12.一緒になろうね萩原研二くん


 後から聞いた話によると、どうやら犯人はまだ捕まっていないらしい。松田くんが悔しそうにしていた顔を思い出す。研二くんは苦笑いで仇とかいいんだけどな、と言っていたけれど、あれは多分仇もそうだけれど純粋に取り逃がしたことが悔しいんだと思う。
 四年前の生活に戻るには、少し時間がかかってしまった。思ったより一人での暮らしに慣れてしまっていたようだし、研二くんの物も四年前で止まったままだったから色々と買い換える必要があった。
 研二くんの部屋に置かれているもののほとんどは松田くんがきちんと綺麗にしてくれていたみたいだけど。
「これ陣平ちゃんがやってくれてたの?」
「そうだよ?」
「そっか〜」
「……勝手に入っちゃ悪いなって思ってたのと、どうしても、思い出しちゃうから」
「ごめんな」
「もういいの。前にも言ったでしょ? 今研二くんがいてくれるから、本当にいいの」
 暗い顔をしてしまっていたのか、申し訳なさそうな顔をする研二くんに今度はこっちが申し訳なく思ってしまう。
 今いてくれるからいいのは本当なのに、彼がいなかった四年間の話になると途端にこうだった。気にしないでほしいのに、伝えているのに、微妙に伝わっていないような気がする。どうすれば伝わるんだろう。
「でもさ、聞いてたんだよ。俺がいない間の君のこと」
「え!? あ、まって、それって松田くんから?」
「あと姉ちゃん」
 この四年間私の面倒を見てくれていたのはその二人だった。私が死んだと思っていた間の出来事が研二くんに筒抜けだったのなら、生きる気力がなかった時のことも、恐らく詳細に知っているわけで。
「あれは……、だって、研二くんが死んだと、思ってたから…………」
「……だから申し訳ないなって思うんだよ。少なくとも、俺は選択肢を間違えてたんだって」
「今度は間違えないんでしょ?」
「そのつもりだけどー……でもさー……」
「次がない方がいいのはもちろんだけどね」
 なぜだか納得のいっていない様子の研二くんの背を押して部屋に押し込む。今日はこれからデートなんだから、どうせなら笑っていてほしい。
 ほら、私もちゃんと笑えるから。研二くんがいるからなんだよ?

 久しぶりのデートは時間があっという間に過ぎていってしまった。車を出すと言われたけれど、どうせなら並んで歩きたくて断ったおかげで足が痛い。こんなに歩いたのは久しぶりだったし、なんならオシャレをしたのだって四年ぶりだった。
「研二くーん、お風呂沸いたよ」
「ん? ああ、ありがとう。すぐに行くよ」
 今日買ったものを整理していた彼の背中に声をかけると、すぐに振り返って優しく笑ってくれる。
 ……幸せだなあ、と思う。
 お風呂に入る準備をしている研二くんの背中は、記憶のものとさして変わらないように思えた。
「研二くん」
「なぁに?」
 私が名前を呼べば、返事がある。笑顔を向けてもらえる。そんな些細なことが幸せだということを、忘れていた。
「お風呂、一緒に入ろ?」
 恥ずかしいとかそういうことは置いておいて、今は出来る限り研二くんと一緒にいたい。
 今日は彼が頑張って休みを合わせてくれたけれど、忙しい研二くんとは次にいつ休みが被るのかわからないから。
 ぽとん、と手に持っていたお揃いのパジャマを床に落とした彼は、慌てた様子で私に詰め寄り、肩を掴む。
「いいの? マジで? 冗談じゃなくて?」
「うん、一緒に入りたいなって思ったの」
「入る! 後からナシとか絶対無しだからな!」
「大丈夫だよ。準備してくるね」
 くるりと踵を返して、私は自分のパジャマを取りに行く。まだ綺麗に折り目のついたそれを手に取って研二くんの元に戻ると、彼は嬉しそうに顔を緩めていた。お風呂場までの短い距離でさえ手を繋ぐ。
 お揃いのパジャマは、彼が帰ってきて新しくしたものだった。

 研二くんが帰ってきて半年ほど経ったその日。研二くんは、少しどこかよそよそしかった。
 目は合わせてくれるし、会話がおかしいわけでもない。朝のちょっとしたゆっくりできる時間ではぴったりとくっついてソファに座った。
 多分、他の人から見たら普段と変わりない姿なんだと思う。けれど私の目にはどうしてもいつもと違うように映って仕方がなかった。
 どうしたの? と聞いてもなんでもないとしか返ってこなかったから何度聞いても同じ答えしか返ってこないんだろうけれど。
 ちょっともやもやした気持ちを抱えたまま仕事へ向かう。帰ったらもう一度聞いてみよう、と決めて、目の前の仕事に集中していれば普段より集中出来ていたのか定時には帰れそうだった。
 一息つこうとしたタイミングで研二くんからのメッセージに気付く。
【今日は定時で終われそう?】
【うん、終わりそうだよ】
【迎えに行くから待ってて】
 最初のメッセージは数時間前に来ていたのに、返事をするとすぐに返ってきた。仕事は大丈夫なのかな? 疑問に思いつつ、はーい、と一言。そしてスタンプを一つ送る。
 ぐっと天井に腕を伸ばして固まった体をほぐす。
「よし、後もう少し」
 もう少し頑張れば研二くんに会える。
 一緒に住んでいるから帰れば会えるんだろうけれど、迎えに来てくれるからにはいちんと時間通りに終わらせなければならない。一層気合いの入った私に、隣に座る先輩が良かったね、と声をかけてくれた。

