闇の中で咲く一凛の花。其の気高く哀しき宵の口で少女は貧弱な太陽に触れた。
「捕えた者は収容しておけ」
芥川が咳を設け乍ら指示を出している最中、鏡花は差して興味も無い様子で此の場から立ち去りたかった。だが芥川の指示無くしては此の場から立ち去る事も儘ならない。己の意志など此処では皆無なのだ。眼を配せると芥川の横顔は普段より幾分か機嫌が善さそうだ。其れも其の筈だろう。何故なら念願叶って手中に納める事が出来たのだから。其の二つに関与している鏡花は些か居心地が悪そうに自身の爪先へ視線を落とすと芥川が漸く鏡花に気がついた。
「戻れ」
其の言葉に無言で従おうと背を向けた途端。彼の部下である黒服の男が止めた。どうやら道が違うようだ。座敷牢へ目指した筈だと鏡花は訝しげに眉を寄せるが男は鏡花を普段とは違う道へと誘導し、其の後を辿れば普段入る事のない芥川の仕事部屋と案内された。中へ入る様に促され鏡花扉の取っ手に手を置き恐る恐る扉を開けると其処には頑丈な手枷が填められ長い鎖が床を這う、囚われのお姫様が似つかわしくない微笑みを浮かべて鏡花を出迎えた。
『おかえりなさい鏡花ちゃん』
心外な言葉だが紅葉以外に云われた事のない言葉に、自分より不自由な哀れな女に鏡花は表情を弥弥緩めた。傍まで歩み寄り膝を床につかせ色葉は鏡花の頬に触れる。其の表情はまるで母親の様で鏡花は喉の奥を乾かした。
『お茶菓子があるのであちらでゆっくりお茶でも致しましょう』
「……うん」
手を繋いでソファーまで歩み寄り互いに隣同士で座れば机の上にお茶菓子が広がっていた。彩る和菓子に鏡花の瞳は爛爛と輝かせ色葉を見つめるとお茶の用意をしていた色葉は鏡花に食べていいと笑むと手を伸ばして食べていた。鏡花の分と見張りの男の分を含めてお茶を淹れ手渡す捕虜の彼女に、見張りの男達も緩んでしまう。
『昨夜からお疲れ様です』
「あ、いいえ。わざわざすみません」
『お菓子もお食べになりますか?』
「いえ!其れは我が上司が貴女へ贈った物でございます」
『ですが、皆さんで食べた方が美味しいと思います。其れに…運動もしないで此れだけ食べてしまうと御豚様になってしまいますわ』
一瞬で此の場に流れる怨念を浄化してしまった彼女の柔らかな雰囲気に、周囲の人間達は皆閉まりの無い顔つきになり緩い拘束となっている。だが彼女は此処から出て行こうという意志はないのか。素直に鏡花の元へ戻ると一緒にお菓子を食べて穏やかな時間を過ごす。鏡花も緊張張り詰める心中を融かし次第に色葉の膝へと落ちては眠りへと誘われていた。鏡花の頭を撫で乍ら少女の躯をソファーへと寝かせ見張りの男に掛ける物を所望すると直ぐに持ってきて貰い、其れを鏡花の躯に包んだ。健やかな寝息を訊き乍ら室内へ入って来た男へ視線を走らせる色葉。其処には咳をしつつ芥川が静かに入室していた。
『おかえりなさい芥川くん』
「何故鏡花を此処へ呼んだのかと思えば、貴女の嗜好は其の様な幼子か」
『可愛いではないですか。又お仕事をさせるのでしょう。なれば此の儘此処で寝かせて上げてください』
「…邪魔になるなら即刻戻す」
緊張が走る室内で芥川に意を唱えても色葉の言葉だけは素直に聞き入れる芥川の様子に、部下である者達は皆不思議な面持ちだった。最初から疑念があるとすれば先ず捕虜を何故座敷牢へ繋がずに仕事部屋へと入れたのか。手枷で拘束をしているとは云え、此処は重要機密もあるような場所。其れにまるでもてなすような処遇。三食おやつ付きで考えられない待遇である。拷問も何もない。尋問もない。其して極めつけは―――。
「芥川さん」
「何だ」
「いいのでしょうか、其の首領に報告を上げなくてッ?!!」
「お前が知る必要も無い事だ。今度進言すればお前の頸は無いと思え」
何から何まで不可解で不気味で異様な捕虜と捕縛者。彎曲過ぎて誰もが思考を歪めて正常な判断など誰もが出来ていなかった。輪を掛けて捕虜が可笑しいのが悪い。此の捕虜は捕虜らしくない。泣き叫ぶ処か落ち着きすぎている。其れに敵組織に対して礼儀正しいのが頂けない。誰もが悪者になれない。此の聖女を前にすると誰もが縋り泣きつき礼拝してしまう。
*
