流れる風が優しく頬を撫で、自然豊かな香りが風とともに舞う。色鮮やかな緑が映える季節となり、古びた眼鏡をしていてもその色味は変わらず、目の前に広がる山々の木々を見つめた。
「ほあ……大きい山。綺麗だねぇ」
「そうだね。でも山よりも名前の方が綺麗だよ」
「なっ?!なに、突然……」
「誘惑術師は化粧が映えるなと思っただけだよ」
「夏油ってそういう所あるよねホント…」
「こら。呼び方、気をつけて」
「わかったよ……………傑」
「よく出来ました」
胡散臭さが漂いつつも、人々を魅了させてしまいそうな仏スマイルを見せる夏油――もとい傑は、私の手を取って太く厚みのある指を絡ませる。いつもと違う感覚に思わず身体が反応した。
「ちょっ……そこまでしなくても、」
「設定は仲睦まじい若夫婦。しかし、中々子供が出来ず藁にもすがる思いで座敷童子に会いに来た、って設定なんだから」
「私達まだ高校生なのに……めちゃくちゃじゃない?信じるかな?」
「私は成人に見間違えられる事は多いから問題ないさ。名前も今日は一層大人びて見えるよ」
「だとしてもさぁ……」
「それに、この案件は特級の可能性が高い。他に頼む術師が居ないんだよ」
ゴツゴツした手はすっぽり私の手を覆い、少し暖かい彼の固い指の腹が手の甲を撫でる。
確かに、大人びていて、特級となれば夏油。それから――
「悟、怒ってなかったかい」
「一応事情は話した。不機嫌だったけど……しょうがないし」
「私からもメールしておいたんだけどね。ま、悟に怒られない程度に済ませよう」
胡麻団子が有名だって駅で見たから、任務が終わったら買って帰ろうか。と、五条の機嫌を少しでも宥めようと考える夏油だが、彼は依然と手を繋げたまま目的地へ足を進めた。
――特級は、三人居る。
一人はよく分からないけれど、成人した女性らしい。なのに任務を全く受けず、海外をふらふらしていると噂程度に聞いたことがある。
そして残る二人は、今回私の夫役を任された同級生の夏油。それから――同級生で本物の恋人である五条。そう、夫婦役であれば正真正銘恋人である五条で良いはず。しかし今回、特級案件に加えて呪詛師が関わってる可能性が浮上した。呪術界で有名な五条悟が任務に当たれば、祓除を企んでいるこちらの意図は丸見えだ。そこで、代わりに夏油が任務に向かい、親密さを出すには近しい人間が良いとの事で、異性かつ同級生の私が相手役となった。硝子の方が大人びているけれど、呪詛師が関わっているとなれば動ける私の方が適任と考えたのだろう。
出来るだけ呪術師とバレないように、私の瞳は以前使用していた呪力を封じる眼鏡をかけ、彼の腕には呪力を押さえる数珠のブレスレットをつけている。
夏油とは三年生になって任務も被らないし、日常的に関わることも無くなってしまった。しかし以前告白された事もあり、断ったとはいえ夫婦を演じるのだから、一応五条にも伝えておこうと海外任務へ出かけた彼に昨日、電話をかけたのだが――……。
「はああ?!夫婦役って、なんで傑となんだよ!」
予想はしていたが、不満爆発お怒り状態。上記の理由で彼が選ばれなかった事を伝え、私が適任であると上層部が決めた事、別にやらないで済むのであれば私はやりたくないと伝えたのだが、彼のイライラはおさまらないようで。
「……つーかお前に夫婦役なんて務まるわけねーじゃん」
「なんでよ」
「結婚した女に見えねーつってんの。しかも子宝を求めて行くだぁ?お前みたいなちんちくりん、子供産む年じゃねーガキだって、見た目で分かるんだっつうの」
「そこは大人に見られるようにメイクするから問題ないもん」
「ハッ、お前のブス顔がメイクで直るわけねーだろ」
「はあああ?〜〜っ五条のバカ!!」
そんなこんなで苛立ちがピークに達した私は話の途中で電話を切った。以前もブスとかガキだとか言われた事あったけど、最近はめっきりで久しぶりの喧嘩状態。
