思いを乗せるにはまだ足りない
ピンポーン、と軽快な音が部屋に響いて集中が切れた。
次の作品を書き出すために、今まで赤葦くんと出かけた時に撮った写真を最初から見返していただけだけれど、思ったより集中していたようだった。
ネットで買い物をした覚えはないし、赤葦くんは合鍵を持っているからわざわざインターホンなんて鳴らさないだろう。
それならば、誰だろう。
立ち上がると、長時間同じ体勢でいたせいで関節のあちこちが鳴り始める。これは後でストレッチコースかもしれない。最後に首の関節を鳴らしながら、覗き窓から確認せずにドアを開ける。
「確認はしなって言ったよね」
「……あかあしくん?」
なん、どうした?
少し怒気を含んだその声は、視界に入ってくる姿と一致しなくて目を丸くするしかできない。
普段と変わりないシンプルな服装まではよかった。別に髪を切っているだとか、眼鏡からコンタクトに変わっているだとか、そんな変化はない。――ただ、両手に抱えた花束はなに?
「とりあえず中に入れて。流石にこのまま外にいるのはきつい」
「あ、うん、どうぞ。……合鍵は?」
もしかして失くした?
「あるよ。ただちょっと、……驚かそうと思って」
「……心読むのやめて?」
「わかりやすいから」
「そん、そんな事はない、はず……」
今まで何度も言われてきたせいで否定の言葉に勢いが無いけれども。
玄関の扉を閉めて暫くすると、赤葦くんの抱えた花束から爽やかな香りが辺りに漂い始める。とりあえずそれ、どうしたんだろう。
真っ白で小さな花がたくさん咲いている花束は可憐で大変可愛らしい。可愛らしいのだが、赤葦くんが抱えるには少し……似合わないと言うか、あまりにミスマッチな気がして。主にサイズ感が。
勝手知ったる様子でずんずんと中に進んでいく彼は、ソファに座ることなくその場でくるりと回る。向かい合った赤葦くんは緩やかに微笑んでいた。
「はい、おめでとう」
「……?」
抱えた花束が私の手に移る。しかし言葉の意味も、花束の意味も、何もわからない私は首を傾げてしまった。赤葦くん曰くわかりやすい≠轤オい私の顔には困惑がありありと現れている事だろう。
楽しそうに、だけどどこか嬉しそうにしている赤葦くんの表情はレアだけど、じっくりと見つめていられるほどの冷静さはどこにもない。
「昔、言ってたよね。欲しい賞があるんだって」
「……覚えてたんだ」
「まぁね。夢だって語ってくれたでしょ。憧れてる作家が取った事があるから、自分も取ってみたいって」
「めっちゃ覚えてるじゃん」
「うん。だから、おめでとう」
「………………え?」
「正式な連絡はまた会社の方からくると思うよ。だから一足先に俺から」
「……待って」
「うん」
「……、それ、言っていいやつ?」
「ダメなものは言わないけど」
「あぁ、うん、赤葦くんはそこらへんもしっかりしてるもんね……え?」
「はは、混乱してる」
「しない方が無理では!?」
思わず強く抱えた花束から一層強く香りが漂って鼻孔をくすぐる。丁寧に巻かれた包装紙がかさりと音を立てた。
花束の理由は理解する事が出来たけれど、まだ混乱が残る頭では素直に喜ぶ事ができないでいた。
「……花瓶買わなきゃ」
「うん」
「お花の保存って、どうすればいいんだっけ」
「あとで調べようか」
「……うん」
「おめでとう」
「ありがとう……」
じわりじわりと湧いてくる喜びを噛み締める。ずっと望んでいた賞をもらえたことも、ずっと昔に少し話した事を赤葦くんが覚えていたことも、こうして赤葦くんが祝ってくれる事も。全て。全てがうれしくて、視界が歪んでいく。
「……うれしい、」
抱き締めるとくしゃりと包装紙が潰れる音がして、慌てて力を緩める。その様子をずっと眺めていた赤葦くんはひとつ笑みを落として、そっと私の手を取った。
「俺は、これからも君の作品を好きでいるだろうし、」
「うん」
「これからも君に締め切りを迫り続けるだろうし」
「……それは、ちょっと、ヤメテホシイカナ」
「締め切りは守って」