「鏡花仕事だ」
芥川の言葉によって鏡花は安寧から醒めた。微睡が漂う瞼を擦り乍ら上体を起こすと躯の上に掛けられた布がずれ落ちた。ぼんやりとした思考で其の布を眺めている鏡花の耳に色葉の声が届く。
『おはようございます、鏡花ちゃん』
「……おはよう」
『顔色は幾分かいいですね』
頬に触れられる手は弥弥温かく、鏡花は目を細める。自身の状態を観察し心配してくれる彼女の存在を鏡花は母親を連想させた。和やかな雰囲気を壊す様に芥川の視線が注がれ鏡花は立ち上がり携帯を握りしめる。傍まで歩みよると芥川は鏡花の目の前に立ち尽くし手にしていた爆弾を鏡花へと投げて寄越す。
「此れをつけよ」
「……」
温度が急激に冷めていく。鏡花の瞳に色が無くなり切る前に色葉が爆弾に触れた。ぴくりと肩を跳ねさせる鏡花の瞳に柔らかく微笑みかける。爆弾を引き取り色葉は鏡花の躯に装着し始めた。静かにベルトを背中へ回し固定を続けるが色葉の手つきは異様で其れを誰にも気取られない様に動かし巧妙にベルトに仕込む。装着を終えると色葉は着崩した着物の袷目を正し静かにしまう。其して自身の頸に下げているネックレスを器用に外し、鏡花の頸へとかけてあげた。
「此れは」
『お守りです』
鏡花は手に取る。其のネックレスにはルビーが埋め込まれている薔薇の装飾で少しだけ錆びれていた。大切にされている事がわかる其のネックレスを見つめ乍ら鏡花は色葉へ視線を移す。穏やかな笑みを浮かべて鏡花を見つめていた。
『あとは此方にもお守りを渡さないと不公平になりますね』
時間が有限にあったおかげか色葉はうさぎの縫いぐるみをストラップのように作りあげていたようで、其れを鏡花の携帯へ付け足す。桃色の小さなうさぎに鏡花は目を輝かせる。ふたりのやり取りを遠巻きに眺めていたが芥川の咳ひとつで其の刹那の時間は終わりを告げ、鏡花は次の任務へと出掛けてしまう。後ろ髪引かれる思いで鏡花はずっと囚われた聖女へと視線を送り続けた。
重圧のある扉が閉まり、室内には芥川と色葉だけが残る。書類に目を通し乍ら芥川の思考は色葉に捕らわれている。
『首領に報告しなくていいのですか?』
「捕虜の貴女からご指摘を受けるとは…其の方が都合が悪いでしょうに」
『其れは芥川くんも然うでしょう。佳いのですか?』
「否事を……報告する必要などないでしょう。貴女の目的は首領に会う事。其の為に態々失敗を犯した鏡花を庇う真似事迄して…偽善者」
パタリと本を閉じ小脇に抱えるとソファーに座る色葉の繋がれた鎖を持ち上げ指の腹で触れた。
其処へ扉をノックし入室する部下、樋口がやってくる。其の姿を視野に入れると冷えた鉄屑に思う事は少ないが芥川は愛おしげに鎖を見つめては静に手放す。背を向ければ手短に告げた。
「席を外す。逃げぬ様見張っておけ丁重にな」
「はっ」
樋口が返事をし扉が主人に手を振る。暗闇へ吸い込まれた彼の背を見送る樋口の裾を引っ張る色葉。顔が強ばる樋口だが、色葉はあの時対面した少女とは様子が見違えるように、頭を下げていた。
『あの時は失礼なことを進言してしまって申し訳ございませんでした』
「……え」
『ご気分を害されましたよね?気を逸らす為とはいえ人様を愚弄する物言いをしてしまい、謝罪の機会を伺っておりましたがやっとお伝えすることが出来てよかったです』
「…ま、真逆ッ。其れを云うためだけに捕まったとか、云いませんよね」
引きつる樋口の口元を見つめ乍ら色葉は視線を逸らした後、やはりにこやな笑みに至った。
額を抑えて唸る樋口を余所に彼女の手を取って「赦してください」と懇願される。其の棄てられた子猫の様な仕草に樋口は心臓を掴まれ「怒ってません」とだけ口をつく。
『樋口さんはお優しいのですね。宜しければ私の話し相手になってくださいな』
「あ、はい…よろこんで」
居酒屋の店員のような言葉遣いで引っ張られる腕を其の儘に、ソファーへ並んで座ると乙女の話は広がった。
ひぐっちゃん好きだよ。えっと……軽く軟禁生活してます。やつがれ君の仕事部屋で。想像なんでもし違ってたらごめんなさい。創作ってことで。軽く家族感溢れる話を書いていて思ったことは「はよ結婚すればいいのに」だった。