霧不断の香を焚く-四






朧月が頭上に霞む頃、其の人は発した「大丈夫ですか?」と―――あの日を恨む事はあっても後悔はした事はなかった。

部下を押し退け扉を開け放つとソファーの上で樋口に寄りかかり眠りこけている色葉の姿を黙視した。怒髪冠を衝かれた状態で其の状況を目撃した瞬間、芥川の中で膨れ上がった憎悪が一身に色葉に注がれる。上司の登場に樋口は「芥川先輩。お疲れ様です」と通常通り挨拶をするが、顔を上げ其の表情を見た瞬間固まってしまう。樋口の腕を掴む色葉は起きる気配もなく樋口に掴まるその姿が彼の中にある感情を更に逆上させた。

「芥川先輩。お疲れ様です」
「下がれ、樋口」
「あ、で、ですが」
「下がれと云っている!」

芥川は乱暴に色葉の腕を掴むと樋口から切り離す。床に投げ出される衝撃に目を覚ました色葉は目を擦り乍らどんな状況なのか頸を傾げる。色葉の様子とは裏腹に芥川は尚も腕を強引に引き色葉は無理矢理立たされ其のまま奥の部屋と連れて行かれる。背後では樋口が眉根を寄せて静かに廊下へと吸い込まれ、最後其の大きな扉は閉鎖された。
声を掛けられる雰囲気でもない事を知る色葉は黙って芥川の赴くままに着いて行けば、到着した瞬間冷たいタイルの上に放り投げられる。金属と硬い床が擦れ打ち付けられる音が反響したため此処が浴室であることを周囲のシャンプーボトルなどを見て理解した。頭上には備え付けられたシャワーが有り、蛇口を捻る芥川の手に寄って色葉は頭上からお湯を掛けられる。見る見るうちに濡れていく髪や肌に張り付く服。顔を上げると瞋恚たる表情が窺え色葉は控えめに笑みを浮かべて尋ねようとした。

『どうかされっ』
「脱げ」
『何を云っているのですか。殿方が居るのに肌を晒す事などっ、?!』

芥川の細い腕が伸び、白い指が色葉の襟を掴むなり力を籠めて引き千切った。躯を覆う布から只の布切れに替わると流石の色葉も笑みを、取り去り身を引いた。手枷を填められているため隠せないが其れでも胸の前に腕を持っていき身を縮こませる。だが枷を掴み壁に抑えつけるとまだ破れた布が大半躯を覆っている其の布を取り払い上半身は下着だけの姿にされてしまう。身を捩り抵抗を示そうにも頭上で一纏めにされている以上逃れようがない。壁に押し付けられる躯と共に色葉は芥川へ目を向けるが視線が合う事はなく。芥川の冷たい指が肌の上を撫でた。

『芥川くんっ、どうしたのです?こんな事をしても意味などないのでは?』
「貴女は意味が有れば躯を開くのか」
『っ、違います。其んな事は』
「首領にも色を仕掛ける心算だったか。其れはご破算だ。貴女が幾ら仕掛けても首領の食指は動かず…なれど僕には通用する。貴女の狗だ、どんな事でも与えてくださるなら残さず食べましょう」

頸筋に滴る滴を搾る様に渇いた唇が肌に触れ熱い舌を押し付ける。眉を寄せて腰を撫でる指の刺激にも耐え声を飲み込む色葉に気を善くしたのか、舌先が肩へとなぞり乍ら噛みつき、背中へ指腹を這わせて抱き込む様に刺激を与え始める。下がり続ける指が太腿を撫でた時、僅かに震える訊き慣れない声が鼓膜に響いた。

『やめ…ぃや……っこわ、ないで……っこわさないで。こわれちゃう……こわい、こわさないで…くだけたらもう……わたしぃ……あんな……あばかないで……お、おしつけないで――!』

彼女は泣いてはいなかった。いなかったが、哭いている様に見えてしまい躯全身で怯える様は衝動的に腕に抱きとめるには充分だった。芥川は水に濡れようともお構いなしに彼女を抱きしめる。
それでも彼女は喉を震わせて小さく、小さく拒否の言葉を囁く。まるで……拒否という言葉の意味を知らない稚児だ。

「何もしない。何もせん、だから……哭くな」

その言葉が届いたのか色葉はふと、強張る躯から力を抜き次第に芥川に寄りかかると肩口に頭を預けて眠りに堕ちた。寝不足がたたっていた所為なのか、死んだように意識を手放した彼女の寝顔に芥川は息を吐きだすと蛇口を閉めシャワーを止めた。互いに濡れた状態のまま枷から手を放すと、枷は事切れたかのように砕けて床に落ちる。其れを尻目に芥川は色葉を横抱きにし浴室を後にした。
濡れた儘では不都合なため、芥川は彼女の躯を拭き始める。タオルで水気を吸う作業を淡々と行いつつも邪な感情は沸き立つ事はなかった。布をはぎ取り下着は流石に替えはないため、仕方なく自身の予備に持参した新しい襟衣を取り出し其れを羽織らせる。少し丈が長いおかげで卑猥であるがワンピース丈程度で済む。仮眠室へと向かい備え付けられたベッドに彼女を横たわらせ掛け布団を掛ける。手を伸ばし目の下に深く刻まれた血色の悪い色味に親指が辿る。顔の輪郭へと撫でながら陶器の様な絹の肌に触れ息づく。

