雨夜の品定め-四






白み掛かる少年の小さな背中が遠ざかる。僅かな名残惜しさと肥大する諦めの境地が少年の胸中を占めた。迷える導きに方位は狂ったように回るだけ。少年は途方に暮れひとり其の場に立ち尽くしていた。

「色葉」

繋ぐ指先が僅かに震え福沢は名を静かに呼ぶ。だが、瞼は依然閉じられたまま。温もりを確かめるように繋ぐ指先に力を籠めるが春野に呼ばれ彼は責務の為に此の場を離れなければ為らない。名残惜しいが立ち上がると色葉は指先を弛めた。一驚する福沢だが頭を撫で背を向け退出する。
暫し静寂の訪れ、階段を駆け降りる音に色葉は漸く覚醒した。真っ白な天井を見つめたまま左腕に刺さる点滴針を慣れた手つきで固定具と共に外し、入院着を脱ぎ室内に置いてあった自身の服を着用。医務室のノブを回し迷わず足先は探偵社を背にして外界へ下り立った。
其の足取りは啓示された目的を持ち、靴底をアスファルトに叩きつける。手を伸ばして服の皺を掴む。後ろへの引力に其の人物は目だけを送ると彼女の存在に目を見張った。

「色葉さんっ?!」

名を呼ばれた彼女はまだ少し青白い顔色をし乍らも少年に微笑みを向ける。驚愕している少年、中島敦は茫然とし色葉の姿を瞳に映す。普段着を着用しているが起き出して平気なのかと案じる表情をし抓んでいた彼女の手をとる敦。対面する両者。彼女の唇が僅かに動き、息を呑む。そしてーー、

『飲み物購ってきていいですか?』
「……はい?」

開口一番の台詞にしては肩に張った力が抜ける思いで敦は素っ頓狂な声を上げたのだった。







 長椅子に腰かけ飲料水に喉を潤す色葉を横目に敦は困惑気味に様子を伺う。

『脱水しかけました』
「あの、外に出ても平気なンですか?」
『誰にも告げてないですね、外出するとは』
「…それは、怒られる奴ですね」
『其の時は敦くんも一緒に怒られてくださいね』
「僕はもう……」

敦の口から其れ以上の言葉が続かず、口を閉ざしてしまう。ペットボトルの蓋を閉めて半分位無くなった飲料水を揺らし、色葉は両手で包む様にペットボトルを持った。

『私は敦くんより先輩です』
「へ?」
『標的歴は十年を越えてしまうでしょう』
「…標的歴って、面白い日本語を使いますね」
『でも年齢的にも私は年上なので経験は豊富かと』
「あ、そうでした」
『其の十年の先輩が周囲に悪逆を振り撒いても居座ってる図太い神経主なので、遠慮をする必要などありませんよ』

身を乗り出し、敦に語り掛ける色葉は。其んな事は些末だと告げていた。軽やかな調子で和やかに微笑む彼女の態度に敦は自尊心が乏しい故に肯定も否定も出来ずに彼は往来で立ち止まっている。途方に暮れた迷子の幼子が其処に佇んでいた。
色葉はペットボトルの蓋を緩ませ半分程残っていた水を宙へ溢す。当然重力に従って滴が頭上へ降り注いでくると想定するが其れには至ることは無く宙に浮かんだまま水珠は幻想的な空間を作り出し、彼らを包んだ。

「どうやって……」
『異能とはこんな風に使うことも出来るのですよ』

彼女が指す水珠には様々な景色が透けて視えた。行き交う人物、街並み、彩る木々と青々しい空。小鳥が通り過ぎ、蝶が舞う。この世界の色彩たちが一気に流れ込んでくる此の空間は例えるなら地平線の彼方。未だ見知らぬ大地を目指し其の頂の途中であるのだと思わせられる空間を見渡す敦は、朗らかな笑みを浮かべながら中心に起っている少女へ焦点を合わせると鼻腔を膨らませた。

「矢っ張りあなたは…」

言葉は其処で途切れる。平穏な街並みを襲う不協和音に敦は音の奏でる方へ視線を向けた。其の音の出所は探偵社だと浮かぶ脳内に焦燥が迫りくる。早鐘に脳内を振り回され原型も留められない脳味噌が一言だけ呟く。敦は一歩踏み出そうとした時、彼の手を両手で包む色葉に引き留められる。意思を尊重していない行為ではない。考えがあって彼女は少年の前に立っていた。

『敦くんは今、何を望みますか?』
「僕は――探偵社に行きます!」
『ならば其の命に従いましょう』

水珠が彼らの周囲に飛沫、異能が解かれた事を知る。そして同時に改めて異能力が発動されていた。眩い光が集まり躯を覆い隠し余りの眩しさに耐え切れず目蓋を瞑る敦の耳に残った彼女の言葉。

『大丈夫。敦くんなら絶対に大丈夫です』

鼻腔に嗅ぎ憶えのある香りが届く。敦は目蓋を持ち上げると虹彩に広がる景色は探偵社内部だった。国木田、賢治、乱歩、与謝野が侵入者である黒蜥蜴を一網打尽にし床に転がっている。凶悪な武装集団と敦は聞かされていたのか自身の予想を裏切る現実に目を疑う。其の様子を手を握ったままの色葉は喉でくすくすと笑っているが突然の彼らの登場に国木田が怒るのは当然だった。

「おお帰ったか、って色葉ッ?!お前は医務室から抜け出したな!」
『御免なさい独歩くん。ちょっとお散歩したくて…』
「今の状態で散歩をする奴があるか!与謝野先生」
「時間的に輸血も終えた状態だろ。気分転換にはなったかい?」
『はい』
「そうかい」

与謝野はマフィアの構成員の背中を足蹴にしながら色葉の傍まで歩み寄り状態を簡易的に診るが、顔色を覗けば正常値であることが解ると彼女の擁護に回った。にこやに笑う色葉の頭を撫でている姿は姉妹のようで賢治に至っては「元気になってよかったです」と暢気に感想を述べながら窓から襲撃犯達を棄てていた。

「はあ…まあ動けるようになったのならいい。心配したんだぞ」
『御免なさい独歩くん。ちゃんと仕事復帰するのでお手伝いさせてください』
「……ああ。山積みに仕事は残ってるぞ」

国木田もまた気の抜けた表情をとり彼女と会話を交わす。そして敦に振り返り矢張り色葉は笑むのだ。其処にどんな意味が込められているのか此の時ばかりは敦にも理解できた。

「これだから襲撃は厭なのだ。備品の始末に再購入どうせ階下から苦情も来る業務予定がまた狂う。しかしまあこの程度いつものことだがな。おい呆けてないで手伝え仕事は山積みだ」

肩に手を乗せられ敦はやっと感情が体現され、一粒の滴が頬を伝い漸く息を吸い唾を嚥下した。



「運命論者の悲み」此れにて終。少し書き方を変えてみました。賢治くんを喋らせることが出来ない私をお許しください。決して嫌いとかではなく、単に会話に入れないだけなのです。国木田くんがお兄ちゃんみたいでどうしようかと思います←




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