「先日、あ、いや一昨日?あーいやーもうッ凡てにおいてありがとうございましたッ!」
90度のお辞儀を示す敦に色葉は柔らかく笑み椅子に座り直すように促した。喫茶店うずまきにての出来事。
『気にしなくていいですよ。其れに御礼ならちゃんと受け取っております。これ以上頂いたらお腹が膨れて破裂してしまいます』
「でもちゃんと面度向かって云いたかったので」
『律儀なんですね』
嬌笑する色葉と目が合うと敦は顔中に熱を集中させ顔を覆い隠した。微笑ましい光景に谷崎とナオミはお茶を飲み乍ら眺めているが、その隣では阿鼻叫喚地獄が広がっていた。国木田さえ目を合わせないようにその光景は視界の端で展開される。
「久しぶりじゃないのだーざーいーくーん。相変わらず顔だけは美味しそうね」
「小春サンこそ美しさが損なわれず、溢れるばかりの其の美貌に目が潰れてしまいそうデス」
「褒められると照れるわ。ありがとう太宰クン。でも……その眼二つも要らないわよね?獲っちゃいましょうよ。保険金賭けてから」
「……誰が其んな事をするとでも?少し考えれば解る事じゃないか小春サン」
「手前みたいな自殺願望機の思考回路何ぞ誰が読み取りたいと思うのよ、お間抜けサン」
拳が空気を裂く。温和で美しい顔つきの小春から繰り出されているその鉄拳は顔に似合わず店内の調度品を無へと変換している。其れを一度食らえば必ず地獄へと案内される事は明白なため太宰は半ば冷や汗を掻き乍ら避けていた。
「小春ちゃん。あまり迷惑をかけちゃだめよ」
「害虫駆除」
言い返す暇もない即答にこの場に居た誰もが「あ、嫌いなんだ心底」と理解した。日常的な光景なのか、色葉は気にも留めずに紅茶を飲み優雅な一時を堪能していた。敦の隣には小雪がタブレットに文字を打ち込み。色葉の隣には小雪を連れて来た乱歩がラムネを飲み干す。
「今日は連れて帰ってくれるんだよね、小春さん」
『ごめんなさい乱歩さん』
「別に君の家族だから仕方ないけど夜中に灯りもつけずに佇まれると倶い」
『それは小雪姉さんの癖ですね』
「え、病気なの?」
「徘徊していないわ。唯……貴方と色葉ちゃんが同衾しているダブルベッドが気になって」
「どちらかと云えばベッドより様子が気になるだけだろ君。ネタにされるのはご免だよ」
「あら……鉄板じゃない。若い男女が一つのベッドで眠る……めくるめく官能の世界の香りがするわ。今日は間で寝かせて」
「帰って」
沢山の地雷に飛来した探偵社(男性)一同は開けた口を閉じる事敵わず。
「え…あの、乱歩さんって、た、確かに同じ香りがするとは思ったけど、えッ?」
「一緒の…ベッド……矢っ張り乱歩さんとは男女のナニのソレで?!」
「谷崎、断じて其れは無い。稀代の名探偵である乱歩さんに限って俗世に惑われるなど非現実的すぎる」
「国木田さん手帳が逆さまですよ」
敦に指摘され国木田は奇妙な言葉を口から唱え始める。谷崎は妹のナオミに肩を揺すられても抜け殻状態だった。敦でさえも爆弾を投下された面持ちでソファーの上で体育座りを始める始末。屍の塁ばかりが蔓延る喫茶店うずまきの店内は混沌としていた。関節技を決められ床を叩いている太宰は必死に口を動かす。
「いっ今!いま乱歩さんがお宅の妹様と同衾してるって云ってるんだけど其の処遇については!」
「はあ?幼稚園児のお昼寝まで取締る訳ないでしょ」
「幼稚園児は君の脳内だけだ」
「……今日は特別コースにしようか、太宰」
太宰の断末魔が店内を彩った。
「賑やかね色葉ちゃんの職場」
「五月蠅いだけだよ」
「楽しいかしら?」
『はい!とっても楽しいです』
無間地獄の何よ其れ。魑魅魍魎さえ可愛らしい玩具と化したこの景色で、色葉は柔和な笑みを浮かべていた。
「色葉。仕事だよ」
『与謝野先生』
「悪いけどアンタが適任だったから任せていいかい?」
