ふらりと入ったバーのカウンターで、
記憶が飛ぶ寸前のところまで飲みふけっていた。


浴びる様に飲んで溺れかけていたから、全ての喧騒を静めて店の空気を塗り替えた一団がいた事以外は何も覚えていない。その集団がどんな人達だったか、なんのジャズだったか、店主と何を話したかは一切記憶になかった。


そんな事はお構い無し。違う次元で酒を煽り続けるうちに睡魔に襲われて、こくりこくりと揺れる私を支えて静かに飲んでいる人の存在に気が付いてゆっくりと斜め左を見上げれば、浅いグラスの淵を鷲掴んで酒を飲む男が、ゴクリと喉を鳴らしたところだった。



「肩だけのつもりだったんだがな」



目を細めて顔を傾けた男の甘い低音が脳を揺さぶる。恐らく初めは肩を借りていたんだろうけれど、それが今や額は胸板にくっつき、腰に回された手が背中を支えている。これじゃあ居心地良くて目覚めないのも納得がいく。


グラスを打つ氷の音、
甘ったるさに夢うつつ。

そのままでいたいと思った私は、少しいつもと違う人間だったに違いない。跳ねのく事も侘びを入れて慌てる事もせず、ただその男の目に囚われて、持て余していた右手を伸ばした。


グラスを持ったままの男の手が、腕が、頬を撫でながらすり抜けて、さざなみの様に緩やかな速度で首ごとさらわれて、初めて唇が重なった。

アルコールの残った唇はどくどくと脈打ち、膨らみを楽しむ様に食むその隙間から滑り込んだ熱い舌に意識は奪われ、溶けてしまうと思わず呟いた耳元で、揺れる氷の音を聞いていた。





朝方カウンターで目を覚まし、とんでもない夢を見たもんだと項垂れて、店主が置いてくれた水を眺めていた。

一体いくつの氷が溶けたのか、グラスは露だらけで、下に敷かれたコースターまで輪郭をなぞるように濡れていた。


溜息ばかりこぼしていた私は、そのグラスの境目に青いインクが滲んでいる事に気が付いて、慌ててグラスをどければ、そこには店のロゴに良く合う筆跡で彼の名前が書かれていた。



「…マルコ」



その文字を口に出せば、実在した喜びに夢だと思っていた記憶の時間が再び動き始めたような気がした。



「マスター、隣の男の人は」


「白ひげさんとこの隊長さんだ。あとほら」



驚く間もなく目の前に置かれた一粒のチョコレートの意味を考えながら首を傾げれば、グラスを拭いていた店主が、ちらりとまた視線をくれる。



「あんたも貰ったんだろ?そう言ってたけど」



三角の銀紙の包みから飛び出した白い紙には、薄いブルーで kiss の印字が並んでいた。


恐らく店主は、私があの人に何か菓子でもくれてやったお返しだと思ったに違いない。
律儀な海賊さんだねぇと呟いて仕事に戻る背中はきっと普段と同じ朝方の姿で、南国のバカンスでハメを外した後のような世界に、一人だけ取り残された私は未だ普段通りに戻れずにいた。



朝焼けの街はサンセットビーチさながら橙色、甘い香りは花飾り。店の木戸は、潮騒の様に優しく揺れて耳に残る氷の音に成り代わる。



いつかまた会えやしないだろうかと、通いつめてしまうであろうその中毒性は、この一粒に少しだけ似ている。
濃い口溶けに一度きりの口付けをいつまでも重ね、取り留めも無く街を行く私の目には、どこまでも続く白い砂浜と、波打ち際が広がっていた。






たった一粒が落とした
忘られぬ熱と 広がる波紋
いつか私をさらって欲しいと
誘拐願望はささやき続ける

もはや世界を塗り替えられた私には
生まれた町の景色は映らない


唇は貴方を待ち焦がれ
明日への期待に夢を見る

この氷が溶ける頃には
恐らく、きっと



-既に君は、私の全て
-潮騒のカイピロスカ




春卵様へ。
管理人同士盛り上がって共通お題で1本
【そこにチョコレートがあったとして】

オル::Kissチョコ
春卵::カカオ86%チョコ

相互記念の頂き物:春卵様ver.コチラ→paradox86::シャンクス

 


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