偽善者の正論




犯人がコナンくんを人質に、樫塚圭さんが犯人に脅され車を走行。
その後を追う中、青の小型車から薄らと姿が見え始めた。あれは打刀だろう。危機迫った緊迫した状態の中で一気に膨れ上がったのか。遂に姿を現したようだ。あれは今、圭さんやコナンくんたちに危害を加えようとしている。コナンくんを人質にとったあの犯人を唆したのだろう。邪な気は感染すると魔が差す。だが、何故人を襲わない。まるで何かを待っているかのようだ。例えば指示とか…ならず者を統率する統率者がかつて居ただろうか。少なくとも私は見たことがない。何かを待つならその時が来る前に片づければ……足元に置いた金属バットに視線を落とすと、手を握られた。横へ向けると哀ちゃんが怯えるような表情で、私の手を強く握っている。彼女の急変するその態度にバックミラー越しに後ろへ視線を向けた。後ろから憶えたくも無いが見覚えがある白のRX7とバイクが一台ずつ追って来ている。多分、安室さんたちだとは思うが、あのバイクは一体誰なの?

「だめよ」

哀ちゃんが私に強くしがみつき後ろを見るなと云わんばかりに、止めて来る。その必死な様子に身体の向きを直し。哀ちゃんの身体を抱きしめた。


あ、震えてる……

恐怖を感じる何かが彼女の心を支配しているのだろう。同じだ…近親感を抱き背中をさする。彼女の恐怖心を沈静させようとしたら昴さんが一言。

「そんな顔をするな。逃しはしない」

口調が閣下になっていると、私と博士は思う中。哀ちゃんだけは弾かれたように運転席へ視線を戻す。彼女の震えは止まったようだ。博士にハンドルを頼み、シートベルトをドアノブに固定。懐から拳銃を取り出そうとしたその時、安室さんの愛車が追い抜く。隣の車線から。互いに目が合い何か言いたげな表情をしている安室さんだが、彼の危ないカーアクションによって車は停車を余儀なくされ。人質をとった犯人をバイクの前輪でぶっ飛ばした男の子ような女の子がコナンくんを抱きしめる。

今の衝撃で時間遡行も吹き飛ばされればいいのに。そう都合よくいく訳もなかったか。ちょっと戯言。

蘭ちゃんも無事のようだ。強引な車の止め方をしたからそちらの安否も気になっていたんだ。安堵の息を吐きだすと意識を手離している圭さんから独立して、私を視界に捕らえると一直線に此方へ向かってきた。このままだと昴さんたちが乗っている車に謎の亀裂と突然両断事件が待っている未来が容易く想像できる。そうはさせてなるものか。少なくとも此処で格好つけないで何処で格好つけるんだ。
金属バットの入ったケースを手に車のドアを開け外へ出ようとしたら、哀ちゃんに止められる。

「行ってはだめ!あなた、狙われてるかもしれないのよ」
『……ありがとう。目が覚めたとき傍にいてくれて』

哀ちゃんの制止振りきり私は周囲の視線が犯人へと向けられている隙に、歩道へ走りそのまま街灯の少ない脇道へ走り抜ける。人気が無くなると鞘から刀身を抜き遠慮なく斬りつけてきた。真っ直ぐしか走れなくて道路標識や、自販機が両断される様を横目に太腿、腕など細かい切り傷が刻まれていく。服も斬られた箇所から布キレに変化していきながらも走る脚を止めたら死ぬと、恐怖で走り続けた。

私は戦場に赴く審神者だ。でも今まで恵まれた環境にいた為に、身の危険に合うことはあまりなかった。あっても忘れてしまっていた。刀剣男士が護ってくれていた事を忘れてしまうくらい麻痺していた。何処かでゲーム感覚になっていたと思う。単調な仕事だと思って舐めていた。

私が頑張らなくても誰かがやる。
私が命を燃やさなくても誰かが居る。

死ぬこともない、ある程度怪我をしても資材があれば、手当すれば……馬鹿だろ。

いつの間にか歴史を守ることが【自分が救わなくても他の人が救う】と他力本願になって根本さえ忘れていた。ひとりひとりが取り組まなければ救えないって。ひとりじゃ何も救えないって事を私は忘れていた。審神者がいたって刀剣男士がいなきゃ何も救えない。無力で非力な審神者だけが居ても救えるものさえ救えない。

本当は恐い。今からでも逃げ出してしまいたいほどに。また殺されるかもしれない。また死ぬかもしれない。鉄や鉛や鋼が肉を裂き、骨を砕き、生命の灯火を奪いつくすかもしれない。いや、その可能性の方が分配的には大きい。