しかし今朝彼から「怪我すんなよ」と、気遣う短いメッセージが届いていた。私だって怒るつもりも、喧嘩するつもりも無い。ただ夫婦役をやる事になっても、好きなのは五条だけだから安心して。と当たり前の事を伝えたかっただけなのに。
返信に「悟も気をつけて。早く会いたい」とメールだからこそ甘えられる言葉を添えて送れば「今週末に帰るから、予定入れんな」と受け入れてくれたようだから、私達は恋人として少し成長できたのかもしれない。
それに今回任務を任されたく無かったのは本当で、恋人である五条の事は好きだけれど、結婚だ、子供だ、なんて現実問題自分とはかけ離れた話だと思っている。望んだとしても私には叶わないもの。だからそれが偽りの役だったとしても、出来ればやりたくはなかった。
それでも上層部から指名された任務を断るわけにはいかないし、夏油のサポートとなれば、今まで助けてもらった分、恩返ししたい。
モヤモヤしている悩みだって、前に告白されたからって私が気まずいと勝手に思っているだけ。夏油ももう私に対してただの友人であり、同級生としか思っていないはずだ。
今回の任務先は山奥にある、知る人ぞ知る座敷童子の住む旅館。予約するにも特別なルートで予約しなければ泊まれないらしく、そして座敷童子に会えるのも確約ではない。旅館は一日二組までしか泊まれず、いつどの部屋に座敷童子が来るかも謎だという。会えずにただ宿泊して終わった者も居れば、座敷童子に会い、願いが叶って大企業の社長になった人もいる。しかし、その座敷童子の住む旅館で奇妙な出来事が起こりはじめた。
ここ半年、この旅館に泊まったと言われている人物で、不審な死を遂げた者が何名もいる。最初は不審死としてニュースでも報道されていたが、この旅館が立っている山奥で似た死体が次々に見つかるとともに、関連性があると警察は公表をやめた。どうやら犯人である人物は旅館の関係者だと目星をつけたようで、聞き込みの様子だとどうもクロに近い、らしい。しかし現実離れしている事件の為、ワケアリ死体専門鑑定でもある呪術界へ依頼がやってきたのだ。
「本当に呪霊が関わってる確証はあるの?ただの連続殺人の可能性もあるんじゃない?」
「不審死といっても、人には成せない殺人なんだ」
「……どういうこと?」
「内臓が無いのさ、一部だけね」
一見、なんの変転もなくただ自然に死んだ遺体のようだが、死体の解剖をして皆が驚いた。なんせ複数の遺体からそれぞれ一部が綺麗に取り除かれているからだ。今まで見つからなかった遺体の一部は胃、小腸、大腸、胆嚢、膀胱、三焦、肝臓、腎臓、脾臓。そんなマジシャンみたいな事が出来るのは、不思議な力を持った者だけ。
「呪詛師の可能性もあるし、座敷童子――この存在が呪霊の可能性もある」
「もしかして人間の部位が無くなってる事に、何か目的があるってこと……?」
「ああ。私達がやる事は犯人の目処と、これ以上の被害が出ないようにすることさ」
少し入り組んだ山道を登り、山奥にある旅館。外見こそは錆や苔が目立つが、音を立てて開く扉を開けると、内装は掃除が行き届いており、古びていても綺麗な田舎のお家みたいだ。辺りを見渡す中、廊下の奥から人が小走りでやってくる。
「お待ちしておりました、夏油様ですね」
「どうも、よろしくお願いします」
三十代半ばだろうか、落ち着きのある女性が着物姿で出迎えてくれた。見た感じ、若女将かな。お辞儀をして挨拶すると、私達を見るや否や少し驚いた表情をする。
「随分とお若いですね。特に奥様……流石二十歳」
「え、ええ…はい」
偽造した年齢は、この旅館を予約する際に年齢確認が必要の為、伝えてある。絶対ツッコまれると思ってたけど初手の初手できたな……!思わず苦笑いを向ける。
バレるかと不安に思っていたけれど、硝子にメイクと洋服のチョイス、そして髪型をアップスタイルにしてもらったおかげでなんとか誤魔化せたみたいだ。硝子ありがとうっ。
「目的は……座敷童子ですよね、若くして起業ですか?」
