おはようといつも通り挨拶をしているはずの木兎光太郎は、少し元気がなかった。教室全体に響くような声は聞こえず、ぽつりと呟くような声。クラスメイトたちも不思議に思って声をかけているようだったけれど、その返答はどれも元気がなかった。
体調を心配する声も、らしくないとふざける声もこちらまで届いている。
どさりとエナメルバッグを机の上に置かれた音が耳に届いても、私は横を見ることができなかった。
「あまねさんおはよ〜」
「…………おはよう」
声をかけられても、私の視線は固定されたまま。こうなるなら本でも持ってこればよかった。集中していると思えば木兎光太郎だって声をかけてこなかったかもしれないのに。
(今まで影響がなかったはずなのに、なんで)
視界をちらつく赤い糸は、昨日までかろうじて赤≠保っていたはずだ。それなのに今はもう、昨日遭遇したものと同じ――黒い糸に、変色している。
一日でいったいなにがあったと言うのか。気にしないようにしても難しかった。黒く変色しているその糸は、木兎光太郎にまとわりついている。かと思えば、時折こちらにちょっかいをかけてくる。
見えているから触れないように避けることができるけれど、他の人には見えていないことを考えるとそんなに大きな動きはできないし、かといって席を誰かと変わることもできない。木兎光太郎本人にも見えていないから、大袈裟に避けたら不審に思われてしまう。
(なんでこれで動けてるの……? ただの人間だよね……?)
万が一木兎光太郎が人間でなくたって、こんな呪いを受けていればただで済まないと思うのだけど。
できるだけ糸を視界に入れないように――かなり難しいけれど――横を見ると、随分色をなくした顔をしている木兎光太郎が、力なく机の上に顔を預けていた。腕はだらしなく床に向かって垂れている。
「……元気なさそうだね」
風邪? あくまでただのクラスメイトとして心配の声をかけると、隠れていた金がちらりと少しだけ顔を現す。いつもよりも半分ぐらいしか開いていない大きな目は、生気が奪われているように見えた。
「風邪〜? んや、俺風邪引いたことねぇもん、ちがうとおもう」
「バカは風邪引かないって言うアレじゃ……」
「ひでー!」
笑う顔もどこか力がない。私の知っている木兎光太郎の笑顔はキラキラと輝いていて、周りを照らすような、元気一杯のものだった。別人と言われても頷いてしまいそうなほど、今の木兎光太郎は普段と違った。
木兎光太郎の元気がない理由を、私だけが知っていた。
私だけしか、知ることができない。
「ねぇ」
「あまねさん?」
「今日も放課後って部活?」
「おー! 部活」
「出るの?」
「出るよ?」
「……その体調で?」
「別に悪くねぇもん」
唇を尖らせて拗ねてるポーズを取る木兎光太郎に、信じられない目を向ける。そんなに体を重そうにしておいて、部活に行くだなんて。
はっきりと覚えている自己紹介でバレーが好きと宣言していたように、バレー部に入部したらしい木兎光太郎が部内でどのようなポジションにいるのかまでは知らない。知らないが、誰が見たって不調だとわかる体調でさせてもらえるのだろうか。
顧問まで誰なのか把握していないが、帰らせるような気がする。私なら原因がわからなくたってそうするだろう。
「ああ、そう……」
だけど私には関係ない。
木兎光太郎の体調がどれだけ悪かろうが、部活に行こうが、関係ない。
例え倒れたとしても、これが原因で亡くなったとしても、ただ隣の席になっただけの私には、関係ないのだ。
席替えをして隣に木兎光太郎がいるようになってから、ちょうど二週間が経っていた。