霧不断の香を焚く-参






清閑な場所で電子音が鳴り響く。物言わぬ端末機を切れば持ち主は咳をひとつ設けた。

「幾ら強くとも駒は駒か……貴方はどうだ?駒か或いは――」

視線を走らせた先には天井から吊るされた手枷を填められ捕虜とされた男、太宰治がニヒルに笑む。

「君は性懲りも無く彼女が意味嫌う戦法を施すか。お陰で君の駒は生還だ、佳かったじゃないか。軽蔑されずに済んで」

褪めた床を硬い靴底が擦れる度にコツン、と靴音が鳴く。反響する其の音には絶壁とも云える強度を心理に与える。悠悠自適に過ごさせる為の場所ではないという云うのに、太宰は鼻歌でも奏でる様に軽口をたたく。

「態々此処で指示を出しているのを見れば一目瞭然だ。君の宝箱に居るのだろう?私の駒鳥が」
「流石は太宰さん。僕は黒曜故に眩い光に目が暗む。此処へ連れ立って来れなかったことは詫びましょう」
「幾分か言葉遊びは出来そうだ」
「其れは何より…然し太宰さん。僕の元へ下ったのは彼女の意思。尊重を損なう行動は慎んで頂きたい」
「君は愚かだよ。彼女が何故君の様な駄犬に下ったのか真意も判らないのかい?彼女は聖女だ。其して時に――破滅の魔女と化す。逆鱗に触れるのは愚行だ」
「拘束器具を外せるとは到底思えません。あれは幾ら貴方でも解くことは不可能。異能者を拘束するための縛り呪詛が施された代物。戦女神であろうとも解くことは不可避」
「へぇー完成したんだ。政管も懲りない連中だな」
「もう彼女は我らポートマフィアの所有物。今後一切の接触はご遠慮願いたい」
「莫迦も休み休み云い給え。此方は制限されているんだ腸が捩れてしまう―――誰に口を訊いているんだ、あれは私のだ。君みたいな男にくれてやるなら私が此の手で殺す」

太宰の瞳には烏鷺が生じる。まるでマフィア時代の再来だ。彼の中ではひとつも変われていない部分が剥き出しになっている。芥川は其の場に佇み息を呑む。

「死がふたりを分かつ時まであれは私のだよ」

太宰は恍惚な顔つきで囁いた。まるで愛しい人が目の前に居る仮令のように。余裕綽々な態度の太宰に苛立ちは募り芥川は羅生門で太宰の頸目掛けて刺し込む。脅しだったが彼にとってこんな物は何でも無い。自身の異能を使用して解除する。

「此処に繋がれた者が如何な末路を辿るか――知らぬ貴方ではない筈だが」
「懐かしいねぇ。君が新人の頃を思い出すよ」
「貴方の罪は重い。突然の任務放棄そして失踪。剰え今度は敵としてマフィアに楯突くとても――元幹部の所業とは思えぬ」
「そして君の元上司の所業とは?」

左頬目掛けて拳を奮う芥川の心情は激情に呑みこまれていた。口腔内を切ったのか血を吐きだす太宰。

「貴方とて不損不滅ではない。異能に頼らなければ毀傷できる。その気になれば何時でも殺せる」
「そうかい。偉くなったねぇ」

囚われた者と捕えた者という立場だというのに、まるでひっくり返りそうな役処。

「今だから云うけど君の教育には難儀したよ。呑み込みは悪いし独断専行ばかりするしおまけにあのぽんこつな能力!」
「貴方の虚勢も後数日だ。数日の内に探偵社を滅ぼし人虎も奪う。貴方の処刑はその後だ。自分の組織と部下が滅ぶ報せを切歯扼腕して聞くと良い」

背を向け歩きだす芥川の背中に、投げる小石など造作もなかった。

「できるかなあ君に。私の新しい部下は君なんかよりよっぽど優秀だよ」

爪先が地面に着く前に振り返り拳を奮う方が遥に迅かった。臨まぬ言葉程心を抉るものはない。疵口に刷り込まれた潮を撫でつける様に激昂が躯の内側をのた打ち回る。己の中に飼う狗……正しく悪しき黒曜狗。血を吐きだす太宰が掠れた声でトドメを挿す。

「色葉は君なんかの手に堕ちない」


―――ざまあみろ

そう聴こえた瞬間、芥川の拳は止まった。何故なら脳裏に甦ったあの朧月での出来事が鮮明に呼び起こされ、路地に死に逝く刻を待っていた狗を無慈悲に救った女の顔が消えぬ眼球の裏側に焼き付いて離れない様を。芥川は一気に放出し手を放し二歩後退した。手で顔を覆うと女の微笑みが眼前に幻影として映し出された気分になり、よろめく。

「あの人は……僕が貰う!其れだけは何人たりとも譲らぬ!仮令貴方が相手だとしても!あの人だけは……絶対に!!」


―――殺されても文句は云えませんね


芥川の瞳が太宰に曝される。思わず目を見張った太宰は初めて一驚していた。芥川は今まで見たことのない顔をしていたからだ。其れは凄まじい程の執着と少年の春心が対比した姿。

「殺しはしない。絶対に僕の傍を放れる事など仮令死を許容されても僕はあの人が死ぬ事を赦さぬ」
「おやおや。私の駒鳥は囀りが甘い……女にしたのは間違いだったかな」
「……今、なんと」
「あれ? 聴こえたのかい? 彼女の領域を犯したのは私だと、云ったのだよ」
「―――ッ!」