「えぇ。確かに事業が上手く軌道に乗るように、という願いもありますが、結婚して二年目なのに未だ子宝に恵まれず……。まだ焦らなくても良いんでしょうが、不安が募ってしまい座敷童子の力を借りたいと思ってきたんです」
「そう、だったんですね……」
若女将さんは聞いてはいけない事を聞いてしまったと思い込んだようで、申し訳なさそうに、すみませんと付け加える。
ちょっと?!夏油の偽エピソードを完全に信じ切ってるよ、しかも企業してる設定は私知らないんだけど!!夏油が起業……なんだろう、胡散臭さい所あるし壺でも販売してるのかな……アヤシイ。
謝る若女将さんに「いえいえ、謝らなくても」と夏油は持ち前の仏スマイルで話を続ける。本当、夏油ってこういう嘘を即座につくの上手いよなぁ。
挨拶を済ませ、若女将さんの後をついて行くと花の間と書かれた扉の前で立ち止まる。
「こちらが夏油様のお部屋です。ごゆっくりお寛ぎくださいませ」
木の味わいがある、あまり頑丈そうではない扉だが、ドアノブを捻って部屋へ入ると昔ながらの味わい深い空間がそこにあった。確かに古びてはいるけれどホコリが全く落ちていない。すごい……掃除が行き届いているな。
客間の棚には子供が好みそうな可愛らしい人形が飾ってあり、お手玉やおはじき、けん玉などがテーブルに置いてあった。
「わ、懐かしい〜!!」
「随分昔の遊びだよね、名前もやってた?」
「うん、おじいちゃんと小学生の頃よく遊んでたよ」
友達も出来ず、独りぼっちだった私の話し相手は、呪霊を除いておじいちゃんだけ。おじいちゃんが昔遊んでたお手玉のやり方を教えてもらって、壊れたら布を切り、自作のお手玉を作って遊んだりしたっけ。
昔ながらの可愛いくて御洒落な色をしたお手玉を手に取って童歌を歌いながら投げると、あの頃の記憶が蘇ってくる。
「……昔の名前に、会えたら良かったな」
呟くように言葉を漏らす夏油に対し、驚いてお手玉を投げる手を止める。普段と何ら変わらない会話なのに、後悔のような何かを含んだ言い方が気になった。
「え。急にどうしたの……昔の私?」
「いや……出会う順番が違えば、色々変わっていたのかなと思ったんだ」
出会う順番、か。あの頃は、視える人が周りにいなかった。それ故に人が嫌いになっていったし、同じ境遇の人がいれば、少しはこの非術師嫌いも変わってたのかな。
というか……夏油、もしも話なんて考えるんだ。予想外の発言だと感じる反面、夏油の思う「出会う順番が違えば」ってどういう事なんだろう?と疑問がよぎる。たしか一年前にも同じような場面があったはず。何か、ここで問いたださないといけない気がした。
「夏油、」
「さて、夜までまだ時間がある。私は少し外を探索してくるよ」
「あ……うん」
私の声を遮り、部屋から出ていった夏油の背中を見つめる。しっかりしているのに、なんだか包んであげなきゃいけないような……夏油の背中って、あんな感じだったっけ。受け止められない気持ちを忘れる為にとった距離は、小さな変化の記憶まで消してしまったように思えた。
*
外へ探索に行ってしまった夏油を追いかけようとしたが、部屋から出て廊下を覗くと、すでに彼の姿は無かった。とりあえず夏油を探しつつ、私も任務の手がかりとなるヒントを探そう。
私としてはまず旅館の図面だけでも頭に入れておきたい。あまり道を覚えたりするのは苦手だから、目的地に辿り着けないかもと不安になってしまう。まあ任務の時は呪力の反応で大体の方向は分かるんだけど、今回この眼鏡を不用意に外すことはリスクに繋がる。
廊下には山々の景色が見える窓が開いていて、旅館の中に、森の木が揺らぎ、鳥の囀る音が入り込む。
「落ち着く、なあ」
「素敵でしょう?」
声をかけられ視線を向けると、廊下の先にいた若女将さんは微笑み、こちらへと歩み寄ってきた。
「ここは雑音から離れるには最適ですからね」
「雑音……」
「車や建物から溢れる騒音、あちこちから聞こえる人々の声。……東京から来られた貴方は、それを感じ取ったのでしよう」
