聖人に夢無し-前編






通り過ぎた道を振り返ればその場から進む事は叶わない



身動ぎをすると腕が重く痺れていた。慣れるまではきつかったその現象に心地良い感覚を湧きたてられ僕は薄っすらと瞼を持ち上げた。虹彩に差し込む光、遮光幕から溢れる陽は朝を告げる。ぼんやりとする思考の先には女の子が寝息をたてて僕の腕を枕に胸元に顔を埋めていた。窒息しないのかな、躰をずらすと寝顔が顔を出す。透き通る神秘的な白い髪を梳き乍ら陶器の様な白い頬を指の腹で、撫でて実感する。此処にあの子は存在(い)るとーーーー。

『ん……』
「おはよう色葉」
『はょ…乱歩さん……』

寝惚けた目を擦り乍ら彼女は瞬きを繰り返す。寝起きは無防備だ。昔から変わらない彼女のその姿に僕は胸をひと鳴きさせてから、彼女の額に唇を重ねた。

「今日も平凡な一日の始まりだ」







鏡花ちゃんで盛り上がる探偵社の中にカラカラと車輪が回る音が入室した。後ろで車椅子を押している乱歩さんとその車椅子に座る色葉さんの姿に僕は……驚愕した。

「色葉さん……」

それは同時に僕だけでなく、鏡花ちゃんもまたメイド姿の儘彼女へ近寄る。申し訳なさそうな顔をする鏡花ちゃんと僕に彼女は手を伸ばして僕らの手を繋ぐ。すると待ち侘びていた咲みが満開に広がっていた。

『鏡花ちゃん、敦くん。おかえりなさい』
「った、ただいま…帰りました」
「……ただいま」

鏡花ちゃんも僕も目尻に滴を溜めてその手に縋った。様々な想いが複雑に浮かんでは沈み、また浮上しては落下するばかりで何も言葉にすることは適わない。けれどどうしても、どうしてもこの手に、この咲みにもう一度逢いたかった。

「復帰したんだね色葉」
『与謝野先生』
「内臓の損傷が激しいと聞いたが、動いて大丈夫なのか」
『独歩くん。8割程度の回復はしたので大丈夫なのですが』
「駄目だよ。損壊や炎症、貧血だって酷い状態の子をまだ歩かせる訳にはいかない」

乱歩さんが大人らしく色葉さんを叱っていた。普段とは正反対の立場に周囲も驚きつつも和やかになっていく。色葉さんはポートマフィアに捕縛されていた。探偵社の皆は助けに行かなかったそうで、それを問い質した時には「必ず戻ってくるからお前も信じろ」と国木田さんに制されたくらいだ。難攻不落なポートマフィア。裏切り者には死の制裁を加える事も厭わない無慈悲で残忍な闇を牛耳る眷属。今回、彼女を捕縛する計画は実はそのマフィアの長が指揮っていたと乱歩さんが口を滑らせていた。今後もきっとその長が彼女に接触してくると危惧するように呼び掛けた事は新しい項目として憶えている。綿密な策の練り方、それに伴う周囲の損壊を意図として思わない当然の犠牲と称するその長の持ち様加減は、僕からすれば理解し難いものだ。
 僕の入社試験からはじまっていた計画だと聞いた時には寒気すらした。そんなものを相手に僕や彼女は対峙していたんだと改めて知ったからだ。でも僕より狙われている歴が長いと云っていた彼女は、堂々たる態度で当たり前のように「気を付けましょう」とだけ述べていた。此れには僕も見習わなきゃいけない部分だと思う。
生きて帰ってこられた事に彼女は………。

『心配していませんでした。だって敦くんは絶対に帰ってくると思っていましたから』

そんな風に云われてしまったら、僕はあなたに出会えた偶然に感謝するか他にない。

「色葉……」
『可愛い給仕さんですね。とってもお似合いですよ』

嬉しそうにスカートの裾を掴んで傍に寄りつく。鏡花ちゃんは色葉さんにべったりだ。まるで親子のようで僕も多分他の人達も温かく見守っている。鏡花ちゃんの頭を撫でる彼女は本当に母親の様で、その優しさに甘えたくなるのは無理もない話で。でも太宰さんの話をすると目つきが鋭くなるのが…本当に、何があったのか不思議で背負うがない。最後には太宰さんの「だ」を云っただけでボールペンが飛んできて壁に突き刺さったまま抜けない事件となった。

