手段なんて選んでられない

【5】

 この日の帰宅は随分と遅い時間となった。日付が変わりそうな時間に、ようやっとマンションまで帰ってこれた私の疲れ切った体はあまり言う事を聞いてくれない。ご飯を食べるのすら億劫で。朝にしんどい思いをするのが分かっていても、お風呂でさえ後回しでいいかと思えるほどだった。
「……なにあれ」
 自分の部屋に近づいて、ドアノブに袋がかけられているのがわかった。非常灯しかついていないマンションの廊下は、かろうじて足元が確認出来るかどうかぐらいの明かりしか仕事をしてくれない。
 袋の口からは鮮やかな赤い色が覗いている。恐る恐る手を伸ばして掴む。口を広げて中を確認すると、透明なフィルムに包まれた一本のチューリップだった。
 誰がここにかけたのかわからない。かろうじてわかるのは私の部屋にかけられていたから、私宛であると言う事だけ。
 これ、持ち帰って大丈夫なやつなんだろうか。送り主が分からなくて困惑する事しか出来ない。
 オートロックがないから、誰だってここまで来る事が出来る。だから送り主の特定が、私には出来なかった。
 まぁ、いっか。
 割と適当な自覚はあったけれど、私の体も思考も限界を迎えている。これ以上何かを考えている余裕なんて無いから、中身が潰れないように袋を持って家の中に入った。
 扉を抜けたすぐ横に置かれている靴箱の上に袋のまま花を置く。枯らしてしまうのは忍びないので出来る限りの事はしようと思うけれど、花の保存方法なんて知らない。それも調べなければいけないのか、と少しうんざりする。――いっその事枯らしてしまってもいいかな。ダメか。
 鞄も投げ捨てて、スーツも脱いでそこら辺に放置。下着姿のままベッドに身を投げ出した。
「おやすみぃ……」
 誰に向けたでもない独り言を呟いて、私の意識は瞬殺された。

 それから一週間も経たない内に、二本目が届いた。
 三本目は一本目が届いてからちょうど一週間が経った頃。
 毎日ではないけれど高頻度で送られてくる花にどうしたものかと首を捻る。保存方法は調べたし一応花瓶も購入しているけれど、いつかは枯れてゴミになるものを送られても私だって困る。
 一体誰が送っているのか。偶然なのかあえてそうしているのかわからないが、見張っている時に限って送り主は現れない。
 四本。五本。六本と増えていく。そして一本、二本と枯れていく。
 最終的に私の元に届いたのは十一本。その意味も、チューリップである意味もわからないまま全てが枯れて、全てゴミと化したある日。もう花の事なんて日々の忙しさで記憶のい片隅に追いやられていた時だった。
 久しぶりに角名から、連絡が来た。
 しかも、メッセージではなく電話。
 一度の着信は驚いて出るべきなのか悩んでいたら切れてしまった。
 二度目はそのあとすぐだった。私が仕事中であったなら傍迷惑だけれど、どうするつもりなんだろう。もしこの着信も出なければすぐに三度目がやってくると、なぜか理解していた。
 恐る恐る電話に出ると、電波の向こうで角名の拗ねた声と文句が聞こえた。
『出るの遅い』
「……いや、なんの用?」
『用がなけりゃかけちゃダメなの』
「いや、だって、」
 私たち、そんな仲じゃないよな?
 一緒に飲みに行った日はアルコールで気分が上昇していたから友達のように話していたけれど、本来の私たちはそうではない。
 高校三年間を体だけの関係で終わり、卒業後は疎遠。この前だって偶然会ったから連絡先を交換して――ほとんど無理やりだったように思えるけれど――飲みに行っただけ。ただ、それだけ。
 ほんの少しの下心を拒否したのはそっちなのに。
『今度また東京行くんだよね』
「へぇ。で? なんで私に言うん」
『会いたいなって』
「……私に?」
『他にいないじゃん』
「いや、それはそうやねんけど……、なんで」
 会いたい、なんて言葉を送られる覚えなんてないのだけれど。
 声の温度が下がっている事はわかっていたけれど、角名なら気にしないだろうと改める気にもならなかった。
『お前に用があるからだけど』
「電話じゃあかんの」
『うん』
「あぁ、そう。……いつくんの、私仕事かもしれんで」
 どれだけ嫌がっても来るのだろうな、と思ったから私が妥協してあげただけだ。それなのに、角名には妥協しているなんて伝わっているはずなのに。電子音を混ぜてもわかるほど嬉しそうな笑い声が聞こえるから何も言えなくなってしまった。
『次の土曜に行く』
「………………休みやわ」
『良かった』
 私は何も良くない。否定の言葉は飲み込んで流す。
「それ、電話じゃないとあかんかった?」
 別に文字でのやり取りでも問題はなかったと思うのだけれど。そう続けると角名はわかってないね、なんて私をバカにした事を言う。
『チューリップ、ちゃんと受け取ってくれた?』
「あッ、んたかアレ!!」
『そう、すごい探したんだよ』
「誰からやろってわからんの怖かったんやけど」
『オートロックにしてないから侵入し放題だよ』
 それはそうかもしれないが、だからと言って本当に侵入するやつがいるか。
「……待って。角名って静岡じゃなかったっけ」
『ああ、流石に持ってったの俺じゃないよ』
「誰やねん怖いやん」
『俺の知り合い』
「角名の知り合いに家知られてんのこわ」
 送り主は判明したけれどその知り合いって誰なんだろう。きっと言われてもわからないけれど、もしかして引っ越しを検討すべきなのだろうか。角名に限って、問題のある人間に勝手に家を教える訳が無いとは思っているけれど。
『ねぇ』
「なに」
『土曜日、また持っていくから返事考えといてね』
 ――返事?
 聞き返す前に一方的に電話を切られてしまう。どういう意味か聞くために私から電話をかけるのも癪で、画面の落ちたスマホを眺め続ける。
 ああそうか、スマホで調べればいいのか。
 検索するアプリを立ち上げてチューリップ 意味≠ニ入力する。一気に出てきた検索結果の中から目につくものを読んでいくと、色や本数にも意味がある事を知る。何でこんなめんどくさいものを選んだんだと角名に文句を吐き出して、今度は検索欄に赤≠ニ足す。
 送られてきたチューリップはどれも赤い色をしていた。鮮やかで綺麗な赤だった。
 チューリップの花言葉≠ニ書かれたサイトを開く。余計な情報がなさそうだと選んだのはどうやら正解だったみたいで、欲しい情報が分かりやすく載っていた。
 ――赤いチューリップの花言葉は愛の告白≠ナす
「はぁ!?」
 一番上に書かれていた文章を理解した瞬間、スマホをベッドの上に放り投げた。数回バウンドして落ち着いたスマホは当然の事ながら何も言わない。時間経過でただ画面が暗くなっただけだった。
 こんなの悪い冗談だ。きっと私をからかって楽しんでいるに違いない。だってほら、角名ってそういうところ、ありそうだし。
 心臓がうるさいのも驚いただけで、他意はない。
 他意はない、はずなんだ。

