退屈は時間の浪費。時間の浪費は命の無駄遣い。命の無駄遣いは――――。
事務仕事の処理をしていても終わりは矢張り告げられる。色葉は背伸びをして天井を見上げた。普段なら会議に参加する立ち位置なのだが、今回は外されている。理由は明朗、太宰が阻んだ。キーボードを叩き終えると机の隅にカップを置く鏡花の姿に「ありがとう」とお礼を云って色葉は鏡花に資料の整理を頼んでいた。
『大方終わりましたね。ご苦労様です』
「ううん…もう仕事はないの?」
『はい。お手伝いして頂けたおかげで溜まっていた報告書が凡て書き終えました。此れから起こることが長引かなければよいのですが、後顧の憂いは晴らして措こうと思いまして』
「……色葉、鳴ってる」
鏡花に指摘され携帯画面を覗くと其処には乱歩のメッセージが記載されていた。如何やら山形の事件を解決し帰宅途中の車両の中のようだ。時計を確認すると今から出れば間に合うと判断。立ち上がり鞄を肩にかけて出入り口へ向かう途中で、鏡花に止められる。
「駄目…出ては駄目。二人一組で行動しろと云われたから」
『鏡花ちゃんと私で二人一組ですよね』
「……でも。あの人は」
『私に策があります。少し待っていてください』
悪戯っ子の笑みを携え色葉が廊下を出てお手洗いへと入る。数分後出て来た色葉の姿に鏡花は驚いていた。何故なら彼女は普段のゆるふわなスカートではなく、パンツスーツを着用。ネクタイを締め、美しい白髪は短い黒髪の中に隠し、サングラスをかけた状態で現れたからだ。
『行きましょう鏡花ちゃん』
「……え」
驚く鏡花の手を取り、色葉は楽しそうに扉を飛び出した。
*
「最初観た時驚いたよ」
藤花さんが穏やかに笑む為、色葉は嬉しそうに口元を引く。お迎えにやってくる連絡を受け取っていた乱歩と藤花は色葉の姿を探していた。乱歩の予告時間に彼女らしき女性が見当たらないと藤花は、心配そうに乱歩へ告げたが乱歩は「いるよ」と指す。其処へ視線を送るとパンツスーツ姿の黒髪で細身で小柄な男性が、少女と手を繋いでいる。「いや、まさか」と藤花は乱歩を観るが乱歩は「ただいま」とその男性に近づき声をかけていた。すると男性はサングラスを外し『おかえりなさい』と聞き慣れた声で出迎えたので、其処で藤花は気づいたというのが経緯。よく見れば少女は鏡花であることもわかった。今はタクシーに乗車し藤花の家へと向かっている。
「まだまだだね藤花さん」
助手席から乱歩が軽く注意した。指先にハンチング帽子を引っかけくるくると回す。頸を上下に舟を漕ぐ色葉はうつらうつらと夢を煽ぎ、穏やかに藤花の肩にもたれかかる。手を握る鏡花は不思議そうな瞳で藤花を見つめるが、藤花は目を細めて色葉の髪を撫でつけた。
「あまり眠れていないみたいだね」
「僕が出張に行ったからね」
「未だ夜が恐いのかな」
窓硝子に映る藤花の様子を眺める乱歩は薄く唇を開けて。
「藤花さんって…本当は」
「うん?」
虹彩が眩く揺れ動く藤花の薄紫色の瞳が窓硝子越しの、乱歩の瞳に反射して言葉が呑み込まれた。
「いや…なんでもない」
ハンチング帽子で遊ぶのやめると、大人しく頭に乗せて腕を組む。口の中の飴玉に歯をたてて砕く。
パキっと渇いた音に、瞼を持ち上げた色葉が後部座席からフロントガラスへ視線を送る。柔らかな唇から静かな声がもれた。
『とめて』
その言葉に誰もの視線を集めた。だが当の本人はまだまどろみの中に居るのかふわりとしている。鏡花は「色葉」と名を呼ぶが、乱歩と藤花は運転手に此処で止まるよう指示を出す。下車し藤花がお金を支払っている間、鏡花の手を離し色葉はゆらりと歩きだす。赤の横断歩道へ足を踏み出そうとした腕を第三者に止められた。
「危ないよ!」
『……でも、呼ばれて』
「いや、赤だから…って君は」
『声が、止まない。呼んでるの』
「色葉。あの横断歩道がどうしたの」
後ろから乱歩が追いつき色葉を見知らぬ男から奪うと訊ねた。後ろから鏡花と藤花も追いつく。
