『此方が報告書になります』
「ありがとうございます」
涼やかな喫茶店内は新しい異文化を取り入れた最先端を催している。情報流出の件についてIT企業の専務が根を上げて探偵社に依頼。調査するとデータバンクに侵入したハッカーを突き止め捕縛。軍警に引き渡した後、犯人の背後に潜む競争会社の目論見を排除。其の食い止めた結果を赤裸々に書かれた報告書に目を通す若い専務。硝子の中に反射する氷の澄みきる輝きに紅樺色が揺らめく。黒いストローをくるりと回しながら喉へ流す。トン、と机の上に報告書を整える専務は凡てを読み終えた後だった。
「読みやすい報告書。ありがとうございます。此れは貴女が?」
『恐れ入ります』
「貴女のような女性が我が社に居たら此処まで落ちぶれもしなかったでしょうね」
『…其の様な買い被りはおやめください。誰がどの様な行動を取ったとしても結末は同じであったかもしれません』
「はは、僕と歳が近そうなのにはっきりと云う方だ」
『其れは申し訳ございません』
「いえ、仕事とは本来対等な関係。依頼者であろうが…此度はありがとうございました。報酬は指定の口座に振り込ませて頂きます」
『此方こそご依頼ありがとうございました。また機会がございましたらご贔屓に宜しくお願い致します』
頭を下げると専務はぬるくなった珈琲を飲み立ち上がって伝票を手に去る。残されたアイスティーと溶けきらないガムシロの小夜曲に瞳を閉じてお散歩でもしようと思い立った。
港がある貿易地域なヨコハマは潮風を街へと運ぶ癖がある。普段から観光客を楽しませる建物や遊具たちを眺めながらゆっくりとした歩調でヨコハマを歩く。髪を抑え風にさらわれる中一人の幼女が泣いていた。遊具に囲まれ人も多くある場所で涙を流す幼女に誰も近寄ろうとしない。私は幼女へと駆け寄り膝を折って声をかけた。
『こんにちは。可愛らしいお姫さま』
「ひっひぐ、ままぁ」
『お母さまと逸れてしまったのですか?』
「うん」
『大丈夫ですよ。お姉さんは魔女さんなのです』
「まほうがつかえるの?」
大きな瞳に涙が溜まる幼女の顔をハンカチで拭き、其のハンカチを掌の中に詰めて隠す。幼女が覗きこむと中から花が飛び出した。手品の一種ですが喜ばれ、夢中になり「おねえちゃんしゅごい!」と興奮気味に警戒心を解き懐かれる。立ち上がり手を差し出すと小さな手が私の指を握る。
『お母さまを探しに行きましょう』
「うん!」
『お姫さまのお名前はお聞かせ頂けますか?』
「おねえちゃんまじょなのにわからないの?」
『おやおや…お姉さんの魔力を侮ってはいけませんよ仁菜ちゃん?』
「え…しゅっしゅごい!おねえちゃんまじょさんだ!ねえねえ!わたしもまじょさんになれるかな?」
『成れますよ。私の年齢になりましたら』
瞳を輝かせ仁菜ちゃんは其の小さなお口でお母さまのこと、お父さまのことを話してくれた。今日はお母さまと購い物に来たそう。
『お父さまは優しいですか?』
「うん!まえはおしごといそがしくあそべなかったけど、いまはたくさんあそんでくれるよ!」
『そうですか。お父さまのこと好きですか?』
「だいすき!」