『はい』
「終わったら上がって善いからゆっくりしておいで」
『ありがとうございます。与謝野先生』
「怪我、大分癒えたねぇ。この分なら青葉を呼ばなくても良さそうか」
『青葉さん。今が架橋時のようですから』
「遠慮しないでこき使えばいいさ。ほら暮れる前に行ってきな」
『はい。行ってきます』
「色葉。今日は蕎麦食べたい」
『海老ですか?』
「うん」
『解りました。家に乾麺がありましたので海老だけ購ってきますね』
「よろしく」
明るい日の元へ背中が遠ざかる色葉に手を振って見送る乱歩。ズレた帽子を被り直し冷めきる前にソファーに寝転んだ。背もたれに肘を置き、与謝野は哂うばかり。タブレットを操作していた指を止め、小雪も目を細める。其の画面を覗いた敦が尋ねた。
「あの先程から何を書いているンですか?」
「坊やには少し早い人間の罪深き蛮行よ」
「え?」
「官能小説だよ」
乱歩が興味なさげに口を滑らすと敦は目が点になっていた。
「江戸川君は拗ねているのよ」
「拗ねてないから」
「小雪は此れでも売れっ子作家さ」
「然う云えば太宰さんが云ってました。作家さんだって」
「興味があるなら寄贈しましょうか?」
「へっ!」
「小雪さんの小説は男女共に人気ですから読むのも一興ですわ」
「あーでも結構刺激が強いよ」
「谷崎さん読んだんですかッ」
「ナオミが勧めて来て……」
「国木田も読んでたよねぇ」
「よ、読んでません」
「……乱歩さん」
「国木田はこっそり自宅で読んでた」
「粗末に超推理使わないでください」
「私は愛読者さ」
一度は生死を彷徨っていた太宰だが、どうやら復活したようだ。カウンター席に座り晴れやかな顔をしている小春の様子から満足するまで味わったようで、珈琲を飲んで休憩している。
「小春さんは確か現国教師でしたよね?」
「あら、可愛い新人ちゃんは記憶力がいいのね。誰に教えてもらったの?」
「谷崎さんです」
「為らば赦す」
「小春ちゃん。気分は晴れた?」
「そうね……3分の1くらいは」
「あれだけ好き放題間接全ての骨を外しておいて佳く云うね」
「晶子ちゃんが居るし平気でしょ?ああ、天才太宰治は有能な異能力のおかげで受診出来ないんだったね。其れは残念ね」
悪鬼の顔をして嗤っている小春に敦が小さな悲鳴をあげる。小雪が小春の名を呼ぶと余所行きの表情へと戻った。
「ンで、小雪。今なら社長一人だけだけど。いいのかぃ?」
「……わ、わたしのような者があの方の傍に行くなんて……おこがましいわ」
与謝野の言葉に小雪が顔を赤く染めて乙女のように恥じらった。先程まで男女の同衾がどうのと云った人物とは大違い。
「小雪さんは社長を慕っているからね。女の子とはこうでなくては!」
「あ、そうなんですね」
敦の声に小雪が肩を震わせる。羞恥心に苛まれている小雪の様子に太宰は「ああ、此れこそが女の子たる所以」と上機嫌に小雪の周囲を歩く。だが、谷崎、ナオミ、与謝野、乱歩は席を立ちあがりそそくさと喫茶店を背にした。国木田は店長と従業員に頭を下げ状況を理解していない敦の首根っこを掴んでから退場する。残ったのは上機嫌な太宰と幽鬼に揺れる小雪、指の第二関節を小刻みに鳴らす笑顔の小春だけが残った。
「小春ちゃん。太宰君は色葉ちゃんの後をつけ回し仕事を押し付け、挙句の果てに口説き抱き寄せ他所の女に手を出し、其の恨みを色葉ちゃんに祟らせた事数えきれないわ」
「語弊があるよ小雪さん。私は本気で彼女の事を好いて――」
風を裂く音が耳殻に届く。頬が斬れ血が滴るのを哂ったままの表情で凍てつかせた太宰。彼のぎこちない首がゆっくりと羅刹の方へ向けば覇者が君臨していた。
「矢っ張り二度殺してから三度死ね」
家屋損害賠償が請求された。
乱歩さん!乱歩さーーーん!!成分が足りないので盛り込んでみました、よろしくお願いします