夜目の利かない鷹

{ あなたの学校に一が来たと }
『タイムリーな話だよ』
{ 立海の現国教師として着任していたはずですが }
『うちの現国教師が産休で代理な感じだった』
{ そうですか。にしても出来すぎた話ですね }
『だと思う。前の私のクラスの担任が来るなんて話は、漫画の世界じゃあるまいし…ってここ漫画の世界か。あ、いや今のは冗談で!……でもあの人私を見た時怯えてた』
{ きな臭いですね。一応言っても無駄だとは思いますが、その男には気をつけてくださいね。忠告した事実が重要なので。じゃないとあの黒子ナルシストと細目澄まし男に僕が何をされるやら }
『……大変だね』
{ あなたの所為ですよ。自覚してください }
『え、あ、はい…ごめんなさい』
{ もう暫く一について調べてみます。解り次第報告して差し上げるのでいい子で待っていてくださいね }
『おけ、マム』
{ 誰がお母さんですか }
観月くんは文句を言いつつ通話を終了させた。確認を取るために観月くんに電話をしたが、情報としては元立海の現国教諭で中学2年の頃の担任。なら何であの時仁王くんは一と私を遠ざけるような行動を取ったんだろう。元担任と折り合いが悪かったとか?相性の問題とか?だが、クラスでの一は生徒に好かれていた。まあ女子だけだけど。男子には受けが悪いとかなのかもしれない。じゃあ何故女子生徒の弓波夜鷹に恐怖心を抱く必要がある。あの表情は確実に怯えだ。何を怖がった。彼女の原因に関わっているのか?考え事をしながら職員室を訪れた。
『竜崎先生』
「弓波。体調はもう大丈夫か?」
『ご心配おかけしましたが、もう大丈夫です』
「そうかい。ならよかった。今日から新しいメニューを導入するから先にお前さんには資料を渡しておくから目を通して頭に入れておいてくれ」
『わかりました』
「これから関東大会に向けて踏ん張り時じゃ。アンタにも手伝ってもらうよ。あのバカどもはアンタの言う事だけは素直に聞くからね。いざってときは頼んだよ」
『大役をしれっと任せないでくださいよ』
「素直に返事をしな」
『……はい』
「目を背けるんじゃないよ」
竜崎先生は私の頭をわしゃっと撫でた。乱れた髪を整えながら職員室を後にする。
受け取った練習メニューに目を通しながら今回もハードだと今からドリンクメニューや差し入れの献立を頭の中でたてていた。
「弓波さん」
それはほんの少しの隙だった。訊き慣れない声に振り返ると廊下には一惟仁が人の好さそうな笑みを浮かべて一定の距離まで近づいてくる。
「お久しぶりですね。まさかあなたが青学に転校していたとは知らなかったです」
『先生。お久しぶりです。こんなところでお会い出来るとは思っていませんでした』
「あの時は申し訳ございませんでした。変な態度をとってしまって…」
『いえ、その私は特に気にしていないので…』
「何か忘れ物を取りに来たんですよね?見つかりましたか?」
『あ、はっはい!忘れ物、なんとか見つかりましたです、ハイ!』
「…明るくなりましたね。あなたの次の開花場所が青学でよかったのでしょう」
一は担任として心配してくれていたようだ。それもそうか。いくら交通事故という不慮極まりのない事件に巻き込まれて生還したとしても。事故に遭った事実。そしてそれが自分の生徒である事実は相当堪えるものがあったのかもしれない。それに友達いなかったみたいだし。問題児並みに目をつけられていたのかもしれないぞ、これ。
『友達も出来ました。この姿を先生に見せられてよかったと思います』
「そう言って頂けると僕も嬉しく思います。副担任ではありますが、また相談にも乗れると思うのでいつでもいらしてください」
『ありがとうございます』
身構えるほど悪い先生じゃなさそうだ……多分。穏やかな表情で笑む先生の姿はとても好感が持てた。
「おや?そのプリントは」
『あ。これは部活の一環で』
「ぶかつ?」
『はい。テニス部のマネージャーをしております』
「……女子ですか?」
『揺るぎませんね。男子です』
「あなたが…男子の……」
一気に青ざめた顔色をされた。私の生態を把握しているようだ。慌てて弁明をすると胸を撫で下ろしている。今時にしては珍しいタイプの教師のようだ。
「失礼しました。そうですか、男子テニス部の。青学と言えば名門ですからね」
『それを言うなら立海の方が王者じゃないですか』
「あ、そうでしたね。でも今は青学の教員なので応援しますよ」
『ありがとうございます。関東大会も控えているので応援は大歓迎です』
「見学に行っても?」
『ウェルカムです』
「ありがとうございます。近々覗きに行かせて頂きますね」
『はい。待ってますね』
「ッ弓波先輩」
