貧者の一灯-後編






一凛の白亜な花は可憐に揺れて花弁は海へと旅立つ。


横浜湾を周回するだけの船上で招待された三社と当時を知る者たちの一度限りの邂逅。
普段の装いを辞め、白いハイネック型のワンピースを纏い群青のショールを羽織り、差し出された手を躊躇いをみせるが相手は手を掴み半ば強引に腕に添えさせた。人の良さそうな笑みを浮かべる正装した姿が包帯は忘れられないようだ。和装する社長の後を歩き出す。

「痛むかい」
『大丈夫です。然程痛みはありません』
「あ、そうなの?じゃぁ……私が痛いから腕を折りに掛からないであたたたっ」
『女性のエスコートには慣れているのかと存じていましたが?』
「あーすっごい綺麗な笑顔。意地悪しないでくれ給え」
『蛇に飲まれる蛙の気分ですね』

慣れないヒールが歩く度に床を鳴らす。太宰がくすりと笑い腰に腕を回し躰を密着させ耳許に囁く。

「安心し給え。私が護ってあげるよ」

全身の鳥肌をたたせた色葉は、小さな鞄で顔を押し退け乍ら社長へ声をかけた。

『……先生。宜しくお願いします』
「ああ」
「ちょっ地味にいたい……全く信用ないな」

甲板には既にテーブルが用意され、四つの椅子の一つには内務省特務課の種田長官列びに控えとして、参謀補佐官の坂口安吾。もう一つにはポートマフィアの首領森鴎外。側近には中原中也が太宰を見付けた途端顔に苛立ちをみせる。勿論太宰も反吐を出す勢いだ。空いたふた席に武装探偵社の社長福沢諭吉が着席すれば、残りの椅子は字色葉の席となる。彼女の椅子を太宰が引き、眉を寄せつつも座る。彼女の後ろに太宰が控えこの異様な茶会が始まりを告げた。

「この度は形式上に則った条約改善の決議と署名捺印をする場として設けさせて頂きました。まずは先日行われた会議での結論をお伝えさせて頂きます」

安吾が司会進行役なのだろう。本来ならば此処へ訪れるには役職が地位高いのだ。だが彼には何か目的があるのだろう。胸ポケットに揺れる花弁の儘に安吾は読み上げる。

「政府管内は憑代である字色葉の保護責任可の一任を探偵社に一存しておりましたが、新たな枠組み増加に伴い。ポートマフィアも参加に加えると共に今後彼女の保護下として準じる事を認めました。よって此の場で参加表明として彼女に謁見許可を頂いた後、署名をし此れで認可します。管内代表として私が述べます。此方としては保護が増える事に異論はありません」

安吾が色葉の元へ近寄り署名捺印の正式な紙を手渡そうとしたが、それは太宰に寄って遮られる。両者目だけで対立するが安吾が先に逸らし背を向けた。太宰は暫く彼の背中を見たが興味を失せたかの様に色葉の手元にその紙を見やすいように広げて見せる。

『穏便に』
「わかってるよ」

嗜めつつ色葉は癇に障る紙を眺めインクでも溢してやろうかと、眉さえ顰めた。此の時ばかりは微笑みなど消え去っているのだろう。無表情な顔が更に此の場の空気を冷やした。だがテーブルの上に肘をつき森だけは人当たりの良さそうな笑みを浮かべて色葉に声をかける。

「お気に召さないかな。君を見習って尽力しようとなけなしの慈悲を払ったんだがね」
『……私に拒否権などありません』

溜息をひとつ溢してから、色葉はペンを取り署名と捺印をした。筆圧は弥弥強めに。書き終えると紙は太宰が回収し中也がそれを受け取る。渡す、渡さないで一悶着はあったため皺が寄っている書類に森は笑って確認を済ませる。再び種田へ戻り安吾が徴収した。

「此れよりポートマフィアにも憑代の保護並びに使用権利を得ました。後ほど書類を発行し送付させて頂きます」
「ありがとう。相変わらず仕事が早くて助かるよ安吾君」
「……いえ。此れで本件は閉幕致します。まだ港を外周するためごゆるりと満喫してください」

時間など掛らなかったその会議。長たる者達は未だ腹の探り合いをしたいのか誰一人として席を立たない。何もない手元を眺めている色葉に後ろから声をかける太宰。何処か言葉が跳ねている。

