闇夜に鴉、雪に鷺-壱






橘堂の湯豆腐……おいしい―――



「それで?」
「両親が死んで孤児になった私をマフィアが拾った。私の異能を目当てに。夜叉白雪は電話だけの声に従う」

鏡花の前に国木田は鏡花の数少ない所持品である携帯電話を机の上に出し目の前に差し出した。其処には元々ついている兎のストラップだけで他には何も着いていなく。其れを目視してから鏡花は着物の袷目に手を置いた。

「この携帯電話か。蓄電池は抜いてある…ポートマフィアはお前の異能力を上手く利用して、お前を強力な暗殺者に仕立てた訳だ」
「こんな携帯電話…なんで捨てなかったの?」

敦の問いかけに携帯電話を手に取り一つしかない兎のストラップを包む。

「逆らえば殺される。それにマフィアを抜けても行く処がない」

鏡花の脳裏に横切る色葉の姿。唇を更に硬く結ぶ。

「その携帯で夜叉を操っていたのは誰だ」
「……芥川という男」

耳にタコだと云わんばかりに国木田も敦も“ああ、矢張りか”と何処か納得の胸中だった。

「色葉さんの所在については何か知っているの」
「あの人は私が処分されない様に捕まり、捕縛されてる」
「其れも芥川の指示か?」
「いいえ。もっと―――上の人」
「……そうか。俺は先に社に戻って報告をする。小僧」

国木田は立ち上がり敦を廊下へ呼びだし、鏡花の視覚、聴覚の射程範囲圏外の処で立ち止まる。

「娘を軍警に引き渡せ」
「!そんな事をしたら……」
「35人殺しならまず死罪だな。ポートマフィアに残っても裏切り者として刑戮される」
「そんな!」
「ならお前が助けるか?」

国木田の問いに敦は押し黙る。自身に助けられる範囲を超えていたのは容易に察しがつく。

「極刑の手配犯でマフィアの裏切り者。その不幸を凡て肩代わりする覚悟がお前にあるのか?」
「……それは」
「小僧。不幸の淵に沈む者に心を痛めるなとは云わん。だがこの界隈はあの手の不幸で溢れている」

敦の良心を贖罪を軽くしようと便宜を図ろうと国木田は口を動かすが、同時に鏡花を救おうとした少女の事も同時に思い浮かべる。同級のか弱き乙女、薄倖すぎる才色兼備な娘色葉。其の胸中を触れた事はないが覗き見た事はある。あれは……域を超えている。救済なんてものじゃないあれは身を切り詰めて成り立つ死だ。彼女は凡てを解った上で其れでも鏡花を助けようとしている。前もそうだった。彼女は簡単に自身に刃を突き立てる。そして何度も人を救済してきた。そうまでして何故助けようとするのか、あるはそうだ。きっと―――拘泥だ。

「お前の舟は一人乗りだ。救えない者を救って乗せれば―――共に沈むぞ」

色葉の事を浮かべながら国木田は敦に諭し、宣言通り社へ戻っていく。遠ざかる背中を余所に敦は廊下の板の目を見つめ乍ら膨らむ想いに苦悩した。

「でも……だとしたら」

記憶の中に映り出すふたりの対象的な人物たち。一人は己に衣住職を提供してくれた太宰。もう一人は優しさを溢れるばかりの温かな感情を注いでくれた色葉。そのふたりを思い出し敦は瞼をきつく閉じた。

「太宰さんと色葉さんは何故僕を助けたんだ?」







国木田が社に戻ると社内は慌ただしく動いていた。其れは今抱えている案件から来るものではない事は中心で指示を出し動いている乱歩の姿を見れば一目瞭然。

「あ、国木田。調度いい処に、ねえ色葉の経緯を教えてよ」
「あ、え、はいっ。色葉は現在ポートマフィアに捕縛されている模様。其の指示を出した者は上層部かと推定されます」
「ああ、矢っ張り。春野っち、色葉の此処数日で起こった誘拐事件と、毒殺未遂事件、脅迫事件それから香純君の誘拐事件の資料を僕に頂戴」
「只今お持ちします」
「乱歩さんどう云う事ですか」