【下にいるよ】
 そのメッセージに既読だけをつけて急いで帰り支度をすすめる。鞄の中に必要なものを詰め込んでぐちゃぐちゃになってしまっているけれど、帰ったら一度整理するので問題はない。
「お疲れ様でした!」
 フロアに響き渡るように挨拶をすれば、ところどころから返事がきこえる。軽い足取りでヒールを響かせながらエレベーターに乗り込んだ私の顔が、だらしないほどに緩んでいた。
 チン、とエレベーターが一階に到着する。小走りでビルを抜ければ目の前に研二くんの車が停まってあって、もたれ掛かるように煙草を咥えた研二くんが立っていた。
「お待たせ……!」
「んーや、待ってねえよ。お疲れさん」
「研二くんもお仕事お疲れ様!」
 私が駆け寄ると長かった煙草を持ち歩き型の灰皿に押し込んでしまう。煙草を吸っている研二くんもかっこいいんだけれど、彼はどうしても私が近くにいる時は吸わないし消してしまう。
「どーぞ?」
「あ、ありがとう……」
 助手席の扉を開けてエスコートしてくれる研二くんに照れてしまって言葉が詰まる。
 こういうの、当然だけれども研二くん以外からされたことが無くて何度してもらっても照れてしまう。
 運転席に回って乗り込んだ研二くんは、私のシートベルトを確認してから自分も装着する。
「んじゃ行くか!」
 ゆっくりと走り出した車は、家とは反対の方へ進んでいった。
「あれ? こっち家じゃないよ?」
「そー。ちょっと寄り道な?」
「どこに行くの?」
「それは内緒。着いてからのお楽しみ」
 前を見ながらもぱちん! ウィンクを決めた研二くんの横顔を見て思わず笑いが零れる。
「なーに笑ってんの」
「かっこいいなって思ったんだよ?」
「ほんとかなあ」
「ほんとだよ」
 本当なのに、ひどいなあ。

 車が迷うことなくぐんぐん進んでいって、いつの間にか高速道路へと入っていた。どこへ向かっているのか見当も付かなくてワクワクする。
 研二くんと一緒にいられるならどこだっていい。明日も仕事だけれど定時に上がったから時間に余裕はまだある。
「眠かったら寝てていいよ」
「大丈夫だよ」
 それに、折角の時間を寝て終わらせるなんて勿体無い。
 休憩もなく走り続けた車は、ある場所に着いた途端停まる。外の景色と研二くんの顔を交互に見る。ガラス一枚隔てた向こう側から聞こえる音に、胸が高鳴った。
「降りようか」
「うん……!」
 運転席から降りた研二くんは回って助手席の扉を開けてくれる。シートベルトを外して待っていた私は、差し出される手を取って車から降りた。
 ざぁざぁと波の音が聞こえる。辺りは真っ暗だけど月の光が水面に反射しているから、思ったよりかは明るかった。
「足元、気をつけて」
 手を引かれるまま砂浜に出る。仕事用のパンプスじゃ少し歩きづらかったけれど、研二くんが支てくれているから問題ない。
 誰もいない夜の海は、ひどく神秘的だった。私だけの空間に、波の音が加わっている。
 体を寄せても研二くんはふらつくことなくささえてくれる。前を向いたまま繋がった手に力を込めた。
「ほんとはさ、ちゃんとレストランとか予約してって一般的に想像するようなの、考えてたんだよ」
「……うん」
「だけどさ、なんか、……うーん、俺が、我慢できなかったんだよな。そういうとこって予約待ちとかだから」
「うん、」
 まとまりのない言葉は研二くんが緊張していることを私い知らせてくれた。私は緊張するよりも胸がいっぱいで。後の言葉と、ここに連れてきてくれた意味を理解したから、心はひどくおだやかだった。
「泣かせないっつったのに、いっぱい泣かせてごめんな」
「いいよって何回も言ってるのに……」
「うん、でも俺の気が済まないから。ごめんな」
「いいよ」
「あのさ……」
「うん」
「今度こそ、本当に、泣かせないって誓うよ」
「うん」
「だから、その……、あー、情けねぇ……」
「そんなことないよ。研二くんはいつだってかっこいいの、私のだいすきなひと」
 くるりと研二くんの顔を下から覗き込めば、ほんのりと頬が染まっているのが見えた。
 暫く視線を彷徨わせて、覚悟が決まったのか真っ直ぐ私を見てくれる。この目が、私は大好きだった。繋いだ手から伝わる温度も昔から大好きだった。
 低くて落ち着く声も、柔らかく笑う顔も、好きだと全身で伝えてくれるその姿も、全部全部、大好き。私には、研二くんしかいないの。研二くんがいてくれれば、それだけでいいの。
「絶対、俺が幸せにする。だから、俺と結婚してください」
 声が、震えているように聞こえた。私を真っ直ぐ見据える瞳の奥に不安が見え隠れしている。
 幸せにする、なんて。そんなこと言わなくたって私は研二くんが隣にいてくれるだけで幸せなのに。
 研二くんはいつもの笑みを浮かべていない。人によればこの表情が怖いと思う人もいるんだと気づいたのはいつだったか。真面目な顔だってかっこいいのにね。
 胸が、張り裂けそうだった。今すぐ叫んでしまいたいほど込み上げてくるこの感情に正しい名前はあるのだろうか。
「……不束者ですが、よろしくお願いします」
 最後まで言い終わる前に腕を引かれて、その広い胸の中に飛び込んだ。いつもより忙しなく動いている鼓動はどちらのものだろう。
 力一杯抱きしめられて、私も同じように返す。
「ありがとう……」
 水分の含んだ声だった。たぶん、泣いている。
「四年も、待たせてごめん。たくさん悲しませてごめん。ずっと俺のことを好きでいてくれて、ありがとう」
「研二くんこそ、帰ってきてくれてありがとう」
 生きててくれて、ありがとう。


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