此処に一人の色男が嘆息していた。其れは胸の内から哀しみに暮れていたのだ。
「乱歩さん。其処に居るのでしょう?」
「居るね」
移動が出来る椅子に背もたれを前にして跨る様に座る江戸川乱歩が移動しながら太宰治が眠るベッドへ到着する。片手にラムネを持ち乍ら太宰の視界に入った。太宰は肘を立てて掌で頭を支えて身を少しだけ起き上がらせる態勢になってから舌を転がした。
「良く耐えられますねこの状態で毎日」
「そう?」
太宰の視線は一度自身の傍らで完全に熟睡している少女へ向けられる。健やかな寝息をたてつつも太宰の手を握って離さない。此の状態を彼是3時間経過しているが、彼女は寝相がいいのか微動だにしていない故に太宰は苦悩した。
「両手が自由だと抱きついてくるよ」
「えっ、それ本当ですか?」
「うん。抱き枕だと思われてるからね」
「然うですか」
「何其の笑顔…太宰の望む様な展開は無いから。寧ろ創造の世界の産物だね」
ビー玉を揺らし、炭酸を喉に流し込む乱歩。涼しい顔をする乱歩とは対照的に太宰は弥弥憔悴していた。
「私が彼女に択ばれなかった理由が解りますよ」
「ん?住む話かい」
「私は此の状態を……30秒しか我慢出来ない。少なからず愛しいと思っている女性が同じ閨に居て隣で眠るなんて、そんなの据え膳食わぬは男の恥!」
「太宰の場合。別に隣に女が眠っていれば手を出すでしょ」
「其れなら相手から嗾けられない限りは我慢出来ます」
「どういう基準なの」
「だって、隣に色葉ちゃんがッ!あの私にだけ氷柱で心臓を狙い撃ちしてくる狙撃手色葉ちゃんが大人しく私と同じベッドで眠り手を握る、剰え抱きつくなんて事をされたら…ッ、1秒だって待てない」
「冗談で云ってない所が気持ち悪いね太宰」
「いま己の理性を張り倒してます」
「莫迦だな」
喉で哂う乱歩に太宰は今も自身の頸筋に温かな息をかけられ踏ん張っている最中。頭の中は犯すか襲うかの一択しかない。
「乱歩さんは不能とか?」
「失礼な上に莫迦な質問をする奴だな。あるに決まってるでしょ性欲くらい。人間の三大欲求だよ」
「じゃあ何年も佳く我慢してますね。私ならもうとっくに犯してます」
「君あとで国木田に説法されるといい。あのね、僕だって抱き枕で居られない時もあるんだよ」
ラムネの飲み口を指でつまみ背もたれに顎を乗せて腕をだらけさせる。ゆらゆらと揺れるラムネの瓶がビー玉と共に鳴る。
「なんと!」
「当たり前でしょ。男の構造上理性と性欲は直結してない。僕だって欲情する時はあるし理性で抑えられない時もある。でも彼女は誰かが傍に居ないと眠れないんだから仕方ないじゃないか。其れに僕は無理矢理自分の物にする趣味はない」
「ほぉ…では成長するまで待つと?」
「僕はね。欲しいものは欲しいと思う欲深い人間だ。でも僕が欲しいと思うなら相手も同等に欲しがってくれないと対等の関係じゃない。其れが嫌なんだよ。だから僕と同じくらい求めてくれるようになるまで育てるのが僕の教育理念」
「それはそれは随分と…魅力的な愛ですね。私なら嬲る様に焦らして、奪って、征服し尽くして私が居なければ生きられない堕落した人間にさせたい、のが私の愛」
爽やかな笑顔を浮かべて太宰は述べた。乱歩は其れを口端を上げるだけでいなす。
「頭のいい奴の恋愛は気分が悪いですね」
「其れは同感。考えている事が佳く理解出来る」
云い終えると互いに嗤い合う。医務室が一気に魑魅魍魎が跋扈する時代背景と化していた。
「其れで稀代の名探偵殿。迷える仔羊にご教授願いたい」
「……殺人事件の調査資料を読んで異能を遣ってる」
太宰は理性を取り戻す方法を尋ねたら乱歩らしい解答が返って来た事に目を丸くさせる。欲望塗れの脳内に一点の集中力を築く事により意識を逸らす戦法なのだろう。しかし、太宰は想像した。抱き着かれ眠る彼女の頭越しに資料を掲げて推理をする乱歩の姿を。其れはあまりにも……不釣り合いだった。
