01.告白された萩原研二くん


「萩原くん、突然ごめんね。あの、……好きです、私と、つきあってください」
 日焼けのない真っ白な肌が耳まで赤く染っている。これが普段ふざけられる相手ならば顔真っ赤だよ! なんて茶化せるのに。いや、真剣に告白してくれてるならば失礼なのはわかってる。わかってはいるが、少しでも思考をズラさなければ訳の分からないぐらいうるさい鼓動の音に足元がふらついてしまうから。
 緊張からか水分を多めに含んだ日本人らしい焦げ茶の瞳が真っ直ぐ俺を映して、想いを伝えた口はきゅっとかたく結ばれてしまった。普段耳にする柔らかな声がちょっと、ほんのちょっとだけ、硬かった。
 果たしてこれは。
 夢か、現か。

 ▽

 あの後、正直どうやって帰ってきたのか覚えてない。覚束無い足取りのまま自室のドアを開けてベッドに力なく身体を放り出した。ごろん、と回転させれば視界いっぱいに広がる暗い天井。どうやら電気を付けることすら出来なかったことに苦笑いが零れた。
 どうやって帰ったのかは覚えてないのに、彼女が俺にしてくれた告白への返事だけはしっかりと覚えているのだから、なんか、もう笑えてくる。
「マジかー……」
 彼女はただのクラスメイトのはずだった。
 特に何かキッカケがあったわけでもなく、本当に気がついたら俺は目で追っていて、その事にも指摘されるまで気が付かなかった。指摘されてもすぐに自分がそんなわけ、と信じられないほどだったのに。
 でも、一度自覚してしまえばダメだった。今までは無意識だったはずがもう意識的に彼女のことを見てしまう。
 教室の中心にいる訳じゃない、どちらかと言えば隅っこで仲のいい数人の友達と話すような子。結構真面目で、授業中に居眠りなんかほとんどしてない。していたとしても片手で収まるぐらいだから、その時はよっぽど眠たかったんだろう。柔らかい声に似合う、ちょっとのんびりとした話し方は聞いていて心地良い。一度も染めたことが無さそうな黒い髪はちょっと癖っ毛なのか毛先がくるん、となっているのが愛らしい。雨の日には三つ編みにしたりポニーテールにしたりと簡単に結んでいるのを見て、下ろしていても結んでいても可愛いなあ、なんて思い始めたのが最初だった。
 正直話した記憶なんてなくて、関係なんてただのクラスメイト。それ以上でもそれ以下でもない。クラスメイトだから名前ぐらいは覚えてくれてるだろうな、なんて淡い願望を抱いていただけなのに! まさか、まさか告白をされるとは思ってもいなかった。
 気が付いたら目で追っていた。
 気が付いたら好きだった。
 でも俺には突然話しかけるなんて出来なくて。好きだと自覚する前だったら気軽に、他の子にするように、きっと話しかけることが出来たんだろう。仲良くなるチャンスを自ら潰したのに、何がどうしてこうなった。一度も話したことがない好きな子に告白された。
 ……告白、された…………。
 未だ冷静になれない頭を落ち着かせるために目を閉じれば、顔を真っ赤に染めたあの子の顔が浮かんで消えない。あの時は夢を見ているのかもしれない、なんてどこかぼんやりと思っていたくせに、その姿はしっかり目に焼き付けていたらしい。
 女の子だから俺より背が低いのは当たり前で。でも頭一つ分よりも小さなあの子は揺れながらも目をそらすことなく真っ直ぐ俺を見てて。……ずっと、こっちを見ればいいって思ってた。無意識に姿を追っている時も、意識して追っている時も、一度だって合うことがなかった目が、今日初めて交わったことに気付いて寝転がりながら頭を抱える。
 一生懸命想いを伝えてくれるあの子が可愛すぎて、内から湧き出る衝動のままにベッドの上で転がり回っていたら身体が壁にぶつかって大きい音を立てた。すぐさま隣の部屋から届いた壁を殴る音にちょっと冷静になった。ありがとう姉ちゃん。
 好きです、私と、つきあってください
 ちょっと冷静になったと思ったら今度はコレ。一言一句間違いなく頭の中で繰り返されるあの子の言葉に、やっぱり冷静になんてなれるわけがなかった。
 女の子に告白させるなんて男が廃るとは思うけど、俺は告白する気なんてなかったし。そもそも話したこともない子に告白する勇気が無かった。話したことない子の事を好きになったのは、まあ、好きになったんだから仕方がない。
 予想してなかった告白に、耳元で響く鼓動の音を無理やり押し込めて、そして出来るだけ違和感のないように、いつも通りを演じて。俺は、そう、
 もちろん、いいよ=\―そう返事をしたから、今日から俺とあの子は正真正銘、恋人に、なった、わけで。ああどうしよう、表情筋が仕事をしてくれない。頬はだらしなく緩んでる。明日もこの調子じゃせっかく恋人になれたと言うのにあの子に引かれてしまう。
 パシン! 両手で頬を叩いて顔を引き締めようとして、失敗した。無理だった。嬉しすぎてそんな簡単に引き締まる訳がなかった。
 だってだって! 俺がいいよ、と言った瞬間に緊張で固まってたあの子の顔がふにゃりと溶ける様に笑ったんだ。めちゃくちゃ可愛かった。初めて見る笑い方だった。未だ頬を赤く染めたまま、力が抜けたように笑うあの顔! なんだあの顔、可愛いが過ぎる。大変可愛い。好きだ。普段から力が抜けるように笑う子だったけど、あんな、あんなにとけそうな笑い方はズルいんじゃないか? 人ってあんなに可愛く笑えるのか、あの子だからなのか、はてさてどちらなんだ。
 あの顔を見た瞬間、何も考えず衝動のままに抱き締めそうになった自分を抑えるのに大変だった。流石に早い。いくらなんでも早い、早すぎる。耐えた俺は偉すぎる。その分今の俺の顔が人様に見せられないものだとしても許されるはず。だってここには自分一人しかいないのだから。
 はぁ。深く息を吐き出して、ようやっと俺は落ち着きを取り戻すことに成功した。

