霧雨の降る午前零時




歩美ちゃんの家に寄ってから哀ちゃんと共に阿笠邸に車を停めてもらう。傘をさして哀ちゃんが出る中シートベルトを外し一期に振り返り、礼を述べるが。彼は至って平常通りに首を左右に振って去って行った。激しく降る雨の中哀ちゃんに連れられて私は阿笠邸を訪ねた。

タオルを用意してくれていた博士に連れられてソファーに腰掛ける手前で少し湿ったシーツに気がつく。周囲を見渡すと傘立ての所には既に水たまりがあるのに傘はない。コナンくんへ視線を向けると首を左右に振って不自然なまでな態度で「おかえり」と出迎えの言葉を述べられる。カウンターの方へ目を向け、成程っと状況を理解した後に哀ちゃんが口火を切る。

「で、話ってなによ」
「組織の仲間が新たに判明したんだ。名はギムレット」

その名を聞いた時、哀ちゃんの顔色は変わった。みるみるうちに青褪めていき隣に座る私に手を伸ばすと服を掴みしがみつかれる。哀ちゃんの尋常じゃない様子にコナンくんが尚も続けた。

「その様子だとわかっているみたいだな」
「名前しか知らないけど…その人はジン以上に危険な男よ。組織の裏切り者や潜入しているスパイたちを次々と殺していく暗殺者。白亜の龍って呼ばれることもある人物よ」
「まさしく処刑人ってところか」
「その人が動いたってことは私の事がバレて」
「いや、違う。ある人の筋だとギムレットにはシェリー殺しの依頼はしていないらしい。彼はベルモットの協力者として列車に乗車しただけで、それ以上は関りがないそうだ。これからはわからないが今は海外で別の仕事をしているから安心しろよ」
「でも…彼とベルモットが親しいのは知らなかったわ。彼、ベルモット以上に秘密主義者で組織の人間ともあまり話さないから知っている人間もごく僅か。それに……常に変装をしているから彼の素性は誰も知らない」
「そうか……まあ、一応あいつらの仲間が増えたってことだけ覚えておいてくれ。これから先、ベルモットと同じくらい厄介な男、ギムレットが関与するかもしれないからな」

コナンくんの言葉に哀ちゃんとふたりで頷く。すっかりと冷えてしまった哀ちゃんは先にお風呂に入ると部屋を出ていく。足音が完全に消えると同時にカウンターから昴さんが顔を覗かせ耳栓を解く。

『で、本題はなんです』
「ええ、そのギムレットの件ですが。恐らくあなたの周囲に居る誰かだと思われます」
『理由は』
「ギムレットの名が浮上してからあなたの周囲には様々なあなたの知り合いが訪ねてきましたよね」
『私の知り合いになりすましている人物がギムレットである可能性が高いってことか……バーボンとも仲いいんだよね』

昴さんとコナンくんが顔を見合わせる。博士は珈琲を淹れてくれて目の前に差し出される。スティックシュガーを二本、ミルクを一つ手に取り珈琲の中へ投入していく。

「私の見解からすれば互いに嫌っていると思いますよ」
「列車内での一部始終を聴いていた昴さん曰くにはバーボンを殺そうとしてたらしい」
『……そのギムレットって何者なの?その話を私にしたってことは私の知り合いだから以外にもあるから、なの?』
「いえ、まだそこまでは解っていませんが十分に用心してください。そのギムレットなる人物は夜子さんを大層気に入っているようでしたから」
『いや、そんな危ない奴に知り合いはいない』

思わず身震いをさせた。温かなカップを両手で持ち甘めの珈琲を体内に取り込む。食道を通り胃へと温かさが伝わり息を吐きだした。

「バーボンの正体に、新たな存在ギムレット……僕らの周りを嗅ぎまわる仲間が増えたことだから十分に用心してねお姉ちゃん」
『は、はい』
「くれぐれもふたりきりとか、密室でふたりきりとか、内緒で外に出てふたりきりで逢うとか、誰かに一報入れてから行動してね」

コナンくんの棘のような言葉にソファーへ身体を埋めた。連続射撃に合って瀕死だコレ。

『こ、コナンちゃん……わ、わたしちゃんと連絡入れてるよ、ね』
「まあ大体は」
『れ、連絡、いれ、いれて』
「でも無茶するときはいつも連絡いれないよね」

可愛らしいコナンくんの笑顔に私の目は潰される勢いだった。なんだろう。今日はやたらと目から死ぬな。目潰し以上に効果抜群な気がするよ。ソファーに埋もれると傍に近寄りコナンくんが私の頭をポンポンっと撫でた。

「奴らも本格的に動き出して来たんだ。あんま無茶するなよ」

小声で囁かれ少しきゅんと来てしまった。腕を伸ばしてコナンくんを抱きしめる。緩む涙腺を誤魔化すように思いきり力を込めて『かわいいぞ!』と叫んだ。嫌がる素振りは見せても腕を振り払う事はしないコナンくんの優しさに、救われる。すると後ろから昴さんが私とコナンくんに腕を回してくる。