 インターホンが鳴って、来てしまったか、と遅い動きで解錠する。扉を押せば男の、角名の胸辺りに目線があって首を曲げて調節する。手に持っていた赤い花はわざとなのか私の視線に合わせた場所にあった。
「はい、あげる」
「……いらんって言うたら持って帰るん」
「押し付けて帰るけど」
「くそ……」
「口わりー」
 手渡される花を受け取る。押し返そうともしたけれど、角名が受け取りを拒否したから仕方なく。これで合計十二本目だった。そういえば本数で意味がある事は知ったけれど、調べるのを忘れていた。
 赤いチューリップの意味≠ェ衝撃的過ぎて、その事しか考える余裕が無かった。
「返事、考えてくれた?」
 日が過ぎるのが早すぎる。
 言葉に詰まって俯いて沈黙を作った。
 角名から連絡をもらってからまだ数日しか経っていない。曜日は決まっているのだから、数日経てば土曜日が来るのは当たり前の事だけど、その当たり前にすら怒ってしまいたかった。
「……冗談」
「んなわけないじゃん。まぁ、言えなかった俺も俺だと思うけどさ」
「そんなん知らんし……、いつからなん」
「高一」
「はっ?」
 思わぬ返答に驚いて顔を上げる。――失敗した、と思った。
 目を細くして私を見下ろす角名のその奥に熱を感じる。私を抱いていた時に感じていたものとは違う、ゆるやかで、あたたかい、その温度。目は口程に物を言う、とはまさにこの事なんだろうな、と思う。
「俺じゃいい人になれない?」
 一本のチューリップを包んでいる透明なフィルムがカサリと音を立てる。自分のものとは違う、けれど知っている温度が上から重なって、息を呑んだ。
 角名から連絡をもらってから今日まで、言われた通りにちゃんと考えたのだ。考えざるを得なかったとも言うのかもしれない。考えて、考えて。ぐるぐる回る思考で社会人の皮だけを被って擬態して、空っぽの中身で仕事をしていた数日間。
「……角名は、いい人、やろ」
 落ち着いた、なんて嘘だ。大嘘だ。じゃなけりゃ可愛らしいお気に入りの下着を選んでお酒なんて飲まない。わざわざ泊ってく? なんて親切心を出さない。
 角名に初めて抱かれた日から、私の体は他の男に許していない。
 それが、もう、答えだろう。
「それってさ」
「……うん」
「俺の好きなように解釈するけど、いいの」
「いいんちゃう」
 素っ気無い言葉は、唯一出来る抵抗みたいなものだった。今まで見て見ぬふりをしていたものをすくいあげた方が悪い。きっと死ぬまで棄てられていたはずなのに。
 角名が嬉しそうに口の端を吊り上げる。
 ぐっと前に力が加わって、私と角名の間にあるチューリップが潰れた。昔よりも背の伸びているから窮屈そうに腰を曲げている。
 くっついた唇からは薬用リップ特有の香りがしていて、少し面白くて笑ってしまった。