元に散らかった。
「ああっもう…くそっ」
なんなんだこいつは?
緊急事態で涙目になるほど取り乱していた筈が、この人のペースに巻き込まれていく事でほんの少しどうでもいいように感じてきてしまう。
自分のもといた場所からいつの間に知らない所に飛んだなんてのは大問題で、考えなければいけない事はたくさんあるのに。
何故、
一歩も動いていないのに
違う場所にいるのかとか。
ここは何処なのかとか。
どうやって帰るかとか…。
人の非常事態にこの顔でからかうような事を言って邪魔するからタチが悪い。冷静になろうと言い聞かせつつも、きょとんとしているこの男にイライラがおさまらなかった。
◇
面白い女だ。人を見つめ倒したかと思えば全力疾走で逃亡。もう一度からかってみればせっかく集めた荷物を投げつけて、また散らかした。
それが不本意だったのか
“やってしまった”と言わんばかりの
暴言を吐き捨てて再び片付けだす。
カバンの口を一杯に広げ、無理矢理ぎゅうぎゅうと押し込む様子はカバンの悲鳴でも聞こえてきそうなほど乱暴だ。
そして他人の手など借りるまいと言うような早さで全てを拾い終え、まるで暴漢にでもあったかのような目でこちらを睨み付けてくる。
「おいおい。そんな目で見るなよ」
「ほっといて下さい」
「…ほっとかれたら困るんじゃないか?」
急にしおらしくなったのが面白くてまた笑いが込み上げてくる。ついてくるのを背中ごしに感じながら、船までの距離をゆっくりと歩き始めた。
◇
歩く速度と同じ早さで流れる景色。
ジュースや煙草の販売機
入口の向こうの信号
不法投棄のバイク
自転車のタイヤ
あったはずのそれらは全て、南国のヤシの木やココナッツのような木に姿を変えていた。
視界に入る全ての物が知らない世界という現実を絶え間なく突きつけてくる。
…知らない世界かぁ
馴染みのない風景に驚きを感じるし混乱こそしたが、自分に起きていることを整理していくと特に絶望しているわけでもなかった。
現状を把握するためにフル回転させた脳は「恐らく異世界に来ている」と判断し、ならばどうするのかという部分の発想を180度転換させる。
こんな状況に陥っておきながらどこか期待に胸ふくらませている私は「どうしたら戻れるか」より 「今いるこの世界でどうしたらいいか」を考え始めていた。
もと居た世界が嫌いな訳じゃないし友達に執着がない訳でもない。ただなんの変哲もなく繰り返される毎日にうんざりしていた私の前に、今こうしてその隙間を埋めてくれそうな出来事が起こっている。
この好奇心に勝るものを
私は知らない。
ふと、前を歩くシャンクスの背中に視線を戻してみる。不審者や変質者の類いかと思っていたけど、どうもそんな感じではなさそうだ。
何やら私に起きている事を大体把握している感じや、それでも冷静で余裕のある所あたり一体何者なんだと思ってしまうけど、なんだか気遣われている気もするし親切な人なんだと思う。
少々イラっとする事もあったが、
きっとあんなに砂浜を転げ回って大笑いする大人に悪い人なんていないだろうと思ってしまっている。
その根拠は一体どこからくるんだと考え込んでいると、目の前に現れた幻想的な光景に足が止まった。
呼吸をやめてしまう程の驚き。
そしてその信じられない程大きなアンティークに、私は思わず息を呑んだ。
「なにこれ…すごい…」
そこには大きな船があった。
おどろおどろしい。
美しい。
その紙一重な存在感。
幻想的な様式の船に灯る電球が間隔もまばらに吊るされ、満天の星空とあいまってキラキラと暖かい光を溢す。現世の派手なイルミネーションなんかより、遥かに魅力的に見えた。
そしてその船からは賑やかで楽しそうな人の声がいくつも聞こえてくる。
見たこともない奇跡の創造物と、それに調和した夜の海にうっとりと溜め息まで出てしまう。
その光景の美しさといったら、考え事や自分の置かれた状況、取り巻く全てを忘れてしまう程だった。
◇
「どうした?」
困惑気味に周囲を見回すユメと同じ速度で足を進めていたが、船が視界に入った途端にやんだ足音に、やはり海賊船を見て恐怖心が芽生えたのかと振り返った時だった。
「綺麗」
見上げたまま立ち尽くすユメが独り言のように呟いたのが、やけに響いて聞こえる。
人間は人生が変わるほどの感銘を受けた時こんな表情をするのか。彼女の人生が今まさに変わろうとしているのかどうかは解らないが、それぐらい大きな衝撃を受けている事には間違い無さそうだ。
いきなり他所の世界に来て困惑しているだろうに、そんな事も忘れて自分の海賊船を綺麗だと言ってみとれているユメに、思わず目を細めた。
「海賊船に魅とれるなんて物好きだな」
どれだけ眺めても飽きることないそれを、吸い込まれるように見つめ続けて陶酔状態になった頭の中にぼんやり男の声が流れた。
海賊船ー…
へー海賊船なんだ!
