指定された廃棄寸前の工場は錆びつき荒れ果てていた。窓ガラスは全て割られており、工場内は足の踏み場もないくらい荒んでいる。注意深く進んで行き、漸く椅子に両手両足を縛られた状態の少女を見つける事が出来た。
すぐさま扶けに駆け寄りたいと思うが、少女の蟀谷に銃口を突き付ける無慈悲な犯人の存在が邪魔をする。距離を詰めてから手近な物陰に身を潜める三人。
「何で僕も此処に居るンだろう」
敦の呟きなど太宰と国木田は聞こえていない。此の最悪な現状を打破する為の策を講じていた。
「探偵社の太宰は未だか!お前を誘き寄せる為に可哀想な女の子が犠牲になるぞ」
犯人は椅子に手足を縛った人質の少女の襟首を掴み首を絞める。余りの恐怖の所為で悲鳴も上げられずに少女は瞳の淵に涙を溜めて頬を濡らす。噎び泣く少女の悲痛な姿に胸を痛ませる敦。指名された名の太宰は険しい表情になりつつも腰を立たせて物陰から出て行く。姿を漸く現した事により犯人は少女の襟首から手を放した。乱暴に放されたため椅子が揺れ、其の場にバランスを崩しコンクリートに倒れた。床には硝子の破片が散らばる無法地帯。叩きつけられるように投げされた柔肌に無数の破片が突き刺さる。痛みに眉を顰めると鮮血が冷たいセメントを濡らした。
「麗ら若き乙女を乱暴に扱うとは君は男の端くれにもならないね」
「端整な顔を持つ伊達男ならではの挑発だな」
「……私に私怨を抱くのは結構だが、関係のない彼女を巻き込むのは辞めてくれないか。些か鶏冠に来るってものだ」
「ほお…余程此の娘をお気に召していると看る。なら」
「ッ辞めろ!」
太宰の制止の言葉に顧みず男は手にする銃火器の引き金を引いた。乾いた発砲音と叫換 が工場内を包む。少女の太腿を弾丸が撃ち抜いたようだ。肉が焼ける臭いに眩暈を起こしそうになる敦。
「ッ下衆の極みだな」
物陰から国木田が拳を握る。隣に居る敦でさえも目の前に居る男を畜生以下だと思う程だ。男は少女の叫声を鑑賞する。何て惨い事をするンだと敦の瞳は悶絶する少女の濡れた瞳と遭遇した。敦は走馬燈のように思い返す。温かさを与えてくれた人の冷たい涙に震える脚を勇ました。策を講じるような頭もなければ正義の味方のような強靭な精神も肉体も持ち合わせていない。そんな自分が今、何が出来るか。彼女の為に何が返せるか。其処まで考えてしまったら最後、少年の身体は前へと踏み出し少女が横たわる上に覆いかぶさった。
「辞めろ。彼女が何をした。お前に何をしたと云うンだ!」
「誰だ小僧死にたいのか」
銃口が敦に向けられる。悲鳴を喉に流し込み、其れでも敦は口火をきる。
「彼女は、見ず知らずの僕に親切にしてくれた。手を握って、飲み物や食べ物を分けてくれて…素性も得体も知れない奴にお前は慈悲を恵めるか?」
虎になっている時の記憶はない。だが確かに敦の頭を撫でてくれた手の温もりを思い出す。尖りを帯びた牙、肉を裂く爪、獰猛な獣を前にして少女はきっとあの時のように微笑んでいたんじゃないだろうか、頭の痛い都合の好い仮想。其れでも敦の中に其れだけ否定できる証拠もない。だからこそ死なせたくない、死んでほしくないと願った。
「お前の様な奴に彼女を殺す権利なんて存在しないッ!」
「じゃあお前が死ね」
「敦君ッ!」
太宰の言葉が放たれた後に続く発砲音が空しく奏でた。硬く瞼を合わせて衝撃に耐えている敦は一向に来ない痛みに片目だけを開眼すると、憎き男は自身と同じ歳くらいの気弱そうな少年へと変貌。何やら謝っている様子。そして自身が被さっている少女は黒髪のセーラー服姿になり笑みを浮かべていた。目視すると彼女の足に銃弾に寄る負傷も破片で切った傷も無くなっていた。
男の手に注視すると握られた銃火器の筒からは造花が飛び出している。
「一体何が…」
混乱する敦を余所に太宰が「色葉ちゃん」と名を呼ぶとが手を叩く音が聴こえ谷崎の異能力が解かれた。地面には絨毯が敷かれ、空洞からは厳格な男性と姿勢の悪い女性、先程銃火器を向けていた男と、被弾した少女が姿を現した。
「入社試験だよ、君の」
「へっ?入社試験?」
「ごめんね。騙すような事して」
「お兄様の演技中々でしたわ!悪劣非道の限りがもう堪りませんでしたっ!家に帰ったら続きをしてくださいませね」
谷崎に飛びつくナオミ。其れを余所に国木田が立ち上がった。
「誰だ、こんな台本にしたのは!」
「わたしよ」
ゆらりと社長、福沢の隣から現れた女性。玖条小雪が幽玄のようによたつきながら国木田の前に出る。その登場に国木田は口を閉した。
「小雪さんが書くとリアリティーがありますね。私も次は主役として出たいものです」
「あら太宰君。貴方の体験談を参考にこうなって欲しいな、と小春ちゃんから切望されて脚色したのだけど。お気に召したのなら小春ちゃんに頼みましょうか?」
「遠慮します」
青白い顔色で不気味に笑む小雪に太宰は丁重に断りを入れた。状況を半濁も出来ない敦は此れが本当に起こった出来ごとではないことにまずは胸を撫で下ろす。そんな敦の目線に合わせて色葉がしゃがみ込み笑みを向けた。
「あなたは……」
『またお逢い出来ましたね、猫さん』
手を伸ばし色葉は敦の頭を優しく撫でる。其れによって敦は本当に事態を呑みこみ肩に張った力を抜かす事ができた。其処へ草履の磨る音を響かせ社長が眼前に立つ。
「先ずは謝罪しよう。其処な娘が迷惑をかけた。済まない」
福沢は色葉の頭を軽く叩きながら撫でつつ、其の瞳は油断を赦さない。
「その魂の真贋試させて貰ったが、太宰に一任する」
見定める瞳が査定をし、判定を出せば福沢は身を翻す。探偵社に先に帰るその様子を小雪が胸に本を抱きながら右往左往していた。其の背中に色葉が手を添えて推す。
『小雪姉さん。社長と一緒に事務所に行っていてくださいな』
「でも…わたし締め切りが」
『でしたら私の机で執筆をなさってください。私は事情説明など諸々処理をしなければなりませんし。夕刻になれば小春姉さんが迎えに来ると言っていました』
「……行ってくるわ」
拳を握り小雪はふわりと揺れながら福沢の隣へ行き、共に去って行った。
取り残された敦は周囲を取り囲む人達の顔を順に視て行きながら、やっと事の要訳を掴み顔を青ざめさせる。
だが太宰は哂いながらこう述べた。
「ようこそ武装探偵社へ。中島敦君、君を歓迎するよ」
太宰さんが絶対に武力でも知力でも勝てない人の名前が出ましたがそれは次の話でネタバラしながら書きたいな……乱歩さんは拗ねて来ないよ。