「自由時間ならカフェテラスにでも行かないかい」
『ごめんなさい。少し散策して来ます』
「……私は待っているから」

椅子を引き福沢と太宰に頭を下げてから色葉はカツン、とヒールを鳴らして背を向けて歩き出す。その背中は途方に暮れた幼子のようで誰もが声をかけに行きたかったが、憚れた。拒否するその背中に誰も無粋には踏み込めなかったのだ。

「巧くやったね中也。真逆、君が私の当て馬になるなんて」
「誰が手前のだって? 巫山戯るのも大概にしろよ詐欺師(ペテン)」
「此れで組織は大手を振って彼女を堂々と誘拐(しょうたい)出来ると云う訳だ。監禁(住居)させてもいいと公認が降りた事だし…公然と犯罪を享受するなんて世も末だね」
「零細企業が今まで独占していた報いだろ。一応あいつの意志がなけりゃ所有権限は剥奪されンだろ」
「張りぼてに権限なんてないし、組織がそんな事を気にするのかい?ちっさな男だね。ほんとっちっさい」
「誰の事見て云ってんだ手前ェ」
「私の目の前に映る変な帽子趣味の、変な長髪の、無駄遣いすぎる紳士の奴の事だよ」
「海に沈めたろうか、ああ?」
「和平を結ぶ此の場で物騒な事を云うね君は」

太宰と中也が戯れている傍らでは森と福沢も静かなる冷戦を繰り広げていた。

「あれが世話になった」
「此方こそ勝手にお借りして申し訳なかったね。大事なお嬢さんを」
「……今後何が煽ろうとも色葉の帰る場所は探偵社(ここ)だ」
「そうだね。今は仲良く共有しようじゃないか……人の心は遷ろうモノだがね」
「父親争奪戦だな」

カップを傾けて種田長官は述べた。彼の隣に控えていた安吾は席をいつの間にか外し陽炎が消え去った方角へ身なりの良い背広が遠ざかった。







手摺に掴まり後部の甲板から水平線の景色を眺めた。時代(とき)は流れる。我々の意思など関係なしに、無慈悲に残酷に塗り替えられていく世界は色褪せるには丁度よい。

『あれから四年』

あなたの居ない世界は酸素が少ない。その供給率の低さに酸欠になる脳みそが悲鳴を上げようとも、私の喉は過呼吸を起して肺は稼働する。ハンドバッグから写真を取り出す。其処には皮肉も5人写っていた。その中からふたりだけはセピアに霞むから親指の腹で撫でる。
胸の奥が薔薇の棘に刺さったように傷む。けれどそれがどんな意味を持つのか私には理解し難い。巡るようにこの感情は一定の距離を得て周期的に訪れる。

この意味を知れたら私は……もしかしたら………

雨露の様な考えは彼の声に弾けて消えてしまった。

「色葉さん。漸くあなたに逢えた気がします」
『安吾さん』

隣に並ぶ丸眼鏡の規律ある坂口安吾の姿に私は、また傷みを覚えた。

「成長したあなたを観たとき柄にも無く緊張しました。……綺麗になりましたね」
『ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです』
「手厳しいな」
『成人を迎えましたから』
「では社会人として敵前逃亡は礼儀に反しますね」
『……屁理屈です』
「あなたが逃げるからですよ。でもそういう部分は変わらないですね」

安吾さんは笑う。鎧を取払った様に清々しい程だ。そんな彼を横目に私は潮風に攫われる髪を抑える。

「あの…云い訳になるかもしれませんが、僕の話を訊いてくれますか?」

安吾さんの真摯な面持ちに私は、静かに彼の言葉を待つ。

「ありがとうございます……僕は初音さんを殺していません。勿論織田作さんを追いこんだのは僕でしょう。でも、初音さんは追い込んだり、陥れたりは僕は断じてしていません。これだけはせめて伝えたくて」
『……その言葉は本当ですか?』
「はい。偽りはありません」

安吾さんの言葉の裏には、嘘など存在していないことは明白だった。彼の瞳に宿るものがそう告げている。じゃあ彼の言葉が真実なら誰が初音さんを陥れたのか―――!