都会は騒々しい音で溢れかえっている。ここほど山奥では無いが、高専のある場所だって田舎だし、静かな場所は落ち着くから好きだ。
ふと、若女将さんの方に視線を向けると身体の前で交差させる手に光るものがある。薬指に、太陽の光によって小さく輝くダイヤが埋め込まれている指輪をみる。
「あの、ここは旦那さんと営んでるんですか?」
「……え?」
「その、指輪されてるから……若女将さんだろうと思ってはいたんですが」
「あぁ……すみません、自己紹介していなくて。若女将のちづゑと申します。ここは夫の両親と共に切り盛りしてるんです。……と、言っても二人とももう高齢で、旦那と二人でやっているようなものなんですけどね」
目を伏せつつ話すちづゑさんの表情は、何処か悲しそうに見える。完全予約制で泊まれる人数は限られるとはいえ、宿を二人で営んでいくのは大変だろうな。
「私はここに嫁いできた身で……本当は女将なんてやるつもり無かったんです。でも貴方と同じように子供に恵まれなくて……だから気持ちはよく分かるわ」
「そう、だったんですか……」
言えない。子宝を願っていた人の前で、実は嘘だったなんて。侮辱に捉えられてしまうだろし、私自身が子を望まないのなら尚更だ。そんな心境で励ましの言葉も出ないし、励ましていいのかさえ分からない。今まで人と関わる事を避けて来た経験不足の状況に、重苦しい沈黙を作ってしまう。
「そういえば、旦那様はどうされたんです?」
「あ、えっと、森が見たいと少し探索に向かったので私も少し旅館を探索しようかなー……なんて……うちの旦那、結構自由奔放なんです。あはは!」
ちづゑさんが話を変え、それに乗ったは良いもののど、どうしよう……結婚二年目ってどんな感じなのか全く想像つかないけど、若い夫婦がイチャイチャせず別行動は怪しまれるよね?!口角を上げて笑みを無理矢理作ると、若女将さんは微笑んだ。
「旦那様は起業家でしたっけ。起業家の方は森を歩いて楽しまれる方も多いので、少しでも気が休まると良いですが」
「あの……宿泊される方は起業家の方が多いんですか?」
「個人情報なので詳しくは言えないですけど、会社の役員や社長様、あとはテレビに出られる方が多いですね」
――座敷童子の言い伝えとして、出世や玉の輿など、その人にとっての幸運をもたらすと言われているし、やはりここに訪れる者は座敷童子の手を借りたい人ばかりなのだろう。それに、ここに泊まる宿泊代、すんごい高いって三好谷さん言ってたし……泊まるにも、予約以前にそういう格の高い人しか難しそうだ。それを証明するかのように、旅館の奥からスーツ姿の男性が一人こちらへやってきた。
「おい、今日は本当に出るんだろうな!!」
「金森さん……すみません。以前も申し上げましたが、座敷童子は気分屋ですので確証は言えません」
「ったく!!もし出なければ再度予約を優先的に入れさせてもらうからな!!」
なんだこのおじさん、自分勝手にも程があるだろう。横暴な態度で頭を下げる若女将さんに対してブツブツと文句を言いながらまた奥へと戻っていく。呆気に取られてる私を見た若女将さんは、すみません、と謝った。
「あのー、あの人は?」
「…………今日泊まられるもうお一方の金森様です。以前、宿泊されたのですが座敷童子が現れずリベンジしたいとの事で……」
若女将さんは苦笑いを浮かべながら説明する。リベンジって……必ずしも座敷童子に遭遇出来るわけではないという事は、この旅館を予約する際に必ず述べられると予約した三好谷さんも言っていた。それに座敷童子という存在は元々進出奇抜なのだ。それなのに必ず出ろなんて、我儘にも程がある。
こういう人の所には絶対に現れてほしくない、って思う私も我儘なんだろうか。でも人の気持ち考えずに主張するのって不快でしかないし、その気持ち故に呪霊が産まれるとなると溜息が出てしまう。
……非術師はやっぱり嫌いだ。