「色葉」

深く息をすると鼻の奥に届くのは無縁の花の香がしたのか、芥川は視線を外し手を引っ込める。己の濡れた衣服も脱ぐ為彼は再び脱衣所に戻り新しい衣服に着替えてから、再び仮眠室に戻った。彼にはある仮説が立てられていた。それは彼女が若しかしたら…誰か隣にいないと眠れないのではないかという仮説だ。昨晩は鏡花と先程の樋口といい。彼女は決まって誰かが隣にいる状態で眠りについている。仮令浅くても眠れるのなら、今はせめて寝かせてやりたいと芥川は思ったのか。彼は同じベッドに潜り彼女の手を上から重ねた。細々く息を吐きだしていた彼女の寝息が段々と深く上下に動くようになり、強張る躯の力が抜けていくのがわかる。芥川は口元に色葉の手を手繰り寄せ唇をあてる。

「眠れ……今はただ。貪れ貴方の想うが儘に」

彼もまた瞼を閉じ、まどろみへと流されていった。
上司の様子が気になり恐る恐る入室した樋口は、部屋をあちらこちらに探し。漸く仮眠室に居る所を発見。手を繋いで眠りこけているふたりを見つけると樋口は、肌蹴た掛け布団を直してから廊下へ静かに出て行く。近くを通った部下に樋口は襟首を掴まえて。

「何であの人芥川先輩のシャツ着て悩殺キメてんですかッ?!!起きたら即刻殺します!!あの女(メス)が!!」
「ギャアアアアアア!!!!」







―――私を見ろ。目を逸らすな…私を……ひとりにしないで

迷子の子供の様に縋られた。熱が蠢き躯を蝕む。焼き爛れて内臓が押し上げられる度に臓物凡てを吐きだしてしまいたかった。視えない何かに躯を支配され永続的に嬲られている、そんな気さえした。胎内が埋め尽くされ、塗り替えられていく度に、私が必死になって砕け散った欠片を集めたあの星屑が無理矢理剥がされ。築き上げた何もかもを破壊しつくされていく感覚が胸を押し上げ喉が焼ける程潰された。

―――恐かった……壊されるのが恐かった……軌跡をズタズタに裂かれるみたいで

粘膜質の液体が下位に感じ瞼を押し上げた。視界に映るのはあの頃とは違う天井。肌に触れるシーツは少し質感の悪いもので、動かない利き手へ目を向けると両手で包みこまれていた。まるで宝物でも握っているみたいで、温かな吐息が肌を撫でる。黒髪の線の細い狗だ。眠る姿はまるで大人しく賢さを際立たせ、そしてあどけない子供の寝顔に私は息を大きく吸いこみ、吐き出した。

『……よかった』

芥川くんは何処にも怪我は見受けられなかった。若しかすると暴走して復、傷つけてしまったのかと思ったけれど。今回は至らなかったのだと胸を撫で下ろす。私はあの濁流する波を抑えられない。気をつけようにも其の抑制の仕方を知らない。何が原因かも、何が引金なのかもわからないのだから、抑えようもない。

『感情のない怪物』

ああ、そうだ。私は感情が乏しい。【感情】に【緩急】をつけてあるように仕向けているだけで私は何の感情も持たない【怪物】。だから止め方なんて知らない。自身の中に浮上する何もかもが【幻想】に過ぎない。【現象】としてあるべき姿に納めることよりも【似せて造る】方に近い原理で私は【人間を偽装】している。
だから……偽善者なのだ。偽善で心配する振りをするだけ、今もそうだ。鏡花ちゃんはちゃんと爆弾を外して逃れられたのだろうかと【素振り】を見せる。
でも安心するべきだ、敦くんが傍に居るのだから。それでも私は【心配(ぎぜん)】を病められない。私にはあのような方法でしか彼女を扶けることが出来なかった【他に方法等知らないからだ】其れは悔やまれる【嘘吐き】。
カーテンの隙間から毀れる光。きっと月光だろう。空の高い打点からの差し込みとなると夜更けだろう。

『あの場所と似てる』

この閉鎖的な空間は何処か懐かしい。光はいつも月光のみのあの場所に。ただあの場所より冷たくはないし、寝所も硬くない。石畳でもなければ鎖で繋がれてもいない。温かい床、柔らかいベッドに人の温もりを肌で感じ、目で確証する。此処は少なくともあの閉鎖的空間とは明らかに違うのだと認識すると、心臓が凪いできた。
躯の上に回る腕の重みに少しだけ安堵した。私はまだ此の世界に居るのね、まだ此処に居るのね。

―――誰かが居ないと飛んで行ってしまいそうで怖い。まるで風船みたい

そう云えば誰が云ったんだっけそんな事。憶えてないな……

『初音さんの居た場所』

瞼を閉じて鼻腔を膨らませる。胚に空気を大量に流し込み体内で感じた。血と弾薬の臭い。まるで死臭のような其の導きが消えぬ場所。其処で彼女は何年も何年も身を投じていた。私の所為で―――あまり考えるのは佳そう。今考えてしまったら、残っている気力さえ根こそぎ奪われてしまう。
隣で眠る芥川くんへ手を伸ばす。死んだように眠る彼の血色の悪い頬に指を滑らせる。浅い呼吸音で彼の状態がわかる。彼はとても人間らしい。欠陥だらけだけれど彼は少なからず真っ直ぐだ。とても人間らしい。迷い抗い、それでも己の信念を歩もうとするその一途さは、私よりも眩しくて目が開けていられない。
髪を避けて彼の額に唇を押しつけ暫く頬を撫でてから再び潜り込みそっと瞼を閉じて息を大きく吸いこみ眠りへと誘われた。




色々と悩みましたが此れで今はいいのかな。という感じで落ち着かせました。艶になってるといいなぁーいいなぁーもっと酷く書こうかと思いましたがそういう路線話しではないのでうん、こんなもんでいいかな!今回の話はこれにて終わり。次回へ続くぜ!鴎外閣下!!修正5回しました!





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