『安吾さん。当時森先生は初音さんに対して何か言っていたことなど憶えていますか。些細なことでもいいのです』
「え、あ、はい…そうですね。首領は……初音さんに脅しはしていましたが、勿論其れはあなた絡みでした。ですが……そう云えば一度だけ。首領の部屋に訊ねた時、先客がいました。その人物が奇妙な事を云っていたのを憶えています。確か…“起動させる為の音を消す”と云っていました」
『音を消す……若しかしたら私は、何かを見落としているんじゃ……』

その時妙に森先生の言葉が引っかかった。私に何度も反芻するように「私が初音君を殺した」と云い効かしていたが、森先生は利益になることならどんな手を使ってでもそれを成し遂げようとする御人だ。だけどあの時、初音さんを手に掛けることは本当に利益に繋がる事だったのだろうか。私の力が欲しかったのならあの時点では、接続を担っていた初音さんを殺すことは愚策。折角檻へ戻ろうとしていた私を取り損ねてしまう。何十年もかけて綿密に立てた計画が丸潰れだ。なら…それなら……あの日観た光景は誰だったんだ。錯覚? 幻想? 私の記憶に残る証拠が微かに濁り始めていた事を悟る。
手すりに掴まりよろめく躯を安吾さんに支えられた。彼の腕を掴む。

『安吾さん。出来るなら調べて欲しい事があります。防衛省という青葉さんが昔務めていた機関について』
「どうしてです?」
『未だ手つかずの要塞なので。政府関係者ではない私では調べられない。お願いします調べてください。初音さんの死の真相を私は知りたい!』
「……わかりました」

体勢を直し、二本脚を地面にしっかりとつけると、彼は胸ポケットに挿さる一凛の白き薔薇を取り出すと、私に差し出す。

「受取ってはくれませんか」

白き花弁に視線を落とし私は目を細める。未だ容疑者である彼からの此の行為を受け入れる事をしてもいいのか。私は怯む。受け取れない、拒否をする。拒絶する指が震え唾を飲み込む。指が茎に触れると私はその憐れな一凛を手に取る。

『未だ貴方を信じた訳ではありません。でも其れでも私は貴方が犯人ではない事に賭けます』
「色葉さん……とんだ博打ですね」

安吾さんはお辞儀をしてから、二度と私に声を掛けることも振り返る事もせずに立ち去る。その背中に声など懸けもせず私は手許にある白き薔薇をくるりと回して遊ぶ。瞼を閉じて花の香りを嗅ぐが潮風が強すぎて塩辛い。嗅ぎ憶えの有る香りが漂うと、ショールが肩からずれ落ちた。それを掛け直すように肩に触れた繊維の細かな包帯に青緑色の海へ視線を投げる。

「あんまり遅いから迎えに来てしまったよ…それで話は済んだかい」
『はい。特段何の変哲もない他愛もない話でした』
「ふーん……少しは恨めばいい。表面だけだと気づかれるからつけいれられる」
『恨んだ処であの人は還ってこない』
「君は学ぶべきだ。憂いている女性が居たら男は口説けずには入られない事を」
『太宰くん……鬱陶しい』

鳩尾に肘を強打させ、流石に誰もが急所だったので太宰くんはその場でへたり込んでいた。見向きもせずにくるりくるりと花弁を揺らし私は果てしない地平線を眺める。

『二言目には口説く言葉ばかり疲れませんか。辟易して来たんですけど』
「うっ…私には酷い態度を取れるのに安吾には取らないよね。なんで」
『あなた程に雑に扱えないからでしょうか』
「其処は笑顔で云うんだね君。非道いな―」

立ち上がり手摺に背を預けて太宰くんは空を仰ぐ。此処に彼が居るということは中也くんは弄ばれた後かな。心の中でご愁傷様です、と唱える。花弁を指先で跳ね除け一枚摘み取ると風に流され宙を舞うその白き花びらはまるで……記憶に残る軌跡を辿り乍ら私はまた一枚と剥ぎ取り、風へ流させる。淡々と日々を消化するように、追憶に眠りのたうち回る焔に油を注ぎ私は追悼する。虹彩に写る空はなんて……青天なんだろうか。

「色葉」

呼び止められる様に太宰くんに掴まれた肩と押し付けられる唇の冷たさに、視界が半透明化していく。呆ける前に彼の胸を押すとあっさりと離れた。尽かさずハンドバックの角で頭を叩く。

「いたっ…痛いね地味に」
『何で、するの』
「何でって…それは少し傷つくな。君が好きだからだと、何度も告げているだろう」
『信じられませんよそんな好意……だってそんなモノがあるならなんでッ、私は此処にいるんですか……』
「色葉……、御免。嫉妬したんだ。君が自ら中也と接吻しただろ。あれが根に持ってた」
『莫迦ですね』
「解ってるよ。頭では理解している。選定者の独断だって…でも解ってくれると嬉しい。私はそれすら許容出来ないんだ……色葉。私は君をいつか壊してしまいそうでそれが恐い」

