踏切の向こう側
 一人の帰り道。木兎は記憶にある後ろ姿を見つけて声をかけた。
 名前は知らない。どこのクラスなのかも知らない。どんな性格で、何が好きか。何を嫌いか。木兎は全く知らない。会話らしい会話だって行われたのはたったの一度だけ。――それでも木兎がその後ろ姿を覚えていたのは、ひどく印象的だったから。
「こんなところでなにしてんの?」
 木兎は自分の背の高さを理解している。木兎にそんな気はなくとも、それがひどく威圧感を放っていることも自覚していた。
 だから腰を屈めながら横からひょいと顔を覗かせる。
「――さんも今帰り? あ、もしかして勉強してた!? 俺と一緒!」
「ぁ、」
 光の無い、生気の感じない目が一瞬、きらりと輝いた。
「ぼくと、くん」
「うん!」
 女の掠れた声は木兎に届く。
 しっかりと、確実に。
 木兎は普段と変わりない笑顔で頷いて、自然な動きで横に並ぶ。動かない女を疑問に思うことなく、何の意図も存在しないままに。
「家こっち?」
 少なくともこの場に第三者がいたのならば、木兎ってば相変わらず配慮のないやつだと言われていたかもしれない。あるいは、相手のことを考えろ、とも。
 木兎が覚えていた後ろ姿は、自分に恋心を抱きなけなしの勇気を振り絞って思いを伝え、砕かれた背中だった。
 出来事を忘れたわけではなかった。頭の半分以上をバレーボールが占めている木兎でも流石に忘れようがなかった。なんせ人生で初めて呪われた出来事である。隣を見る度に思い出す。自分はこの子に助けられたのだと。
 しかし木兎には危機感がなかった――というよりは、割と楽観的な性格をしており、なんとかなる精神を持っているので今目の前にいる女が自分を呪ったのだとしても、特に気にすることではなかった。実際自分は今を生きていて、死ぬことがなかったので。バレーができない体になったわけでもないし。だから、木兎はあまり気にしていなかった。
 ――少なくとも、木兎は。
「ぼくと、くん」
 小さな小さな声だった。辺りが静かでなければ聞こえないような、存在すらなかったことになりそうなほど、小さな声。
 ん? と、いつもと変わらないように木兎が答える。それは部活のメンバーや普に対する声色とは少し違うものだったけれど、気が付く人間はどこにもいない。
「――欲しいの」
「? なにを?」
 木兎は、何も変わらなかった。
 それが、木兎光太郎だった。
「なに、なにを。ほしい。わからない。わたしは、なにがほしいの?」
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