中島敦は携帯の着信音に覚醒させられた。文明開化に出遅れつつも取ると肉声は太宰の物で、極めて重大な任務だと発破をかけられた敦は唾を呑みこみ乍ら慎重に指定された場所に向かった瞬間、脱力感に見舞われたのだった。自殺嗜癖の太宰には自殺の拘りが有り、朝から指南された処で敦には何の知識の貯えにも為らない。半ば片耳だけを預け部屋の中に掛けられていた外套へ意識を向けていた。
「敦君。君が身につけていた外套だが」
「あ、はい。あれは僕が身につけていた物ではありません。何時誰が掛けてくれたのか…出来れば仕事斡旋の前にその人にも御礼が云えたらと思ってます」
「そうか…君に飲食を提供してくれたご婦人だが、恐らく心当りがあるよ」
「えっ?!本当ですか?」
「ああ。とても心音の美しい女性で、私の未来の伴侶さ!」
「……ハァイ?」
「彼女の慈しむ愛に溶かされた私の心を今も尚掴んで離さない。ああ…愛しい人よ。今すぐ君の傍へ飛んで逝きたい…!」
「あ、じゃああの人が云っていた“家で待っている人”とは太宰さんの事だったんですね」
「……どうかな?」
「え?違うンですか?」
「一緒に暮らす事で彼女を縛れるなら然うしていかもしれないね」
太宰は影を落とす。青空を仰ぎ見ているというのにその瞳は何処か淋し気な少年だった。取り残されてしまった悲壮感が漂う中、敦は自身に慈悲を分け与えてくれた女性の事を思い出す。彼にとっては触れた事のない、言いようのない、現しようのない感情が燻る。温かくて小さな掌に包まれた自身の手首に残った微熱。丁寧な言葉を遣いだったのに温もりを感じ、名前も出身も解らぬ男のために食事を渡し最後まで傍に居てくれようとした人物。本来であるならば、避けて通るはず。見て見ぬふりをするのがセオリーである。だが然う出来ない性分だったのか、女性は花の蜜のような香りをさせて敦に接した。忘れられない一夜の物語。もう一度彼女に逢えるなら今度はちゃんとした身なりで自己紹介をして、そしてお礼が云いたい。敦は其の想いを胸に太宰の後ろを着いて歩いた。此れからその彼女の元へ案内してくれるというため。だが其処へ国木田の太宰に対する怒りの大音声が市街に響き渡った。
「包帯無駄遣い装置がァ!!」
其の台詞に太宰は少なからず傷ついた様子を見せる。だか其れだけでは終わらない国木田の猛攻撃に太宰は口を閉ざすが茶々を忘れず。再度噴火する国木田の手が襟首を掴み太宰を揺らした。其の一部始終を傍から傍観する敦は「この人を信じていいのだろうか」と嘆息する。
「こんな事をしている場合じゃない。おい、太宰」
「解っているよ国木田君。敦君。支給された携帯にメッセージとか届いたかな?」
「え?」
懐にしまった携帯を取り出し画面を開くと確かに見知らぬアドレスからメールが届いていた。其れを告げると「読み上げ給え」と偉そうに喋る太宰を再び国木田が締める勢いで揺らす。それを横目に敦は慣れない手つきでメールを開きデジタル文字を読み上げた。
「えっと…本日、港湾廃棄工場ニテ御待チシテオリマス、少女ヲ返シテ欲シクバ一人デ参ラレタシ。恩ヲカエセ……って。え?少女って僕には知り合いなんていませんけど」
「そうだね。此れは私宛に来た招待状だ」
「へ?どう云う事ですか?」
「お前に支給した携帯は元々太宰の物でな。色葉は太宰の連絡を私用のみは迷惑メールとして停止させている。故にその携帯は仕事用だった所為でメールが届いた。大方唐変木の連絡が最後に来ただけの棚から牡丹餅方式だろ」
「ちょっと嘘でしょ国木田君?私のマイスィートハニー色葉ちゃんが私のアドレスを拒否設定してるなんてッ?!!」
「本当だ。あいつに頼まれて設定したぞ」
「機械音痴で気づいてくれないだけかと思っていたよ」
「其の点に関して貴様は前向きだな」
「色葉ちゃんにだけだよ。ははは……」
「包帯無駄使い装置と銘々された時より傷ついている」
顔から精気すら感じなくなった太宰の落ち込み様は計り知れなかった。意気消沈している太宰を尻目に敦は携帯を片手に電話をかけている国木田に声をかける。
「場所は解るんですか?」
「今其れについて筋に訊いている所だ。あ、乱歩さん。お疲れ様です。ええ、然うです。其の件について……あの工場ですか。はい、解りました……必ず連れて帰ります。ありがとうございました」
恭しく頭を下げる国木田の態度からして偉い人物なのかと敦は唾を飲み込む。通話を終えると国木田は敦を視界に捉えた。
「行くぞ小僧」
「行くって…え!?僕もですかッ」
「当たり前じゃないか。私の愛しき色葉ちゃんは君が探している人物なのだから」
「……ええええええぇ!!」
「五月蠅い!いいから行くぞ!」
「おや、其の口ぶりだと場所の特定は済んでいるようだね。それで何処だい?」
「先月うちに依頼のあった“駆除対象”の根城だ。色葉は其処に居る」
「探偵社に向けての怨恨もあったのか」
「お前への呪いも含まれているだろうな」
「其れは絶対に色葉ちゃんには内緒にしてくれ給え。此れ以上冷たくされたら心から死滅してしまうよ」
「案ずるな太宰。既に把握済だ」
太宰は再び風化する勢いだった。此処まで来ると敦も助け船さえ出す気も起きない。敦は承諾もしていない内から国木田と太宰の背中を追い駆けていた。何故、と問われても唯会いたいからという感情だけがぽつりと空っぽな脳内に浮かび上がり。其れに対して言い訳を付け足すが、其れでも中島敦という男は流されつつも自身の意思で駆けていた。
「というか、誰がお前の嫁だ!誰が愛しのだ!!貴様の元などにあいつを嫁がせる予定などない!!」
「今更気づいたのかい?それにしても国木田君は保護者の役組から外れないね。でも本当は虎視眈々と狙っている事を私は知っているのだよ!いやーんムッツリ」
復活した訳ではないが太宰が再び足を動かし始め追いつく。走行し乍ら国木田が吠える。其の噛みつきに太宰は哂いながら受け流す。繰り返し行われる劇場を見せられながら敦は拐われた彼女の事を思った。
オリジナル展開の「或る爆弾」ならぬ「或る誘拐」となります。言ったじゃないか「オリジナル」だって原作沿い強化じゃないやーい「オリジン・強」じゃ!時系列と時々原作お借りしますじゃーい!