豪邸の庭に委縮する谷崎とはうって変わり乱歩は天井の板の目を眺めていた。普段のにこやかな少年は鳴りを潜め静寂を約束している。給仕が扉を開け中から東雲桜江が出てくる。椅子に腰掛けてから対面するが乱歩は見向きもせずに庭園へ視線を向けるため谷崎が咳払いをしてから問いかけた。

「突然のご訪問誠に失礼いたします。東雲様の様子を拝見したく赴いた次第でございます」
「あら。ありがとうございます。何時も探偵社にはお世話になって此方も返す言葉が見つかりませんわ」
「お元気そうで何よりです。あの…付随ですが我社の職員、色葉の所在はご存知ですか?」
「色葉さん?其れなら邸宅に泊まって頂いているわ」
「そうですか。あのお会いすることは適いますか?」
「ごめんなさい。此れから所要があるのでまたの機会にしてくださるかしら」

桜江の台詞を凡て聞いてから乱歩は眼鏡をかけて立ち上がり室内を去る。其の後を慌てて追いかける為に谷崎は一礼してから室内を出て行く。乱歩の背中は玄関とは正反対の場所へ消えようとしていた。使用人が気づく前に谷崎は異能を発動させ工作する。自由な乱歩へ駆け足で向かうと乱歩は迷わずとある部屋へノックもせずに入室した。

「ちょっ、乱歩さん!」

谷崎も入室すると眼前に広がるのは子供部屋だった。机の上に上がり窓から今にも飛び出そうとしている少年、香純の姿に目が点になる谷崎。乱歩はベッドに腰かけて止める事もせずに只見守っているだけの為、谷崎は急いで香純を保護し椅子に座らせた。

「君に答えを提示して欲しいんだけど、いいかな?」
「乱歩さん」

香純は膝の上に拳を作り急ぐ気持ちの儘向き合う。ふたりの間に立つ谷崎だけは解らず、ただ行く末を見守っていた。

「此処に色葉は居ない。何者かに彼女は着いて行ったんだね」
「……はい。母様が失礼しました。招いておいて行方不明にさせた等父様の経歴に瑕がつくと世間体を気にして隠しているのです」
「仕方ないよ。香純君のお父さんは政務関係者の中でもトップクラスだからね。君が其処まで責任を感じることはない」
「ですが色葉さんは怪我をしていました。其れに少女も一緒に居なくなっていて…だから僕は」
「君が行った処で二度手間だよ。大人しく此処に居るんだね」
「僕には責任があります!招いたのは僕ですッ」
「分を弁えなよ。非戦闘要員の君が扶けられるとでも?相手は武装非合法集団だ。慈悲など存在しない。人間より獣に近い。非力なか弱き神子は布団の中に入って隠れて天に祈ってなよ。其れしか君には出来る事はない」

じゃあ――、と乱歩は用事が済んだ事により扉を開け放ち玄関へと向かう。奔放に向かう乱歩と香純を交互に視た後谷崎は一言だけ香純に声をかけた。

「君には君にしか出来ない事があるんじゃないのかな?其れが何かはボクにも解らないけど、でも色葉さんは君に無茶して欲しくないと思うから、其れ以外の方法ならいいと思うよ。じゃあボクは行くね」

谷崎は慌てて乱歩を追いかけると玄関を既に出ていた。お邪魔しました、と小声で述べてから外に出ると乱歩は携帯を片手に誰かと通話をしていた。

「小雪さん?悪いけど君の仕事だよ」
{ こんなに早くからどうしたの江戸川君 }
「もう昼過ぎだから」
{ え?ああ…はあ……朝が憎い }
「いや昼ね。其れより聴きたい事があるんだけど、君は天の啓示を聴いた?」
{ ん?ないけれど…どうしたの? }
「ない?……もしかしてさ、小雪さんの欠点って“異能力者の未来だけは透視(みえ)ない”なの?」
{ あら、よくわかったわね。異能力者個人の未来は視えないけれど其れに関わる一般人を通してなら読めるわ }
「成程……ありがとう。参考になったよ」
{ なにかッ }

強制終了させた通話。電子音の虚しい音が響く中、谷崎は乱歩の言葉を待つ。携帯を閉じ懐へしまうと乱歩は眼鏡のフレームを上げる。普段から飄々としている彼だが今はとても焦っていた。

「色葉がマフィアに囚われた」
「え、でも自ら赴いたのでは?」
「最初はそうだけど、奴らの根城に踏み入った瞬間から言葉が変わった。招かれた客ではなく召し抱えられた姫に昇華してしまったんだ。……もしかして、最初から……!谷崎此れは拙い。すぐ探偵社に戻って社長に報告しなきゃ」
「あ、え?」
「此の儘だったら色葉はマフィアから戻って来られない」

其の言葉を聴き谷崎は事の重大さを理解し急いで乱歩と共に探偵事務所へと駆けた。




あと一話かな?オリジナル展開続きますね。皆活躍できるといいな、けど私が書くと偏ってしまう……爆弾発言には触れないよ!触れないからね!え、事実なのか?と云われたら―――事実だわ(真顔)だけ言っておくわ。じゃあ、あと一話だけお付き合いアデュー☆