運命の赤い糸
 扉の隙間から光が漏れている。中から「お疲れ様でしたー!!」と何人もの声が重なって聞こえる。次いでこちらに向かう足音に、廊下の端へ移動した。
 外はもう暗い。いくら日が落ちる時間が遅くなったとは言え、七時を回ると太陽は姿を隠してしまっている。どんよりと重たい雲に見え隠れする月が、辺りを照らしたり影を作ったりしていた。
 体育館から出てくる人たちを見つめながら、目的の人物を探す。部室に向かう彼らは私の方を見て、特に声をかけることなく過ぎて行った。
(……いない)
 だいたいの部員が出てきたと思う。それでも目的の人物は姿を現さない。
 人がもう出てこないことを確認して体育館の中を覗けば、最早姿を確認できないほどぐるぐる巻きにされた人がひとり。人であるかどうかも確認できないほど糸に巻き付かれた人間に、目を疑った。
(あれだけ巻き付いといて立ってられるの? なんで? おかしくない?)
 普通の人間ならばとっくに倒れていたっておかしくはない。それなのに平然と立って、かつまだ練習を続けるらしい。それでも時折足元がふらついているのを見ると、やっぱり立っているのがやっとなのだろう。
 近くにいた茶髪の男が、糸の中に手を突っ込んだ。木兎! と怒気の含んだ声は、体調の悪い木兎光太郎を心配してのことだろう。
 家から持ってきた数珠を握りこんで、スリッパを脱ぐ。部活がもう終わっているのなら、部外者の私が中に入っても問題はないだろう。
 木兎光太郎と茶髪の人は私に気付いていないようで、近付いてもこちらを向くことはなかった。
「……ねえ」
 声をかけると勢いよく振り返った茶髪と木兎光太郎――木兎光太郎に関しては本当に振り返ったのかわからない。なぜなら全身糸が巻き付いていて前も後ろもわからないので――は、私の姿を捉えると首を傾げた。
「あまねさんじゃん! なんでここにいんの?」
「誰?」
「彼……? のクラスメイトの普です。よろしくお願いします」
「木葉秋紀です、よろしくお願いします」
 私に倣うようにして頭を下げる、木葉秋紀と名乗った茶髪の顔はなぜここにいるのか≠ニ疑問を全面に押し出していた。
 糸の塊から木兎光太郎の声が聞こえるのはなんとも不思議な気持ちだった。
 こんなにもどす黒い呪いを宿していて尚こちらに影響がないのは、この呪いの目的が木兎光太郎ただ一人に絞られているからだろう。
 木兎光太郎に対し同等に扱っているということは、木葉秋紀も同学年であることがわかる。しかし、まさか木兎光太郎以外が一緒にいるとは思わず、この後どうするべきなのか悩んだ。このまま話を続けてもいいが、できれば他人には聞かれたくない。
「ごめん、彼を一時間ほどかしてほしい」
「……悪いけど、コイツ体調悪いんだわ。後日でもいい?」
「できれば、今」
「理由は?」
「………………その不調を、なんとかするから……」
 できれば言いたくはない。言いたくはないが、先程木兎光太郎を叱っているのを見るに、理由を聞かれるとは思った。大切な仲間、もしくは友人なのだろう。初めて関わる人間ではあるが、木葉秋紀がいい人であろうことは雰囲気から察していた。
「あまねさんなんとかできんの!? まじで!?」
「どうやってするんだよ」
「………………………………………………言わなきゃダメですか」
「うん」
 言いたくない。苦虫を噛み潰したような顔をしている自覚はあった。初対面の相手にするような顔じゃない自覚はあった。だけどもどうしたってこんな顔になってしまうのだから許して欲しい。いや、許さなくてもいいから見逃してくれ。
 木兎光太郎を庇うように私との間に入る木葉秋紀は、説明をしなければそこを退いてくれそうにない。無理やり木兎光太郎だけを連れ出すこともできなくはないが、私は今の彼に触れたくなかった。