警戒心を取り外したところで水を差すように海堂くんの焦燥した声が間を縫った。振り返ると海堂くんが大股でこちらに歩いてきている。どうしたのだろうか、疑問に思うのもつかの間。先生が先に外れた。
「おや。もうこんな時間ですか。それでは僕は次の授業の準備がありますので、弓波さんも授業が始まりますから早めに教室に戻ってくださいね」
『はい。ありがとうございました』
海堂くんが到着する頃には、もう職員室へと去った後だった。
『どうしたの海堂くん』
「あ、いや…先輩が絡まれているんじゃねえかと思って」
『え?ただ先生と談笑してただけだったんだけど…そんな風に見えたの?』
「……勘違いならいい」
海堂くんは目を見張るがそれ以上は何も告げなかった。代わりに「送る」と言われてしまい教室まで共に歩き出す始末。なんだか最近エスコートされすぎじゃないか、私。疑問を余所に女子に後ろから刺されないように腰に力を入れて歩く私を横に海堂くんは普段よりも険しい目つきで廊下を見つめていた。
「弓波さん。申し訳ないのですが国語科準備室に皆さんのノートをまとめて届けてくれませんか?」
『わかりました』
「なんか最近あの教師夜鷹にばかり頼み事するわね、ロリコン?」
「気に入られてるっていうか異常だな」
『そうかな?元担任の教師でまだあまり慣れてないだけじゃない?それより量が多いので手伝ってください』
「ごめん夜鷹。今日掃除当番なんだ」
「俺も生徒会があって」
『……菊丸くんは?』
「んにゃ?別にいいけど、その代わりなんか奢ってね」
首を上下に動かす。クラス分のノートの質量を考えると男手は欲しかったので致し方ない。
クラスのノートを回収しているとき不二くんが思案顔をしていた。
『どうしたの不二くん』
「付き合えなくてごめんね」
『何で私がフラれたみたいになってるの』
「絶対に一人になっちゃだめだよ」
『幼稚園児か』
不二くんのからかいも順調のようだ。意に沿わないけれど。でも彼は笑みを浮かべながらもどこか不安げに揺れていた。
不二くんのノートも受け取り菊丸くんと共に国語科準備室へと向かった。
不二くんってどこまで知ってるのかな。何も説明していないのに全て解っているみたいな行動をとられるから私もつい甘えたくなってしまうときがある。なんというか、安心感?包容力の凄さ?一緒に病院に行った時から不二くんの接し方が変わった。何と言えばいいのかな真摯差が増したというのかな。向き合い方が違う。だからどんな顔していいのかわからなくなるときがある。言葉とか詰まってしまう。
「最近ハードだにゃ」
『関東大会近いからね』
「うにゃ。これから練習時間も伸びるらしいし、弓波ちゃんも遅くなったら不二に声かけて送って貰えばいいよ」
『わかった。競歩で帰る』
「送ってもらいなって。んでさ―弓波ちゃんってホントのところ、どっちが好きなの?」
『え?ん―走った方が足攣らないかな』
「何の話?恋バナだし!もうー乙女の嗜みじゃん!」
『あーそっちか……って菊丸くんいつ性転換したの?初耳』
「実は〜っていいからそういうの!不二と越前、どっちが好みなのさ?」
『そんなイケメン様たちを比較できるほど私という人間は未熟なのでお答えできません』
「すっげぇ真面目な解答が出たね」
『ブスが何を言ってもブタなだけだよ』
「過小評価すぎにゃい?俺は弓波ちゃん、普通に可愛い分類だけどね」
『菊丸くん…普段から動体視力の使いすぎで眼精疲労が溜まっているんじゃ!』
「どんだけ自分のこと嫌いなの」
適格なツッコミを頂いてしまった。しかも憐れみ含めての。
菊丸くんって確かに女子みたいなんだよね。話し方というより雰囲気が柔からかい。ついつい女子のように甘いもの談義とかしてしまう。うっかり口を滑らせてもよかったのだけれど、恋愛的な意味合いで言えば甲乙つけがたいというか、これが私ではなかったらアイススケーターのように口外しているところだったよ。そう言えば最近こんな話をしたような気がする。既視感に首を傾げながら国語科準備室の前まで到着する。菊丸くんが片手にノートを持ち替えてノックをする寸前でその戸は開閉された。
「お待ちしてました…っとおや。菊丸くん。彼女を手伝ってくださったのですか?君はいい男になりますね」
「おぉ!先生びっくりした〜ってかそんなに褒めても何も出ないけどね」
『何で私たちが来たとわかったんですか?』
「いえ。普通に勘ですよ。面白味もないですがそろそろ来る頃合いかと思いまして」
一先生は私たちを中へ招き入れ広い長机の上にノートを置くように指示を出した。重いノートを菊丸くんが置くと私の腕の中にあったノートは先生が代わりに持って置いてくれた。
『先生は紳士的ですね』
「女性に重い物を頼んでおいてなんですけどね」
「さてと。そろそろ行こうよ弓波ちゃん」