『乱歩さん。声がね、するのです。とてもとても小さな声が。だから行かなきゃいけないのです。私が私しか聞き取れない声だから』
「そっか。うん、わかった。行こう」
乱歩がそう云うと信号は青に変わり手を放す乱歩を置いて歩きだす。調度真ん中まで来ると色葉はペンをノックし大鎌を取り出した。そしてある空間を数回トントンっと叩く。すると空間に亀裂が入り、硝子の破片が足元に散らばり始めた。周囲の人間は騒然とする中、大鎌をペンへと戻ししまう。色葉は寝ぼけ眼で黙々と空間に張られた膜を手で払い除け空洞の隙間から紅玉を窺わせた。彼女の瞳には紅玉よりは色褪せた桃色に近い発光色の髪を編む少女の顔が映る。
『みつけた』
その言葉と共に異空間はねじ曲がり人々が現実世界に帰還する。その中赤髪の二つに編み少女が降ってくるのを色葉は両手を広げて受け止めた。脚に力を入れて踏ん張り少女を抱える事に成功する。堅く閉じられた瞼が徐々に開けられ青緑色の眼球が、色葉の顔を捉えた。驚きのあまり声も出ない少女の様子をぼんやりとした思考の中で色葉は頭の中に浮かんだ言葉をポツリ、と呟いた。
『大丈夫ですか?』
「………はぁ、なにいって……」
『あなたが助けてと、仰られていたので』
瞳孔を拡げモンゴメリは唇を戦慄かせた。叫んだ覚えがないのに、何故この人物は自分を助けたのか理解に苦しむと同時に、モンゴメリは瞳に涙を溜めて、溢れるその滴を頬へと伝わらせた。
色葉はゆっくりとモンゴメリを地面に立たせ、数歩後退する。訝しげに色葉を見つめるモンゴメリは「あ」と音を発すると同時に敦に声をかけられ、彼へ睨みを向かせて何も云えずに此の場を走り去った。
少女の背中を夢現の眼差しで見送っていると敦が肩に手を置き、色葉は振り返るが意識の糸は其処でプツリと切れた。突然倒れこむ色葉に敦からすれば見知らぬ小柄な男性。其れでも受け止めると声をかける。
「あのっ大丈夫ですか?!」
「敦君。御苦労さま。こっちで預かるから大丈夫」
「乱歩さん?! おかえりなさい」
「うん。ただいま」
敦から色葉を受け取った乱歩は背負う。足元にある自身の荷物を顎で指して持つように促す。
「あのその方は」
「え? 色葉だけど」
「……えっ?!!」
驚く敦の背中目掛けて鏡花が突撃し、敦の前に森鴎外が現れる。乱歩は背を向け彼らを置いて先に人込みを抜けだした。その先には藤花がいて、乱歩は立ち止まる。
「寝ちゃったんだね」
「うん。寝たよ。僕が三日も留守にしたから寝不足が祟ったんだ」
「そうか……そうか」
藤花は寝息をかく色葉の頭を静かに、撫でる。心地よさそうに眠る色葉の寝顔に目を細めて藤花は自身の荷物を持ち直し乱歩に別れを告げた。
「僕はここで」
「寄って行かなくていいの」
「これから打ち合わせなんだ。お誘いありがとう……またね色葉ちゃん」
藤花はとても柔らかい発音で色葉の名を読んで背を向け遠ざかった。和装の男は珍しい。その少し丸まった背中を見つめ乍ら乱歩は背中の重みに持ち直す。
「此の世界は矢っ張り――怪物の住む世界かもしれないよ」
乱歩たちが去りゆく背中を色葉を止めた青年が見送る。その口元には憂いもない。無慈悲で冷たい氷河のほとり。
「共鳴……いや、うん。これは……異能が呼んだのか……だとすると、うん矢張り彼女は……ブリュンヒルデだ」
プラチナブロンドの髪が風に攫われる。アッシュモーブの瞳が妖しく光を放っていた。
長かった「たえまなく過去へ押し流されながら」を此処で終わりとさせていただきます。沢山の謎をまた残して二部がはじまりました。今回のお話もまた結構な量でオリジナル展開になります。また敦君をひとりにさせてしまう。私ったら……太宰さんの事好きなのかしら。でもちゃんと主人公ちゃんの謎に迫ろうと思います。どうか応援をお願いします。残酷なこの世界で引き裂かれる哀しさの溢れるこの世界で、壊れそうな優しさを捧げます。