「君の無茶には程ほど呆れるが、それが君の進むべき道ならば誰も止めはしない。だが寄りかかることも忘れないでくれ」

赤井さんの口調で昴さんに包まれる。

「何だか家族みたいじゃな」

ニヤニヤと笑いながら博士が述べた言葉に、コナンくんが腕の中でもがき始める。

『コナンくんのお母さんになるのはいいけど…昴さんの奥さんなら吝かではないです』
「すげぇーはっきり言った」
「入籍はいつにしましょうか」
「え」
『冗談だよ。コナンくんったら。ねぇ昴さん』

昴さんは返事をせずに笑みを浮かべるだけだった。え……思わず静止した私を他所に腕の中に納まるコナンくんが「眠れる獅子をなんとやら」と言葉を紡いでいた。





■□■






明日の支度を済ませた私は徐に壁にかけた針へ視線を上げる。その文字盤はそろそろ午前零時を告げようとしていた。待ち遠しいのか、それとも恐れているのか自分でも要領を得ない感情に鼓動が捷くなる。ベッドに寝そべり腕や脚を投げ出し蛍光灯の光に瞼を閉じ深く息を吐き出すとスマホが震えた。画面を見なくともそれが誰からなのか判ってしまう。上体をお越し、深呼吸を二度繰り返してから通話に応じた。耳にあてる機械越しの音に躊躇いがちに唇を動かす。

『ぁ…あむ、ろさん』

名を呼んだだけなのに受話器の向こうから彼の吐く息以外に雨脚の音が届く。外に居るのかな。

{ 夜子さん。連絡ありがとうございます。僕は怪我などしてませんよ }
『そう、ですか』

良かった。怪我をしてないなら良かった。胸を撫で下ろし息づくと安室さんは渇いた声で言葉を繋げた。

{ きみの方が酷い怪我を負ったのに僕が心配だったんですか }
『ぇ、ぃや…誰でも心配するんじゃないですか?梓さんから聴きましたよ。お休みされてるって、だから』
{ 嫌いな相手なのに、心配してくれるなんてきみはまるで聖母のようですね。尊敬します }
『……心配したらいけませんか?余計なお世話かもしれませんけど、人が人を心配するのは駄目なことなんでしょうか』
{ ……そんなことはない。僕もきみが怪我を負って心配しているから……すみません。僕の我儘を聴いてくれませんか }

彼は普段からは想像もつかない程少し覇気が欠けている気がして彼の願い通り窓辺に立つと思わずカーテンを引いて窓を開けた。柵を挟んで彼は雨の中傘も差さずに佇んでいる。私が顔を出したことで彼は顔を上げ笑む。あの馬鹿!と私は窓を閉めて部屋を飛び出した。階段を駆け下りタオルと傘を持って玄関を出て駆け足で門まで行き扉を開閉させると私の部屋から見える位置に彼は佇んでいる。そこまで駆け足で向かい傘を傾けてタオルをその美麗な顔に押しつけた。

『なにやってんですか!こんな時間に傘も差さないで。いつから居たんです』
「来たばかりですよ」
『嘘だ。手がこんなに冷たいのに何言って』

言葉はそこで途切れる。手に触れていた腕を引かれ彼の胸板に頬があたり背中に腕が回る。手にしていた傘が手から離れ地面に転がり側頭部に頬を寄せられ彼は掠れた声で囁く。

「夜子……っ」

名前を呼ばれ驚くが縋るような彼の声に、私は既視感を彷彿させた。なんかこんな場面前にもあったような……あれは確か最初の戦闘のときに……でもこれ以上思い出せず軟い囲みに唸り迷いながらそっと手を彼の背中に添えた。

なんか……弱ってる子犬みたいでここで振り解いたら悪人みたいじゃないか。

息をつきながら私は冷たい雨にうたれつつも冴える脳内で彼の事を考える。
彼は敵の組織の人間で、情報を探る為に私に近づき、哀ちゃんを手に掛けようとした人。コナンくんや赤井さんの周囲を嗅ぎ回り暴こうとする敵対組織の人間。そして五条家を鏖殺した仲間のひとり……はあ、考えるだけで頭が痛い話だ。紆余曲折してこうなったのか、それともこうならざる負えなかったのか過去の事など私には知る由もないが、まるで映画みたいな設定。一層の事笑えてくる。でも悪人は根っこからの悪人ではないように、彼もまた善人の部分がある。だから人間はその人の総てを恨む事が出来ない。一部分を恨めても。

『えっと……その、そろそろ中入りましょうか、ね?あんまり雨に中ると風邪ひきますし』
「……夜子さんは寝る前はノーブラ派でしたか」
『カップインインナー着とるわ…って、え゙』
「付け入る隙が多いのは好ましいですが僕以外の異性の前ではそんな格好で外に出ないでくださいね」