 木兎光太郎に触れると言うことは、呪いに触れるということ。それがどれだけ大変で苦しいことなのか、私は知っている。
「………………わかった」
 木葉秋紀としばらく睨み合ったあと、白旗を挙げたのは私だった。
 だってこのまま放置しておくと木兎光太郎は本当に死んでしまう。私にとっては関係ないと思うし、事実木兎光太郎がどうなろうが知ったこっちゃない。だけど隣の席の人間がある日ぽっくりと亡くなっただなんて、目覚めが悪すぎる。
 だから、やるだけ。
 私にできることを、できる限りの範囲で。
 関係ない、関係ないと言いながら結局、私はただのお人好しになるんだな、とぼんやり浮かんだ。
「理由は話す。信じる信じないは任せるけど、絶対誰にも言わないで。それが約束できないのなら、彼を見殺しにすればいい」
「みご、はぁ!?」
「え、俺死ぬの?」
「約束、できる? できない?」
「見殺しってどういうことだよ」
「そのまんま。その理由も含めて、約束できるのなら話す」
「するする!」
「…………わかった、約束する」
 渋い顔をする木葉秋紀と数秒目を合わせて、はぁ、と息を吐き出した。強く握っていた数珠の力を抜くと、木と木のぶつかる鈍い音がした。
「バケツ、ある?」
「話すんじゃないのかよ」
「時間がもったいないから、やりながら話すのじゃダメ?」
「バケツなら倉庫にあったと思う! いる?」
「水いっぱいにして持ってきてほしい」
「おっけー!」
「あっ違う、あなたじゃない」
 持ってきて、と木葉秋紀を見て言えば、渋々とその場を動くその背中を見つめる。
 木兎光太郎は「俺じゃダメなの? なんで? 持ってこれるよ?」と大量の疑問符を浮かべていたけれど、座るように指示して落ち着かせる。
(だからなんでこんなに元気なんだ……体調は確かに、悪そうではあるけど……)
 ソワソワとしているように見える木兎光太郎の姿を視認することはできなくても、雰囲気は感じ取れる。今朝はあんなにぐったりとしていたのに、今はそんなおもかげ見当たらなかった。
「ひとつ聞きたいんだけど……、二週間ぐらい前、告白とかされた?」
「え!? なんで知ってんの!?」
「……その相手って、同じ学年の、茶色いボブの子?」
「そー! あまねさん知り合い?」
「ちょっとね」
 やっぱりあの日出会った子の恋心が、呪いとなったのか。可哀想と思わなくもないが、呪うのはいくらなんでもやりすぎだ。ただの可愛らしい恋心なら、私もなにもしなかったのに。
 これから訪れるであろうあの子の未来を考えて、頭を振った。ただの自業自得だ。私が気にすることじゃない。
「持って来たけど、何に使うんだよこんなの」
「いいから」
 持ち歩いても零れない量だけ入った水は、床に置かれた振動で水面が揺れている。その中に数珠ごと手を付ければ、ひんやりとした感覚が伝わって数珠が溶け始めた。
「は、」
「すげー!!」
 バケツを覗き込んでいた木葉秋紀が驚きの声を上げる。空いている方の手でポケットから小瓶を手渡して、どれだけ小さくてもいいから三人を囲うように蒔くことを指示すれば、訝しげな顔をしながらも素直に従ってくれた。
 別に塩は必要ないかもしれないけれど、念には念を入れておいて損はない。万が一、ということもあるし、私だって万能じゃない。こんなことをするのだって、片手で数えられる回数しかない。
 玉と玉を結んでいた紐まで水に溶けたことを確認して手を出す。どうせこのあとも濡れるのだから、わざわざ拭かなくたって問題はない。
「手、入れて。左手」
「俺?」
「そう。ちょっとぴりっとするかもしれないけど、耐えて」
「わかった!」
 疑うことを知らない人間なのだろうか。行動の意味すら説明していないと言うのに、木兎光太郎は素直に従う。
「……なんだこれ」
「……俺の手、やばくね?」
「呪い」