笑みが深まる。私の所為で脅かせる心配はないようだ。何処で誰がどのようにして監視しているかわからない。無関係の家族を巻き込む等言語道断だ。私の理に反する。小さく温かな掌に掴まれる感覚は、何とも云えない。どうしようもなく加護したくなってしまう。横断歩道を渡りきると「コホッ」と咳払いが耳に残った。病でも患っているのかとすれ違う黒衣外套を羽織る男性と目が合う。見覚えのある其の黒き瞳に気を逸らす私の意識を戻す様に仁菜ちゃんが手を引き早くと急かす。引かれるままに歩む足が途端に止まった。仁菜ちゃんの瞳が一人の女性を追う。彼女の母親だと私も認識するや否や仁菜ちゃんの視線に気がついた母親は仁菜ちゃんを視界に収めると動向を開かせ駆け寄る。
「仁菜!」
「ママ!」
仁菜ちゃんは確証を得ると握った手を離し親元へ駆け出す前に私は其の手を掴んだ。仁菜ちゃんは引き留められ不思議そうに私を見上げる。
「おねえちゃん?」
『仁菜ちゃん。危ないから此処で待っていましょう』
仁菜ちゃんの疑問の声は、母親が到着と共に喉奥へと流れた。私は手を離すと仁菜ちゃんは母親の腕の中に飛びついた。
「仁菜!よかったわ…交番に行こうとしたら爆発が起きて彼処に居たらと心配したのよ」
「ごめんなさい」
涙に濡れる声が腕の中に落とされていく。騒々しい賑わいに些かの疑念は拭えない。
『あの爆発とは何か事情をご存知なのですか?』
「は、はい。実は交番が突然爆破されたみたいです……」
『もしかして…ッ!』
術中の中だと気がついた時には、立ち上がり説明をしてくれた仁菜ちゃんの母親に注射針を刺され液体を血中内に注ぎ込まれた後だった。
『…ポートマフィアに依頼されたのですね』
「…ごめんなさいっ」
『謝る事はありません。貴方は貴方の出来る事を実行しただけですから。其れより貴方の依頼は此れで完了ですか?』
「は、はい…」
『では何事も無く娘さんと一緒に此の場を離れてください。大丈夫です』
促すと注射器を自分で外し鞄の中に入れ、仁菜ちゃんを抱き上げた母親は迷子の母親として此の幕を下ろした。
「バイバイおねえちゃん」
『もう、其の手を放してはだめですよっ』
手を振り返すが眩暈が躯を支配しつつあった。抗体性が出来ていたはずの麻酔や睡眠薬の類。此の程度なら効かない筈が指先に痺れが走り間ともに力が籠められない。血中に直接だったからなのか、其れとも新薬だったからなのか。覚束ない足取りで踏み出したが体重を支える余力も無く傾く躯。其れを前から来た黒衣外套を纏う先程の男に抱きとめられた。腰に回された腕に力が籠り支えられる。
『随分と捷い給仕ですね…っ』
「貴女の臨みを叶えただけだ」
『あの方達に手を、ださないでっくださ、い』
「其の新薬は貴女の為に作らせた特注。睡眠と神経系の毒を混ぜた物、常人なら意識を喪う頃合。然し貴女は矢張り別格のようだ」
彼の胸に額を押しつけ苦悶する意識。手放せば堕ちるのみだと解っていても強烈な意識遮断と感覚麻痺の猛威に成す術も無く外套を掴むように手を添えると其の甲を包まれる。
「今は眠れ。口など幾らでも交わせましょう。貴女が僕の中に居るならば」
『あく……、たがっわ……くっ』
虚しく堕ちる意識の端切れ。体重が彼に圧し掛かり端から観れば恋い慕う相手との気持ちの表れにしか執られない現状。抱き寄せる腕に力が籠り隙間さえ赦さず埋め込む。
「憶えておられたか僕の事を。たった一夜の邂逅だったと云うのに……」
静かな声が落とされる。隠された熱情に気づきもせず深淵へ飛び込む最中。吐く息が温かく睫毛を震わせ乍ら乾いた皮膚が肌に落ちた。
「色葉さん」
―――御目にかかりたかった
昔も思ったけどこの子が一番執着心強そう。独占欲もそう。断トツだと思うぞ、我。でも純粋という項目のみ。歪んでるのは太宰さんでしょ。やっぱ。