「抑々どうして彼女が探偵社に?」
「私が呼んだ」
「社長。この娘が昨日報告した……」
「軍警と市警の動向は?」
「既に複数の隊が検分を始めています。マフィアの隠蔽の甲斐あってか身元までは割れていませんが……」
「指名手配は時間の問題か」

鏡花ちゃんが強く色葉さんの手を掴んだように視えた。色葉さんは何も云わずに行く末を見守っている。ふと鏡花ちゃんは色葉さんを見つめると色葉さんは少女の背中を推す様に、前へと促した。

「此処に置いてください」
「え!?」
「何でもします」
「止めておけ。元マフィアだからではない。仕事が無い訳でもない。だが止めておけ。甘い世界では無いぞ」

国木田さんが律する。少女の為を思っての言葉だ、厳しい様だがその言葉は何よりも正しいし優しい。だが鏡花ちゃんの中に宿った意志は硬かった。

「そうだよ。それに此処にいたら孰れマフィアに見付かる。むしろ遠地に逃げたほうが……」
「私には殺人(ころし)のほかに何も出来ないとあいつは云った。そうかもしれないけれど…違うと自分に証明したい」
『社長』

鏡花ちゃんの手と繋いでる手をもう片方の手で包み社長を見上げる色葉さん。名を呼んだだけ。それ以上の言葉は何も紡がれる事はなかったのに、ふたりの間に流れる空気はまるで……父と娘のようだった。

「僕からもお願いします」

僕も前に出ては頭を下げ、社長は鏡花ちゃんを見据える。鏡花ちゃんも「お願いです」と小声になりながらも懇願すると意外にも社長は采配を下した。まあ、意外な表情でもあったけど。

「佳かろう。私が預かる」

社長の言葉にこの場に居た衆は驚くが、色葉さんはひっそりと笑い後ろに居た乱歩さんは「やれやれ」と手を左右に振っていた。其処へ探偵社の扉が叩かれる。来訪者の訪れを知らせる呼び鈴が鳴った。







「失礼します。市警からやってきました」
「ああ!ご苦労さまです」
「あれ?」

婦警が現れ賢治が迎え入れる。其の後ろでは乱歩が顔見知りに反応をしました。パソコンに向かって報告書をまとめている色葉の横には、動けぬ代わりに鏡花が資料を探して来たりと動きを見せている。

「この前部下が逮捕された箕浦くんじゃない」
「う」
『乱歩さん』

乱歩の言葉を汲み取った色葉は画面から目を離さずに諫めた。それ対し乱歩はコホンと咳ばらいをしてから自身の机の上に広げた新聞で顔を覆った。

「今日は別件だ名探偵。依頼が有ってな…処で其処のお嬢さんは名探偵の女房か?」
「おお、箕浦くん。少しは観察眼が優れてきているみたいだね」
『違いますよ』
「……さっさと用を済ませて帰れば」

拗ねるのはやっ! と周囲は思うと同時に箕浦の視界には、色葉の隣に居る鏡花へと興味がそそり話題を変える。

「その娘……此処の関係者か?」

箕浦の言葉に敦は「しまった!」と大分解りやすい心中を披露する。

「似た人相の手配書きが来ていた。元孤児の少女で凄腕の殺し屋とか……世も末だ。嬢ちゃん親は? 身許を証明出来る物は有るか」

色葉の傍までやってくると隣に控えている鏡花に手を差し出す。証明書を出せと箕浦は強制した。だが鏡花は沈黙を有した。その態度に対し険しくなる箕浦だったが、其処で敦が間に滑り込む。

「あーとその娘はですね。話せば長いのですよ。えーと先ずですね。そもそもの始まりは僕がかつて政府の依頼でツチノコ探索の為に麦畑でコサックダンスしていた頃――」

支離滅裂な敦の解説に近くに居た色葉は静かに笑っている。其処へ福沢が再び現れ彼らの間に立ち入った。

「私の孫娘だ」
「お孫さん?」
「孫だ」
「しかし……」

箕浦は福沢と鏡花を見比べる。鏡花は色葉の肩に手を置きその手に重ねて宥める色葉。その姿を含めて観察すると、一人で何かを納得した。

「これは失礼」

箕浦たち市警は依頼の封筒を手渡し、そのまま去って行った。一難去った後の探偵社では巧く誤魔化せた事に安堵する。だが此処で再びの来訪者が告げた。

「やっほー!色葉、元気?」
「小夏。ちゃんと挨拶だけはしなさいって言ったでしょ」
「アンタ達の方が五月蠅いって」
『小夏姉さん、小彩姉さん、小春姉さん。いらっしゃい』