 のろい、と繰り返したのはどちらだろうか。どちらでもいい。目の前の光景を信じるのなら、それでいい。
 水に浸かった部分だけ糸が見えているのだろう、木葉秋紀は目を見開いて、信じられないと顔に書いてある。
「これは、木兎光太郎に恋する女の子の、恋心」
「こんなもんが!?」
「恋心が転じて、呪いとなったもの。聞いたら二週間ぐらい前に告白されたらしいじゃん。その子だよ」
 水の中で木兎光太郎の手に触れると、火傷のような痛みが走る。解くなと言っている。触れるなと言っている。それが、痛みとなって私に伝えてくる。
 掛けていたメガネを外す。度の入っていないメガネは今は邪魔なだけ。裸眼の方がよく見えるから、間違えることもなさそうだ。自衛のためにと掛けていた黒縁のメガネは、祖父から授けられたものだった。
「不調は、この呪いのせい。心霊現象だよ、相手は生きてるけど」
 糸は前身に巻き付いて塊となってしまっているけれど、ここさえ解ければあとは自然と消えていく。問題は、その場所が一番難しいということだけれど。
「……幽霊は存在するし、それを見る人間も、祓う人間も存在する。大多数の人間が見えないだけで、確かに存在するんだよ」
「あまねさんは見える側?」
「うん、そう。一応道具さえあれば、強くない霊なら祓える」
「すげぇじゃん!」
「……普さん、木兎のそれにいつ気がついた?」
「二週間前だね」
「今まで、放置してたってことか? 木兎がこうなるのを、知ってて」
「…………そうだね、そうなるね」
 なんで、と批難する声は正しく私の耳に届く。
 そうだね、その感情は正しいだろうよ、友人として。だけど私と木兎光太郎はただのクラスメイトでしかないし、偶然隣の席になっただけで、そうでなければ会話という会話すらないような間柄だ。見たところ有り得ないぐらい元気だったし、私が手を出さない理由ならたくさんある。けれどそれを一つ一つ説明する必要はないだろうと、木葉秋紀の言葉は無視した。
 変色した糸はひどく重たかった。元はたったの一本であるはずなのに、複雑に絡み合って出口が見えやしない。
「あまねさんさぁ、なんで今、助けようとしてくれてんの?」
 顔はあげなかった。目の前のものに集中するために、視線はたった一つを見つめ続ける。
「隣の席になったから」
 目覚めが悪い。これから起こりうる自分への影響が怖い。教室で息苦しくなる。視界にチラつく糸が邪魔。――理由はたくさんあれど、一番の理由は、言葉にした通りだった。
「隣の席になって、話すようになったから」
「隣の席にならなかったら、助けてくんなかったの?」
「かもね。……たらればの話は、あんまり好きじゃない」
「そっかあ」
「うん」
「待て待て待て待て木兎! そいつさらっと席が隣じゃなかったら見殺しにする宣言してんぞ!」
 一つ一つ、丁寧に絡まりを解いていく。その度に走る痛みは、奥歯を噛み締めることによって耐え続けている。
「でも今助けてくれてんだし、よくない?」
 ゆっくり。ゆっくり。
 間違えないように。
 丁寧に。
 あの子に、お返しする。
 この恋心は持っていてもよかったけれど、強すぎた。
 こんなにも強烈に、熱烈に、人を思うことができるのは素晴らしいことだろう。
 だけど、やりすぎはいけない。
 はぁ、と息を吐き出して、じわりと滲む汗が伝って水に溶ける。まだ半分以上も残っている絡まりは、終わりが見えなくて気が遠くなりそうだった。
 一度やると決めて手を出したなら、最後までやり通さなければならない。
 幼い頃から祖父に言い聞かせられてきた言葉だった。だから、私は途中でやめることができない。最後まで、やり切らなければならない。
 バレーが好きだと、大きな声で言っていた木兎光太郎。その目は溢れんばかりに輝いていて、嘘などひとつもなかった。
 興味がなくて詳しくは知らないけれど、ボールを拾って、打つことぐらいは知っている。手が大事なのだろうことぐらいは、知っている。