色葉が既に捕縛された事に気づき其れを裏付けるための証拠を探している乱歩に、国木田の凡人たる脳内は理解に苦しむ。今回起きた彼女の捕縛は自ら投降した事に寄るものだ。それ以上でもそれ以下でもない理由だ。だというのにまるで乱歩は、此処最近彼女の周囲で起きた事件凡てが関連し色葉が其れに寄って投降したのだと云わんばかり。半信半疑な国木田だが、其れは己だけでなく。此の場にいる凡ての社員が疑心を持っていた。眼鏡をかけて乱歩は資料に眼を通し乍ら異能の構築が終了すると資料を凡て机の上に置き立ち上がる。そして社員達に告げた。

「色葉はポートマフィアの首領に喧嘩を売りに行った」

其の解答に社の人間が其の場でステーンと扱ける。世間知らずのお嬢様じゃ在るまいしと思うがそうだったと思い返す。字色葉は浮世離れした世間知らずのお姫様だった。誰が相手だろうが素直に述べるのが彼女の素晴らしい長所であり利点である。だが同時に弱点であり汚点でもある。其れはそうだろう。何せ「飛んで火に入る夏の虫」だ。天下のマフィア様の願ったり叶ったりの一遇の好機。そりゃ大歓迎と蝶よ姫よとお客様の扱いだろう今頃。誰もが其の予想を的中させている事は今は語らないで於こう。

「此れまで起こった事件は凡て色葉を誘発するための核装置。道順に仕掛け其れを踏む度に骨髄へと近づかせ、仕掛けた本人は色葉の核心に触れる。情報を得られるだけでなく、色葉の性格上必ず単身で乗り込んでくる事を予想しなきゃこんな打算で無駄な浪費ばかりを搾取する計画なんか立てない。相手は色葉の知り合いだ。しかも可也頭の腐ってる奴の犯行声明」

乱歩の推理に谷崎が床から立ち上がりよたつく躰で青ざめる。

「最初からですか?もしかして最初から…あの斉藤親子を使った誘拐事件からですか?!」
「そうだよ」
「回りクドい奴だネェ」

与謝野も下唇を噛みながら舌打ちをしている。国木田はずれたフレームを直し投げかけた。

「つ、連れ戻しますか」
「無理だ。敵地に潜入って高層ビルだよ?城攻めが難攻なのは昔のお偉い人が立証済みさ」
「だが、手を拱くっていうのも心許無いネ」
「うん。まあ其れは社長が決めるよ。きっと今頃天使様が啓示している頃だから」

懐中時計の針が回る。秒針がくるくると啓示を読みあげている頃合い。乱歩は周囲には飄々と綽綽と体裁を見せているが其の内心は酷く焦躁していた。戻って来なかったらどうしよう、と其ればかりを莫迦になったように浮かぶ。もう一緒にご飯を食べたり、色々な話をしたり、手を繋いで散歩をしたり、買い物をしたり、共に眠ることもなくなってしまうのだろうか……なんて孤独なんだ。なんて恐怖なのだ。忘れていた其の疎外感に乱歩は胸中穏やかではいられずに助け乞う緑柱石の瞳で、分厚い扉の奥を見つめた。







芥川が外出したようだ。其れを知ったのは手を伸ばしたシーツの先が冷たかったからである。寝ぼけた瞳で居ない事を確認しつつ起き上がると手枷は元通り填められ鎖も動かすだけでじゃれつく。だが、まさか左踝部分に枷が填められ其の鎖は支柱に頑丈に繋がれていた。ベッドから降りて室内のたった一つの出入り口へ向うと扉の取っ手には手を伸ばしても届かない距離に設定されていた。何と云う絶望を誘う行為なのだろうか。色葉は眼を細める。芥川もそろそろ上に報告しなければならないのだろう。逃す事は出来ない故の厳重捕縛処置。だが此れで怯む程彼女の精神は弱くはなかった。芥川が居ないのは好機であると考える。色葉は自身の立てた仮説を基に鎖部分を手枷で打ちつけ、三度目の打撃で枷は破壊された。
昔の漢人はよく云った物だ、此れは矛盾である。次に左踝に装着された最高の鉾で両手の間にある鎖と繋がられている鎖を断ち切り枷だけを残す。といっても此れはきっと鍵が無ければ外れない。昨日は欠陥品だったから外れただけに過ぎないのだろう。今回は昨日のように上手くいくとは限らない。鍵を持っているのは芥川一人だけだろう。異能を使わずに隠密行動をするしかないが、扉の前を警護していた者が鎖の破壊音に気がつき入室してくる。足音を立てずに低い体勢で近づき最初に入って来た男の腹部に一発拳を打ちつけ屈んだ処で頸目掛けて跳躍し回し蹴りをお見舞いした。盛大に壁まで飛びぶつかっては其の場から動けずに意識を飛ばす。異変に気がついた男が叫び出す前に顔面目掛けて足裏で踏みつけ仰向けに倒れる。頸を足裏で踏みつけ乍ら微笑む。