 朝、学校の玄関は騒がしい。真面目に早くから登校してる生徒なんか極わずかでひと握りだ。ほとんどの生徒がギリギリの時間にこの場所を潜るし、登校がギリギリじゃなくても部活の朝練はこの時間に被る。例に漏れず俺もこの騒がしい時間帯に玄関を潜る一人で――そして、あの子もこの時間だった。
 同じクラスだから当然靴箱の距離も近い。出席番号や男女で程々に距離はあるものの、他のクラスのやつらに比べたら近い。近いったら近い。
 だから、今目の前に彼女がいるのも、当たり前なわけで。
 ……え、これ声掛けていい? いいやつだよな? 昨日のはほんとに夢じゃないよな? え? なんて声掛けるんだ? おはよう? おはようで大丈夫!? ねえ大丈夫!?
 昨日よりも心臓がうるさいかもしれない。声をかけようと口を開いたり、閉じたりを繰り返しても何一つ音にならなかった。俺ってこんなヘタレだったっけ? 今まではそれなりに普通に出来てたはずなんだけど?
 なんて声をかけようか迷ってるうちに靴を履き替えたらしい彼女は、教室を目指すためにくるりと身体を回す。スカートが控えめに揺れて可愛い。髪もふわりと揺れて可愛い。もう全てが可愛く見える。
 そしてすぐ後ろに俺が立っていたことに気が付いて、ちょっと驚いたように目を丸くして、すぐにふにゃりと笑った。
「あ、萩原くん、おはよう」
「ン……! おはよう!」
 柔らかい声が耳を通り抜けていく。
 昨日の今日で照れがあるのか、白い肌に赤が乗ってて本当に、本当に可愛い。流石に昨日ほどいろんな場所が真っ赤になってる訳じゃないけど、ここは人の多い玄関。あんな可愛らしい姿を大勢に見られるなんてごめんだ。いや、今もめちゃくちゃ可愛いんだけどね?
「教室、一緒に行こっか」
 荒ぶる心の内を悟られないように笑顔を作る。そうしてないとだらしない顔を見られそう。それで引かれてしまったら終わりだから、口の中を噛んで引き締める。ちょっとぎこちない笑顔になっちゃったかもしれない。
 パッと顔を明るくさせた後、眉尻を垂れさせて力なく笑う姿が、それはもう、なんと言うか、なんて言えばいいのかわからないぐらい可愛くて。うんって控えめに頷いたのさえ可愛い。抱き締めたい。無理だ人が多すぎる。何より付き合って次の日に抱き締めるとかヤバくね? 手が早いとか思われたら俺死んじゃう……。
 緊張気味に隣を歩く彼女の歩幅に合わせて廊下を進んでいく。何を話したらいいのかわからなくてさっきから口は閉じられたまま。
 コミュニケーション能力はそれなりにあると自負していたのにこのザマ。なんでだ。初対面の子だってそれなりに話が出来て楽しませることが出来るのに、なんで一番話したい相手に限って何も浮かばないんだ。
 ただ無言で歩く俺を見て何を思うんだろうか。気の利かない奴とか思われてたりする? いやこの子はそんなこと思う子じゃない、はず、たぶん、俺の知る限りは……。でも俺が知ってるのなんか友達と話してるのを小耳に挟むぐらいで、だって昨日初めて話したんだからそれは当たり前で。
 無言で辿り着いてしまった教室前。締め切られた扉の向こう側はいつも通り騒がしい。
 ドアに手をかけようとした彼女の名字を呼んで引き止める。……さすがに、名前では呼べなかった、むり。
 呼ばれた彼女は可愛らしく首を傾げる。くるん、とした毛先が肩から落ちていくのが見えた。
「……や、せっかくだからさ、お昼も一緒に、どう?」
「え、……いいの? 萩原くん、いつも松田くんと一緒、だよね?」
 きょとん、と目を丸くしてる彼女に、今度はこっちが驚いた。
 俺と松田が一緒に食べてんの知ってるの? なんで!? この子お昼は友達と外で食べてるよな!? アッ友達。
「いや! 別に、陣平ちゃんとは今更っつーか? 昼ぐらい一緒じゃなくてもいいし? ゃ、きみが、友達と食べたいって言うなら、……それでいいんだけど」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返した彼女の頬が、緩んでく。
「……私も、萩原くんと一緒に食べたいなあ」
 あーもー!!
 俺の彼女が! 可愛すぎる……!!