危機を察知し、離れようとしたが時すでに遅し。ガッチリと身体を固定されてしまい抜け出せない。頭皮に唇が触れ下に下がってくるのを『どひゃぁ』と叫びながら暴れるが、首筋に鼻孔を添えられ皮膚に髪の細かな繊維が当たり擽ったくなり身動ぎ息を詰める。背中に回っていた手がいつの間にか太腿まで降り素足を撫でられる。寝間着は短パンな事忘れてたっっ!!と自身を叱咤するが産毛が逆立つような擽ったさに身震いをさせ彼の湿った上着を掴む。
喉の奥でくすっと笑う声が聴こえると首筋の皮膚にちゅっと唇を滑らせてから身体を解放される。震える足のまま壁に手をつき睨みつけると、普段通りの笑みを浮かべている安室さんと遭遇した。


すっかり元気になったようで


恨みがましい視線を送る中、落ちている傘を手にし安室さんは私の腰に腕を通し玄関口まで共に歩きだす。別に濡れたままで帰すのが忍びないってだけな理由だから。と心の中で言い訳を並べて玄関で待ってもらい脱衣所へ行きタオルを手に戻ってくる途中、リビングに居た昴さんと目が合い。頭を下げると首を横に振り書斎へ向かうと指を後ろへ指して静かに席を立った。タオルを彼に手渡す。

『お風呂使って下さい』
「…じゃあお言葉に甘えて。一緒に入ります?」
『はよ入れ』

脱衣所へ案内し押し込んでから書斎へ向かい昴さんに洋服とバスタオルを借りる。

『ごめんなさい。あのまま帰すのも人として問われるかと思って』
「別に構いませんが、あまり油断しないように」

自身の肩にかけていたタオルで私の髪や顔を拭かれる。ぬぐぐぅと目を閉じて耐えていると昴さんは喉を軽やかに震わせながら下着まで一式貸してもらえた。今のうちに、と脱衣所の扉を静かに開けてバスタオルと着替えを置く。

『着替え置いて置きましたから』
「ありがとうございます」
『開けるな!』

開けようとした扉をすぐさま閉じて脱兎の如く脱衣所の外へと避難した。あんにゃろ……全く。調子狂うな。リビングに戻り温かな飲み物を用意するかとミルク多めのカフェオレを作っているとリビングの扉が開く。昴さんかと思ったらタオルを首から下げた姿の安室さんで……え、何でこの人リビングがここだとわかったんだ。とそちらに驚きの配分が偏ってしまった。

「お風呂ありがとうございました。おかけできみが使用しているシャンプーとボディーソープが解りました」
『うん、それを知ってどうする気だ』
「秘密です。ところで何を作っているんです?」
『ミルク多めのカフェオレでもと。どうせ車で来たんですよね、流石にブランデーとか入れられないので』
「……ありがとうございます。僕の事を考えて行動してくれるだけ嬉しいです」
『……なんだろう。なんかすげぇ敗北感』

マグを二つ用意して出来あがったカフェオレを注ぎ流し台に鍋を置き、水につける。座る様にソファーを案内していたのだが、何故かじっとこちらを見ていたのか顔を上げると目が合う。

『あの…なんですか』
「いえ、ちょっといいなっと思って」
『はい?』
「家庭的だとは知っていましたが目の前で自分のために作ってくれるという行動が、いいなと……やはり僕と一緒に暮らしま『せんから。はやくソファーに行け』

マグを両手に持ってソファーまで案内し座らせると何故か隣に座れと叩かれる。何故だ。普通対面だろ。何か探られるのも困るし、大人しく指示に従っていようと選択肢を取り、隣に座ると微笑まれる。何だかさっきの方がかわいかったな。

「それにしてもよく男物の服がありましたね。あ、一緒に住んでるスバルさんのですか?」
『知ってて聞いてるのか、わからんがめっちゃ恐いです。それ飲んだら帰るんですよ』
「……このまま時が止まればいいのに」

カフェオレを飲んでいた時に言われたため、私はごふっと熱い液体を溢した。近くにあったティッシュを引き寄せ濡れた箇所を拭きながら咳をひとつ。

『いや…その台詞をリアルで聞けるとは思ってなくて。ちょっと感心しました』
「僕はきみのそういうところ嫌いじゃないですよ」
『その台詞って歴代の彼女にどの場面で言ってたんですか』
「そういう所は好きじゃないです」

小雨になるまであと―――――。





■□■






ブロンドの髪を靡かせハイヒールの底をコンクリートに叩き、音を響かせる。カツン、と止む音の前には研究室の扉の前。女は遠慮なくその扉を潜り中に居る研究員に声をかける。すると奥の方へ案内され扉をノックすると中から「どうぞ」という声に倣い、女は入室する。テーブルの上には封筒が置かれていた。女はそれを手にし中から紙を数枚取り出し目を通していく。そこでとある記述を見つけると驚倒しそうになるほど目を見張った。

女は確認するように白衣を纏う男に訴える瞳を向けると、小太りなその白衣の男は首を縦に振り背を向けた。女は眉を顰め封筒の中へ紙達を再びしまい小脇に抱えて室内から出て行く。研究室を大股で歩き廊下へ出ると女は再び封筒を見降ろした。


「ゆうこ……」





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