男女の睦事ではないが、相応な場面で人が殺害されたスプラッター写真を見て推理する等とは常人が為せる技ではない。然し実に江戸川乱歩らしい回避の仕方だと太宰は納得の境地だった。
「一晩に何件解いたんです?」
「…5件」
「ああ、という事はあの日何故完徹だったのが頷けました」
「あの日が一番危なかった。僕の本能が理性を打ち負かし挙句の果てに彼女は寝相が良いのにその日は脚でも挟まれた……まあ、僕は異能と共に優秀だからね。そっちも集中すれば優秀だったよ」
「…心中お察しします」
「うん……所で太宰は今大丈夫なの?僕の予想だとそろそろ危ないんじゃないかな」
「解ります?名残惜しくて離れがたくて…こんな機会は滅多に巡り合わないので、少し頑張りすぎた」
弱弱しい力で太宰の手を握る色葉の安らぎを得た寝顔に、太宰は枕に頭を沈ませ空いた手で頬を撫でた。滑らかな指通りの素肌は穢れも知らぬ無垢な子供の様で背徳感が押し寄せる。乱歩は銀細工の懐中時計の文字盤を確認、来たる何かを待っていた。
「男は虚しい生き物だ。愛しくて壊したくないのに綺麗な彼女を滅茶苦茶にしてしまいたくなる」
「ほお…なら俺がお前を今此処で去勢してやろうか」
「おや?国木田君じゃないか。どうしてここに?」
「お前を探していたに決まっているだろう!最悪な事態になるから早く手伝え太宰!病人に手を出そうとは貴様は其れでも男か!」
「男だから手を出すんじゃないか」
其の後、怒髪天を衝いた国木田は太宰の頭を掴み頭蓋骨を締めた。其の握力から逃れたいが片手が塞がっているため叶わない。
「国木田君ッ!手、手を掴まれてるから!離れられないのだよ」
「なら其の手を切り離せばいいだろう」
「時々君って男は発言が末恐ろしい」
「いいね!手は1つでも事足りるよ」
「乱歩さん?!」
「何を揉めている」
渋い声に三人は発信する位置へ顔を向ける。其処には佇まいに厳格がある社長が立っていた。
「社長!どうして此処へ?」
「社員を心配しては為らんのか」
草履を滑らせ乍ら色葉の元へ歩むと太宰の手を掴んでいるのが見えた。福沢は暫し其の光景を見つめた後、彼女に指先を伸ばし鼻の頭を軽く2回程突くように触れる。すると色葉は掴む力を弛めた。太宰は解放された手より福沢の行動に意識が向く。
「此処は私に任せてお前たちは業務に中たれ」
「はい、ッ?!」
きびしを返した瞬間、国木田の手を引きとめた。目をやれば細い指が国木田の手を握っている。あまりにも無邪気な寝顔をしている色葉に強く云えずに口籠る国木田。
「色葉」
福沢が見兼ねて名を呼ぶと弥弥唸ったもののゆっくりと国木田から手を離し代わりに福沢の手を握った。周囲は静かに其の様子を眺めていたら、福沢が視線を投げると「さて仕事だ!」と国木田の号令により医務室を出て行く。
「流石だね。彼女と古からの付き合いがあるだけある」
「俺が入社する前から色葉は社長と乱歩さんと共に居たからな」
「社長は彼女の父親代わりだからね。扱いも長けているに決まってる」
「乱歩さんでも知らない事あるんですね」
「おい、太宰!口が過ぎるぞ」
「別に僕は知らないとは云ってない」
一歩前に飛び出しくるりと回って乱歩はふたりを追い越した。
「じゃあ彼女の抱き枕を進んで成ってるという訳か……まるで夫婦だね、実に羨ましいよねえ国木田君」
「ああ……っ!いいから仕事に戻るぞ!今日こそは逃がさないからな太宰!」
賢い人の恋愛って策略ばかりで凄そうだなって思って……書いたらただの駆け引きだった。てか恐い。胃もたれどころか背後から殺されそうだった。ヤンデレ男子って……可愛いもんじゃな← 祝10000打達成★