『携帯電話を貸してください。あと知っていたら枷の外し方わかりますか?』

誰が天使と間違えたか――――、男は呼吸困難に陥り泣き乍ら携帯電話を差し出し意識を手放す。枷の外し方は下っ端すぎて知らない様だったが、携帯を借りれたのは運がいい。色葉は襯衣一枚だけの男の浪漫を詰め込んだ格好をしているため大柄な男から背広を借りて袖を通し、部屋から脱出した。
 裸足の儘なのは無闇な音を出さないため。潜入するならば為るべく音は出さないに越したことはない。此方は丸腰なのだ。迷いの無い脚で昇降機まで行く道中再び黒服男たちと遭遇。だが男達が気がつく前に遠慮のない膝蹴りと跳び蹴りの奇襲に呆気なく倒れるため思わず苦笑いを溢した。

いいのか、此れで―――

 昇降機に乗り込み扉を閉めて最上階へ続く釦を押して起動する。一息つきつつも携帯を取り出し番号を押してから耳許に沿えた。三回目の電子音の後、其の人物は少し大きな声で名を呼ばれる。思わず受話器を離す程の声に驚く。

{ 色葉っ }
『社長。落ち着いてください』
{ 落ち着いていられるか。渦中に単身で赴く等勝手にも程がある。私が許可をしたのは香純の奪還だけだ。お前を其処へ見送った憶えはないぞ }
『……先生は昔から私を怒鳴りますね』
{ 当たり前だ。違えた道を歩む娘を叱るのは親の務め }
『先生のそう云う処が好きです。私の為に怒鳴ってくれるから私、我儘になってしまいました』
{ お前の我儘など乱歩に比べれば毛先程だ。最我儘を云えば云い。受け止められる。もうあの頃のように加護出来ぬ力が無い訳じゃない。引きとった時からお前を受け入れる覚悟は出来ている。親を甘く見ては困る }

福沢の父親の様な優しい声に色葉はゆっくりと細かく息を吸い込み、喉を妬く。張り詰めた緊張をほぐす様に色葉は僅かに浮上した懐疑を払い除けて深呼吸をしてから言葉を奏でた。

『必ず帰ります。先生の処に…ううん。乱歩さんや独歩くん。谷崎くん、賢治くん、与謝野先生、敦くん、ナオミちゃん、春野さんに事務員のお姉さん達、其れから太宰くんも一応。皆大好きです。だから大好きな人達の居る場所に必ず帰ります――信じて』
{ いってこい色葉。お前の帰る場所で待っている }

福沢の言葉に頷いて通話を切り、最上階に着くと開いた扉の隙間から携帯を投げ立ちはだかる男の鼻に中り、痛みに悶えている間に、男の股下を滑り背中に蹴りで押しだし昇降機に入れこむと予め1階に着くよう釦を押していたので直ぐに閉じる釦を押して手を振った。小型機関銃を手にする男たちの軍勢が現れるが、色葉は床に敷かれる絨毯を引っ張り足元を崩した後、腹部や頸等の一発でも中てれば気絶させられる箇所を的確に狙って戦闘不能へと落とす。最後の一人は小型機関銃で頭部を一撃殴って想到。弾を抜き取り花瓶の中に凡て放りこむと誘われる様にある扉の取っ手を掴み躊躇いもなく引いた。一人で使用するには広すぎる執務室。其処には一人の中年の男が椅子に座って優雅に窓から映る景色を眺めて乍ら声をかける。驚く事も無い台詞をのせて。

「やあ久しぶりだね色葉。大きくなって…益々美しく可憐に育って私はとても嬉しいよ」
『お久しぶりです、森先生』




長くなるので此処で一旦区切ります。原作+オリジナル展開です。ちょいちょい原作いれるので時系列くみとってくれると嬉しいです。大半この回もオリジナル回です。そして一部、聖女争奪編の最終章のはじまりです。どうか皆さん……ついてきてください。よろしくお願いします。





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