華やかな娘たちの登場に、福沢は社長室へと戻り。鏡花は色葉の傍に引っ込む。国木田へ小夏と小彩は投げキッスを贈り乍ら色葉達へと近寄った。

「顔色は良好ね。青葉から栄養剤貰って来たから」
『ありがとうございます小春姉さん』
「いいのよ……ごめんね。助けに行けなくて」
『気にしないでください。自分が択んだ道ですから』
「ったく辛気臭いな小春姉は。今日は色葉の快気祝いにぱぁーっとしに来たんじゃんかよ。ってことで。色葉に似合いそうな服、見繕ってきた。ついでに其処のキュートガールにもお土産あるよん。勿論晶ちゃんとナオみんのもね」
「景気がいいね小夏」
「ありがとうございます小夏さん」

小夏の両手に持つ紙袋からは沢山の色とりどりの婦人服が溢れるばかりに入っている。それらを引っ張り出して女性たちは賑わいを見せた。少し外れた場所に居る色葉に小彩が近寄りケースを置いた。

「頼まれた荷物は冷蔵庫に入れてあるから」
『助かります』
「髪、毛先が少し傷んでるから整える程度でいいかしら?」
『お願いします』
「そこのお嬢さんも一緒に切ってあげるよ」
『小彩姉さんは美容師なんです。雑誌の特集にも載せられた方なんですよ』
「大したものじゃないって」
「…お願いします」

美容師道具が入ったケースを開き新聞紙を引いた場所で散切りを始める。双子の自由差に国木田は頭を抱えた。国木田の横では敦と賢治が話していて、賢治の穏やかな田舎の話を披露され平和だと感じずにはいられない。
賑やかしい輪の中で小春だけは窓に寄りかかり外の景色を眺めていた。その様子が気になった乱歩は椅子の車輪を転がして隣で停車する。

「珍しいね、小春さんがお通夜みたいに」
「今、小雪が青葉と一緒に会議に出席しに行った。此処の社長も時期に出かけるだろうさ」
「…ああ。あの不毛な思想の押し付け合いね」
「今回の事件の狙いについて政府関係者は誰一人として解っていないだろう。内務省が組織にGOサイン出した、なんてね」
「やっぱそうなんだ。となると…相手は身の振り方を替えたのか」
「往来輝って迎えに来るだろうね…どうする名探偵」
「どうするも何も…色葉の意思無しで決める会議に返事は要らないでしょ。仮令仮初の自由を得ただけの此の現実でも、理解した上で彼女は此処に居る」
「…そうさね。悔しいな〜〜義姉の居る場所より赤の他人の寄り合い所を択ぶなんてさ」
「家族だと近いだけだよ。心配かけたくないんだ、少しは大人になりなよ小春さん」
「アンタに云われると腹立つわ。所であの蠅は?」
「ああ、あの蠅? あれは今頃自宅待機でもしてるんじゃない」
「働けよ蟻」
「あ、蟻になった」

ゲラゲラ笑う小春を余所に乱歩は静かに車椅子を引き乍ら、退出する色葉の姿に口元を緩ませた。

「はいはい、今日も平凡すぎる一日だよ」

乱歩は此の後の事を少しだけ予想する。色葉は小彩たちに頼んで材料を買ってきてもらい、ケーキを焼く。賢治と敦は事件現場へ赴き早期解決に努める。鏡花は色葉が居ないことを知り給湯室まで探しに向かう。そうすればケーキを持った色葉と遭遇。共に部屋に戻れば其処は歓迎会で彩られた室内で、賢治や敦も戻ってきて、そうして泉鏡花を迎え入れる、これがきっと今日の平凡な一日なのだ。

「あれ?此処に来れば楽しい茶会があると聞いてきたけど」
『藤花さん!いらっしゃいませ』
「色葉ちゃん。今日は元気そうだね」
『はい』
「うん。矢っ張り笑顔の方がいいね」




二幕へ通じる話を次の頁にて書かせて頂き、この完は終了となります。色々と飛ばしてしまいましたが、書くと長たらしいので暇なときにでも書こうと思います。では次回まで。




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