背中に回る腕が震えていた。大きな躰なのに押し寄せる津波が恐いと彼は云う。渫われないというのに温かな鼓動に頬を寄せ、私は瞼を閉じた。


―――莫迦だなぁ


『そう云えば太宰くん。私の携帯に発信機と盗聴器をしかけましたね』
「え―なんのことかな?」

にこりと笑みを浮かべる太宰くんの顎を掴み片腕を持ち背負い投げの要領で海へと放り投げる。だが腕を掴んでの状況だ。

『もう一度云います。全部で8個であってますか?』
「え、えっと」
『あ―腕が疲れました――手を離したいですね』
「あ、すっごい棒読み」
「色葉何やってんだ?」
「げぇ、中也」
『今、鯖を海へ返そうかと』
「協力するか?」
『お願いします』
「こう云う時だけふたりとも仲善すぎじゃない?」
『中也くんとは交友関係良好ですよ』
「ざまあ」
「うわっ中也の癖にむかつく。気持ち悪い顔を此方に向けないでくれ給え」
「ああ?! 手前ェこそ落ちろ!!」
「私を落とすなら色葉ちゃんも道ずれだから!此の手は放さないよ」
『お、おち、落ちるっ』
「巫山戯ンな!手前手を離せッ!」
「あ!これ心中じゃない!」
「勝手に独りで死んでろ!」

騒がしい甲板の上で三人は騒ぎ止まない。船はもう少しで港に着きそうだった。



―――――――――
―――――
―――



眠れない夜は酒をかっくらう。出なければやるせない。悪戯(あそぶ)事も辞めてしまった所為で加速する私の色褪せた世界。其れでも彼女だけが瞼を閉じても浮かんでは焼きつき……。

「はあ…色葉。此処はまだ色が虚無(ない)よ」

私に与えた分だけの着色をしておくれ。隣に女が座った。横顔だけだが白金の髪を流し、緑色の瞳を輝かせた女が。まるで彼女のようで私はグラスを傾けて女に声をかけた。

「こんばんは。可憐なお嬢さん。君の様な麗ら若き乙女が来るには後数年は必要じゃないかね」
「……こんばんは。お兄さん。今年で成人を迎えたから平気だよ。それよりお兄さんって男前だね。女の人って選り取り見取りなんじゃない?」
「おやおや…女性からの誘いは嫌いじゃないよ。でも悪いが当分は予約で埋まっているんだ…私は絶賛片想い中でね。どうやらその妖精にしか気乗りがしないのだよ。悪いが他を中ってくれ給え」
「え―お兄さん。わたしが誘った様にみえたの? ただの挨拶だよ。だってお兄さん気づいてくれないんだもん……元ポートマフィア幹部の太宰治オニイサン」

一気に酔いが醒め私は身を起し女へ視線を向けた。だがそれはきっと悪夢の所為だと思いたかったよ。正面を向いたその女は可愛らしい顔の右目に黒い眼帯をして、脇腹に小型銃器を付きつけられた。

「これは何の冗談だい……ハロウィンには早いんじゃないのかな」
「リビングデットの呼び声だよ。ねえ……太宰サン、わたしの先輩は何処にいるか知ってる?」
「君の還る場所は墓地だ」
「うわー軽口とか生意気。ちょーうざい。まあいいや。どうせ今日は挨拶…まだ未完だしね。あ、しっかりお手手を繋いでないと……咬んじゃうから」

気味の悪い笑いを高々に、女は彷徨える亡霊の如く扉の奥へ消えていった。女が座っていた席には態と置いていったのか古ぼけた手帳があった。それを手繰り寄せ中身を開く、其処には学生証明書が印字されている。発行月は今から五年前――――。

「……調べる必要があるな」



Continued in 2nd curtain......



幕間、これにて終了。次回からは二部へ物語の駒は進みます。オリジナルも多かった一部は後半は駆け足だったと思います。焦点を敦君サイドではなかったですからね。そうもなります。二部はあまり構成を断片的にしか考えていないのでゆっくり練りながら執筆させて頂きます。一部ではお世話になりました。二部になっても更新が遅くなっても宜しくお願いします。





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