はるか頭上には本や映画でよく見たドクロマークがはためいている。
恋人達がクリスマスなんかに乗るちょっとクラシックな遊覧船か何かだと思っていた私は、その正体がそんな平和で明るいものではない事を知ると興奮が一気に青ざめていくのがわかった。
「海賊…これ海賊船…ですか??!本物なんですか?!」
大声で驚いてしまったがこれはマズいと思い、だんだん小声に変えると、大きな笑い声がそれをかき消していった。
「そんなにびびるなよ、俺がこの船の頭だ」
「静かにしてよ!……え?かしら??……シャンクスは…船長…?」
なんだか今
身体の中でとんでもなくでかい
爆発音がした気がする。
絵本や映画でしか見た事のなかったその存在。今では「昔は居たらしい」というレベルの話なのにそれが今私の目の前にあって、多分助けてくれたのであろうこの人が、俺が船長だとか言っている。
異次元に来てしまったかもしれない
どんな世界か解らない
得体のしれないおっさんに出会った
そのおっさんが話を聞いてくれるので
今のところ唯一の頼り。
ところがそのおっさんは海賊。
私は一体
どこに驚いてるんだろう?
驚く要素がありすぎて解らなくなりそうだ。でもシャンクスが海賊なんて言うから、私の思い浮かべた極悪非道な奴なんかではないんだと変に安心してしまって、少しずつ感動が込み上げてくる。
時代をさかのぼって消えた歴史を見ているような気がするからなのだろうか。
シャンクスはわざとらしく紳士なフリをして見せるとお辞儀をひとつ、フリーズしたままの私に手を差し出した。
「まぁ上がれよ、レッド・フォース号へようこそ」
手を引かれて足を着くと、
床が静かに ギィ と音をたてる。
宴の声がより近くなったのが解った。
船の高さのせいか心地よかった夜風に寒気がする。さっきまであったワクワクは、ちょっと待てと働く理性のように、急に訪れた不安によって浸食されはじめていた。
急に知らない世界に放り出された私にとってシャンクスのような人に最初に出会えたのは不幸中の幸いかも知れない。
でも記憶に間違いがなければ海賊って誘拐とか人を殺したりもするはずだ。
シャンクスだって本当はどんな人なのか解らないし、気が変わるかも知れないし、何か企んでいるかも知れない。売られるかもしれないし殺される事だってあるかもしれない。
うかつに
付いてくるんじゃなかった
もう少し様子を見ればよかった。
今はいい人でもその後どうなるか誰もわからないし、シャンクスがいい人でもこの船の乗組員全部がそうとも限らない。
「そう怖がるな。誰も何もしやしねぇ」
シャンクスは真面目な顔して自分の掛けていたマントを私の肩に掛けてくれた。
「状況確認と今後を話すだけだ」
さっきと様子の違ったユメをシャンクスは見逃してはいなかった。
未開の地に足を踏み入れたのだから無理はない。一体この先どんな罠が待ち構えているのかと警戒しているように見える。俺と居れば安全だと言ってやりたいが、今は簡単に信用しないだろうし下手に喋ればかえって不安を煽りそうだ。
「今から副船長に会わせる。三人で話すけどいいか」
小刻みに頷いたユメを連れて
シャンクスはゆっくりと歩き出した。
「ベン」
シャンクスはその男の事を確かにそう呼んだ。背の高い真っ黒な髪の男が、くわえ煙草で表情ひとつ変えずに私を見る。
その威圧感に体が固まっていく。これから先どんな人なのか解らない人に次々と会っていくのかと思うと、いっその事みんなシャンクスだったらいいのにと思った。
「…次は人さらいか」
ベンという男の声は落ち着きのある穏やかなもので、呆れたような話し方でも言葉に刺は感じられず、こんな事にもこなれた様な感じだ。
シャンクスはそんなに破天荒な人なのかな?とこの人の対応を見て思ってしまった。
私達は副船長さんを引き連れて小さな部屋に入った。学校の保健室にありそうな器具と物理室の薬品をありったけ並べた様な部屋で、消毒液のような匂いが微かに漂っている。
促されるままベッドに座ると、 机の側にあった丸椅子を寄せてシャンクスが向かいに座った。
「何があったか話せるか」
話して、
解るんだろうか。
大きく息を吸い込んで。
私は羽織った
マントの端を握りしめた。
「仕事が終わって家に帰ったらまだ8時くらいだったから、ギターでも弾こうと思って海浜公園に来たんです。近所にある海で前から何度も来てるんですけど。そこでボーッとしたり、歌ったりしてたら急に声を掛けられました。友達が、最近変質者が出るって言ってたから、てっきりそうなのかと思って逃げようとしたんですけど。そのー、大笑いされて。…それがシャンクスさんでした」
「ハッハッハ!お頭が変質者か!」
壁にもたれて話を聞いていた副船長さんが背中を丸めて大笑いしだしたので、正直に話しすぎて失礼な事を言ってしまったのではと急いで弁解をした。
「あ!違う違うんです、今は変質者とは思ってなくて…出るよーって聞いてたから、ついそうなのかと…」
弁解して謝るつもりがシャンクスまで豪快に笑い始めてしまい、辛気臭い雰囲気が一気に飛んでいってしまった。
「とりあえず、ここは日本じゃないんですよね?」
そこからは共通点と間違い探しが始まった。
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