でも、今此処で私が逃げ出したら…知らぬと言って投げ出したら……きっと後悔する。

私は偽善者だ。悪者になりたくない。出来る限り可能なら善者になりたいと思う打算的な生き物だ。私しかあいつを倒せなくて、私でしか救える命があるかもしれなくて、審神者という稀有が私しかいないなら………偽善を振りかざして虚勢で身体を覆って、死にそうになりながら正義の使者を演じてやる。

人気のない公園を見つけ場所的に最適だと判断すると中へ入り振り返った。肩にかけたケースから金属バットを取り出し鞄の中からマーカーペン取り出すと、鞄を地面に放った。

『名前は生命の源。名前には力の根源がありその名に恥じぬ人であれと人は名に託すから、だから私も……』

何で和泉守の名前なんて思い浮かんだのだろう。最期に私の名を呼んでくれたからかな、それともずっと君が私を護ってくれたからかな……涙を拭い。バットに書き終えた和泉守兼定の名を御守に震える身体でバットを刀を握るように構えた。
それを合図に突進してくる時間遡行軍の打刀。上段からの攻撃を受け止めると重みと圧に圧されて腕が痺れた。体重の重心を足の裏に溜めないと受け止めきれない。押すことも出来ないなら持ち手の柄を近づけて弾いた。その隙に相手の右肺目掛けて突くが、簡単に弾かれてしまう。振り払われた腕を斬りつけられ浅い傷口から焼ける熱に歯を食いしばり、そのまま片手で横へ薙ぎ払い、公園内にある木々まで吹っ飛んだのを見て『え』と驚く。

女で素人の私が時間遡行軍をそんな簡単に吹っ飛ばせる訳ないじゃないか。相手は手練だ。なのに意図も簡単に……其処でひとつの仮説に辿りつく。
審神者の私は、元いた時代の頃より霊力が軽減されている。これはもしや相手側もそうなんじゃないか……。そこ迄辿りつけば活路が見えてきた。私にも勝算がある。どうやって倒す。脳を廻せ、考えろ。

腕から流れる血に気にも留めずに、生きる事だけを考えた。

ふらりと敵がふらつきながらも突進してくるのをしゃがんで下から腹部辺りを思い切り突き、肉を貫通させた。血潮が飛び散り顔や髪に張りつく中、肉の軟らかな感触と生命を奪う感覚が手から伝線していき、私は目を見張った。だが、下唇を噛み締め両手を添えて串刺しにした。地面まで突き刺さった為、時間遡行軍はその役目を終え静かに風化していく。鉄の臭いが鼻の奥にこびりつき、噎せ返るような血潮に口元を抑えるが堪らず嘔吐を繰り返した。

これが……自分が悪者になりたくなかっただけに振りかざした正義の末路だと思い知り、後悔した。

じゃあどうすればいいんだ。
あれもやだ、これもやだ。なんて我儘がまかり通る状況でもなかったんだぞ。でも、だから、なんで……なんで私がっ。

何をやっても後悔した。
して後悔した。
きっとしなくても後悔しただろう。

咽喉を掻き毟るように声が出ない。嗄れた泉から何も出てこないのと同じで、時が止まったかのような静寂が私を包みだす。
呆然と地面に転がる金属バットと取り残された黒の世界の中で、耳に届く僅かな音に顔を上げた。血が風化していく最中に遠方から人影が此方に向かって駆けて来ていた。懐かしい名が呼ばれる。

「夜子さん――!」

いや、それは私の名前だ。それは私の名前だよ。
宵闇の隙間から零れ落ちた星のような揺らめきが漂う彼が、私の名を呼び駆けてくる。

私が……恐怖と共に立ち上がった、その理由は……後悔して、それでも私が……何故、そうしたのかは……――――

「夜子さん!どうしたんですか、傷だらけ、で」

斬り裂かれた布の隙間から覗く肌に生きた人間の掌が伝う。それが止まった私の刻を稼働させるには充分だった。堰を切ったように、私は大粒の涙を溢し、鼻水を垂れながし、恥ずかしげもなく大声を上げて泣きだした。子どもが癇癪を起して泣く様な、そんな見っともない泣き方を、した。
安室さんは戸惑い必死に私の名前を呼びハンカチで涙を拭いてくれるが、それでも涙は枯れる事を知らずに溢れ出て、どうしようもなかった。頬に触れる手が温かい、耳に届く声が心地よい、私の名が呼ばれる度に歓喜するみたいに、返事をするように、泣きじゃくる私を彼は胸の中へ導き抱きしめた。心臓の鼓動が脈打つのを訊くたびに彼の服を掴み、泣いた。

「夜子…っ」

苦しそうに呼ばれた気がした。