「て感じだからさー、今日一緒に食べれねぇや!」
「おー。別にそれは構わねぇけどよ、お前ってそんなにダサかったか?」
 昨日の放課後から今朝までの出来事を説明しつつ、悪ぃな! 軽く謝る俺になんとも深い傷を作った松田に、悪気は無いのはわかってる。わかってるけどめちゃくちゃ刺さるからやめて欲しい。大袈裟にも机に頭を打ち付けるレベルで傷付いたから。ぐっさりだから。起き上がる気力もまとめて消されたから。
 そんなんだったっけ? と不思議そうに首を捻るも、さして興味が無いのかすぐ話を流そうとする。いやこれは興味が無いってよりは聞きたくないんだな、なるほどなるほど。じゃあ聞かせてやろうじゃん?
「あの子がさー……マジで可愛いんだわ……」
「へぇ、良かったな」
「俺の彼女よ? ヤバくね?」
「お前の頭がな」
「ひどい! や、でもマジで、マジで可愛い。すげぇ緊張する」
 他の子ならこんなに緊張しねぇのになあ。続けた言葉に相槌がなくて顔を上げると、なんとも言い難い顔をしてる松田が居た。ええ、何よ、どんな感情よその顔。
「……萩が緊張するってことは、よっぽどだろ。話したこともねぇのにそれは気持ち悪ぃぞ」
「…………やっぱり? やっぱり陣平ちゃんもそう思う? だから必死に隠してんだけどねぇ……」
「あと、」
「えっ何? まだある?」
「……いや、やっぱりいいわ。面白そうだし」
「面白そうって何!? 応援して!?」
「なんで俺が。……とりあえず、俺のことは巻き込むな。いいな? 巻き込むな」
 念押しするように繰り返された言葉と、びしりと指されてしまった指に、はーい、と気の抜けた返事をする。
 だって俺は知っている。巻き込むなと言いつつ、俺が助けを求めたらなんだかんだ助けてくれる松田の事を。
 だから俺はとりあえず、お昼どんな話すればいい!? と泣きついておいた。
 マジで冗談抜きでたすけてほしいんだよ!!


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