『そうだね』
「部活ですか?」
「そうだよ。関東大会が近いからね。今日も遅くまで練習だにゃ〜」
「それは大変ですね。あまり暗くならないように帰宅してください。特に弓波さんは女の子ですから、近頃は後をつける不審者もいるようですので。誰かと一緒に帰宅した方がいいですよ」
『心配してくださってありがとうございます。気をつけます』
「じゃあね〜センセイ!またあした!」
菊丸くんが手を振ると先生も手を振って見送ってくれた。後頭部に腕を組んだ菊丸くんが呟く。
「な〜んだ。思ってたより優しい奴じゃんか」
部活が終わりを告げたのは17時頃。やや明るい夕暮れ刻だったが全員が帰宅するまで私の仕事は終わらない。部室の施錠は大石くんが行うため私がやることと言えば備品の整理と日誌やスコアの記録をまとめたりファイルに保存したりする。今はタブレットも導入されたため編集が楽になったとは言うものの。部内で一つしかないため乾くんと共同で使用している。私が資料をまとめれば乾くんがそれを持ち帰り家でデータ整理をするのが流れである。部室の掃除も軽く済ませボールの数や状態なども記録し補充するリストに書き加えるまでマネージャーの仕事は多岐にわたる。だから必然的に帰宅路につくのが部内では後ろから二番目か最後になってしまう。今日は大石くんが早めに帰らなければならなかったため、鍵をもう一つ所持している私が部室を最後に施錠した。
その頃になると辺りには外灯がつき始め夜道を照らす鈴蘭のように撓っていた。リュックを背負い帰路を歩く。指を折りながら竜崎先生から追加のあった練習メニューの復唱とそれに伴うテーピングやらの備品の数。そしてドリンクに必要な材料などの調整も含めて考え事をしながらコンクリートを擦る。
ふと、視線を感じたので立ち止まり振り返る。人通りがない訳ではない道にはすれ違う人が幾人かいた。だが、終始見られている訳でもないようで、急に視線が削がれた感じを受け、私は首を傾げた。確かに見られていたはずなのに急に興味を無くしたみたいに気配も何も感じなくなったことに違和感を覚える。だが自意識過剰に反応しているだけかもしれない。最近まで端末機を照らす光はここ週数間は音沙汰がない。飽きてしまったのかもしれない。あの手の類のものは相手の反応を見て楽しむような趣向の持ち主だ。実行に移したのかと思って振り返ったが気のせいだと片づけて再び帰路に戻る。
だが後ろから駆け寄ってくる音が段々と近づいてきている事を耳が拾う。背後から手が伸び肩にかかる寸前で振り返るとそこには普段通り仏頂面をした手塚くんが居た。思わず胸を撫で下ろし、自然と止めていた息を吐き出した。
『なんだ手塚くんか』
「弓波。こんな時間まで部室に居たのか」
『あ、うん。ちょっと整理に追われて』
「あまり関心しないな。お前はよくやっているが自分の事を蔑ろにすることはやめてくれ」
『……それ手塚くんにだけは言われたくないワードだね』
「む。しかし女性の一人歩きは注意してくれ。今日は俺が送って行こう」
『いいよ。手塚くんの自宅と反対方向じゃない。そんな暇があったらストレッチをして疲れを解してください』
断ると手塚くんは無言で私の頭部まで手を持ち上げ髪を撫でつけるように触れた。何も語らない口は結ばれたままでその瞳が有無を言わせない所為で私は大人しく手塚くんに家まで送ってもらうことにした。
―――眼力が半端なかった
この日を境に私の帰路は賑やかになっていったのだった。
毎日、代わる代わるに人が私を家まで送ってくれる。その不自然差と言ったら口をついてしまえば終わってしまうのにまるで言えないようにその指摘を私は憚れてしまった。
先日、ついに苦言を提出したのだが竜崎先生というマジックカードを使用され呆気なく私の論弁は却下されてしまった。乾くんを敵に回したら私などなす術などないのだ。策士も策に溺れるだろう。だが私の場合は策も杜撰に敗北宣言だ。白旗は常に用意しながらの応戦など勝敗は目に見えているというものだっただろう。
結局のところ。私は常に誰かと二人三脚で行動を制限されてしまっていた。
「皆さん過保護ですね」
『単に私が頼りないってだけですよ』
「過小評価もここまでくると一層の事笑ってしまいたくなります」
『先生も大分酷い言掛りしますね』
一先生がテニス部を見学にやってきた。前々から見てみたいと言っていただけあって訪れた時には私も歓迎モードで出迎えた。教員はやることが多いと聴く。仕事の合間をぬってやってきたのだろう。お疲れ様です、という意味も込めて頭を下げると先生は首をやや傾けながらも「活気がありますね」と穏やかに笑みを浮かべていた。
「夜鷹先輩―!ばあさんが買い出しを頼みたいって伝言預かってるんスけど」