 大事にしているものを預かっている今、私が粗末に扱うことは許されない。
「そういえば、告白は断ったの?」
「おう!」
「……そう」
 あの子は、悲しんだのだろうか。苦しんだのだろうか。想いを受け取ってもらえなくて、泣いたのだろうか。
 想像しても意味がないことが頭に浮かんで、すぐに消した。
(……あと、すこし)
 ひとつ綻びを見つけてしまえば、あとはするりと解けていく。
 この糸は呪いだ。
 この糸はあの子の気持ちそのものだ。
 第三者である私が介入すべきことではないかもしれないけれど、どうしてと責められてしまうかもしれないけれど。これは、ただの偽善なので。
 最後の絡まりを丁寧に、丁寧に解けば、全身に巻き付いていた黒い糸が完全に消えた。
 顔をあげれば、すっかり見慣れてしまった金の瞳と交わる。ぱちり、と瞬きをした木兎光太郎は、心底嬉しそうに笑った。
「さんきゅ!」
「……どういたしまして。まだ体が重かったりしても、残り香みたいなものだから、寝たら元通りになってる」
 あの子の恋心を解いてしまった罪悪感がないわけではないけれど、そっと目を逸らして見なかったことにする。
 バケツから手を勢いよく引っこ抜いた木兎光太郎は、周りに水を撒き散らして木葉秋紀に叱られていた。ごめんと謝る木兎光太郎の顔はすっかり元通りだ。
 体育館に設置されている時計を見れば、短針は既に八の字を指している。最終下校まであと数分。体育館はまだ部活で使用したネットが出ているし、二人は練習着のまま。早く学校を出なければ怒られてしまう。
「……バケツは私が片付けるから、二人は部活で使ったものの片付けと、着替え。早くして」
 私の言葉にバッと時計を見る。
「やっべ!」
「まじでやべぇじゃんほら木兎早くしろ!」
 焦りを浮かばせた二人は慌てて片付けに取り掛かる。もうこちらから意識が逸れたのを確認して、私は自分の手をバケツから抜いた。
 赤い線がいくつも入っている。火傷のような、蚯蚓脹れ。ぷくりと腫れて膨らんだそこは、じんじんと熱を持った痛みを感じる。
 これは、あの子の敵意だ。
 人の気持ちを弄る、私への罰だ。
 ただ純粋に木兎光太郎のことを想っていただけだろうに、勝手に解いてなくしてしまった、罪だ。
 目を閉じて視界を暗くすると、あの子の叫び声が聞こえてくるようだった。
 バケツを持つと刺すような痛みに変わる。じくじくと、忘れるなと言っているみたいだった。
 横に置いていたメガネを掛け直して、体育館の外へ出る。バケツの中身をひっくり返して空にして、入口付近に置いた。
「バケツ、ここに置いておくから、あとはよろしく。先に帰る」
 返事も聞かずに踵を返す。背後から驚きの声と共に「送るよ!?」と木兎光太郎の声が聞こえたけれど、それは聞こえなかった振りをした。
(一緒に帰ったら隠せないでしょうが)
 この傷は、私の肉体につけられたものだから、誰だって見えるものだ。私のような変な目をしていなくても、傷としてそこにあるのだから当然。
 隠す必要があるかと問われれば、別に、不要ではあるかもしれない。どうせ明日も学校で、隣には木兎光太郎がいるのだから、気付かれるのだって時間の問題かもしれない。
 だけど、この傷を見てあの笑顔が曇るのは、なんだかなぁ、と思うので。
(薬局に寄って帰らないと。おじいちゃんにお礼も言わなきゃ)
 あの数珠が水に溶ける仕組みは私もわからない。祖父が準備をしてくれた、特別なものだということはわかる。当然市販のものではない。何度かお世話になったから、使い方だって知っていた。事情を説明すれば言葉少なに渡してくれたあの数珠は、溶ければ二度と戻ってこないけれど時間をかければ同じものが作れると知っている。
 作り方までは、祖父は教えてくれないけれど。