「ハイ」
あと、とまだ続ける気らしい彼は、締め切りの話では眉間に寄せていた皺を消して目を伏せる。目線が外れて、どこを見つめているのか私からはわからなかった。
「必要であるなら資料のための旅行にだってどこにでも着いていく」
「たすかります……」
作品のためにと初めて訪れる場所は必ず赤葦くんとだった。きっと他の人とだったらあんなに楽しくはなかっただろう。赤葦くんとだから、あれだけ楽しめた。そもそも、赤葦くん以外と出かけようなんて、思わないのだけれど。
たくさん、それはもう数えきれないほどたくさん助けられた記憶があった。どうしてここまで私に付き合ってくれるのか不思議に思った事もあったけれど、彼も仕事だしなぁと無理矢理納得させたのだ。そうじゃないとバカな私は期待してしまうから。
「でもね」
「うん」
取られていただけの手が握られる。赤葦くんの温もりがより強く感じて、どくり、と心臓が跳ねた。こんな風に触れるのは初めてだ。何度か触れた事はあるけれど、どれもが偶然か、私から触れるだけだった。こんな風に優しく、壊れ物を扱うような触れ方をされるのは初めてだった。
「できれば、作家と編集って立場とも違う、同級生だけじゃない関係も増やしたいなって思ってる」
「………………え?」
「……どうかな」
少し不安そうにも見える赤葦くんの顔は、それでも頬を赤く色付けている。目を丸く見開いて、視界いっぱいに赤葦くんを捉えると、頭の端から言葉の意味を理解していって、零れた音はとても小さなものだった。
「え、っと、まって、待ってね?」
「うん、待つよ」
「これって告白ですか!?」
「うん」
「アッ、あっ、まじですか」
「マジですね」
変な勘違いでなくてよかったと安堵すると共に、混乱して雰囲気を台無しにしてしまった事を反省する。私と同じ言葉を使って肯定する赤葦くんに申し訳なくなって、ちいさくごめん、と呟いた。
「それは告白に対して?」
「…………私、好きって言われたいタイプです!」
ただ握られていた手を私からも握り返す。手が動いた瞬間に驚いたのかぴくりと振動が伝わったのはこの際無視だ。
赤葦くんの目の奥がどろりと溶ける。
今度は私が彼の目を見て離さなかった。
不安そうに見えていた顔はもうどこにもない。赤みはそのままに、緩やかな笑みを浮かべている。……そういえば、私は彼のこの表情を一番見ていたかもしれない。それが好意の現れだったなら、――一番古い記憶で、高校生の頃。
やさしく、大切に、囁くように、私の名前を告げられる。
「好きだよ」
――いつから、目を合わせるのが恥ずかしいと思い始めたのだろうか。
――いつから、僅かでも熱が伝わると体温が上がるようになったのだろうか。
――いつから、自分の心臓を制御できないと悟ったのだろうか。
――いつから、冗談では済まされないほど落ちてしまったのだろうか。
「赤葦くん」
「うん」
彼の相槌はいつだって優しくて、こちらのペースを待ってくれる。どれだけ時間がかかっても急かしたりなんかしない。ずっと。ゆっくりと。待ってくれている。
「あのね」
早く動く鼓動の音が頭の中に響いて、自分の声さえもかき消されてしまいそうだった。ただ見つめられているだけなのに、視線が固定されて離せない。
それでいい。それが、心地よかった。
「……わたしも、すき」
小さな小さな私の気持ちは、確かに赤葦くんに届いた。嬉しそうに、今まで見て来た中で一番幸せそうに笑っているのが何よりの証拠だろう。
少し前の自分に教えてあげたい。お別れなんて、今のところ来ないかもしれないよって。絶対なんて言えないけれど、私にとってはこれだけで充分だった。
「うん、知ってた」
――今、なんて?
「……知ってた?」
「ふふ、うん、知ってたよ。ほら、きみはわかりやすいから」
今までも、これからも。きっと私は赤葦くんに隠し事なんて出来ないのだろうと悟った。
だってずっと隠していたと、隠せていたと思っていた気持ちは、とっくにバレていたらしいので。