君想ふ声(江戸パロ)(死ネタ)


夜。漆黒の空には、数え切れない星が瞬く。薄い雲に隠れた月が、辺りを淡く照らす。
辺りに人はいない。普通の町人が暗い夜道を歩けば、一瞬で闇の彼方へと葬られてしまう。なんの力もない町人だから。それは子供でも分かるほど簡単なことで、この世の中の常識だった。
故に、夜を騒がしくするのは非力な人間ではない。様々な主張を形にすべく動き、または主張の違いから争い合う。この時代はそれが当たり前だった。
そんな夜の街を、オレと仲間は駆け抜ける。目指す場所はない。走る目的はただ一つ、逃げること。

「ここまで来れば、もう・・・」

前を走っていた仲間が言って、立ち止まった。オレたちは荒れた息を整える。
長屋に挟まれた細い場所は、夜闇を一層濃く染める。

「他のやつら、うまく逃げれたかな」

心配になって聞けば、相手は不快そうに顔を歪める。

「心配するようなやつ等じゃねぇだろ」
「ま、それもそうか」

笑って返せば、きつく睨まれた。いつものことなので気にしない。
ふと顔を上げると、空が白みがかってきた。
睡魔を感じる余裕もなかったのかと、胸中で苦笑する。
しばらくすると、お互い息も整ってきた。仲間はこの場所を去ろうと歩き出す。

「もう行く」
「ああ、気をつけろよ」

短く告げられ、こちらも返す。声を掛けられただけでも、仲間として認められたということだろうか。少なくとも、以前よりは前進しているだろう。この前なんか無言で立ち去られて、かなり困った。

「さてっと、オレも行きますか」

意気込んで通りに出る。白んでいた空は、より明るさを増していた。


・・・・


昼間の街は、とても賑やかだ。いつもそう感じ、胸がはずむ。
商いを開き、客を呼び寄せる声。オレも何か買いたくなるな。
道端で噂話する女子。ほんのり頬が赤い・・・。
階上から身を乗り出し、通りを挟んだ向かいの住人に声を上げる親父さん。今日も威勢がいいなぁ。
通る人を無視して、遊びまわる子供たち。く〜、オレも混ざりてぇ!
正に平和と言える、この街の風景。およそ夜中に争いがあるとは思えないほど、活気に満ち溢れている。
更に歩いていくと、通りを抜ける。街を出ずとも、街と呼べる所ではない。
そこに、一軒の甘味処があった。今日も相変わらず、そこそこの繁盛だ。
店を見てると、中から忙しそうに女子が出てきた。少し近づけば、彼女も気づいたようで目が合った。

「あ、いらっしゃい!」
「どもッス」

明るい笑顔を向けられ、つられて笑う。オレが笑うと、彼女は頭を抱え込んだ。
どうしたのかと顔を覗き込めば、覆っている手の隙間から口元が笑っているのが見えた。とりあえずマズイことではなさそうだ。ホッとする。相変わらず可笑しな行動をする人だな。

「いつもの、食べていく?」

顔を上げた彼女は、さっきよりも更に明るく笑っていった。その様子に何故か嬉しくなり、オレも自然と笑顔で答えた。

「ああ、お願いします」


・・・・


中に案内されて、座敷に座る。少し待っていれば、彼女はすぐに"いつもの"を持って来た。

「はい、どーぞ」

変わらぬ笑顔で差し出すそれは、この店自慢のみたらし団子。
どこにでもある品だが、このみたらし団子はここでしか味わえない。

「それじゃあ、ごゆっくりね」
「え、行っちゃうンスか?」
「仕事がある程度片付いたら、また来るよ」

困ったように笑って、彼女は行ってしまった。
いつもはこのまま一緒にいて、笑いながら食べている。今日はそれが出来なくて、少し寂しく思った。
しかし、彼女も仕事なれば仕方ない。そう片付けることにして、団子を口に運ぶ。
一口食べ、口の中にほのかな甘みが広がる。うん、やっぱりここのみたらしは美味い!
このみたらし団子は、彼女の友達の自信作だそうで、他の店とは比べ物にならないほど美味い。
団子の質感はしつこくなく、それでいてしっかりして歯ごたえがある。みたらしの方も、甘さがしつこくない。それなのに団子としっかり合って、まるで飽きがこないのだ。
初めてここに来たとき、彼女はこの品を進めた。そして仕切りに"みたらしの最終形態だ"と言うから、いったいどんなものが来るのかと胸を躍らせたものだ。今では舌が躍っている。
もう一口食べていたところで、彼女が戻ってきた。手には二つの湯飲みを持っている。

「おまたせ。はい、こっちもね」
「あ、どもッス」
「いや、ごめん。さっき出し忘れたやつなんだよね」

それを合図に、オレたちは笑い出した。
これだ。やっぱり団子は笑いながら食うのが、一番美味い。それに彼女と一緒にいると和む。
しかしそれ以上に、一緒にいたいと思っていることに気づいた。和むからでなく、まして団子が食いたいからでもない。
何故なのかは分からないが、最近は夜――争い事の前でも思うようになってきている。というか、争い事の前だと、より一層強く想っている。

「ん?どした?」

いつの間にか顔を俯かせていたようで、彼女が覗き込んできた。さっきと逆の立場だな。

「あ、いや、なんでもないッス」
「そ?なんか物思いにふけってる感じだったけど」
「大丈夫スよ、大したことじゃないッス」

本当は大それたことだと思う。彼女を目の前にして、彼女そちのけで考え事をしている。彼女の事だけど。
これを誰かに言うつもりは、まだない。いつか誰かに相談するかもしれないし、ゆくゆくは彼女本人に伝える日も来るだろう。
けれど今はまだ、この気持ちを誰かと共有するつもりはない。もう少し一人で噛み締めていたいのだ。
だから、まだ彼女にも秘密だ。先は長いが、焦ることもない。

「ならいいんだけどね。何かあったら言いなよ?」
「はい。そのつもりです」

その言葉に納得したのか、彼女は満足げに笑った。つられて笑う。
それからは、いつもと同じように過ごした。笑い合いながら団子を時々食べ、彼女が仕事に戻っても、またすぐ戻ってきて、再び笑い合う。
満ち足りた幸福とは、このことだろうな。なんとなしに思ったが、それを強く自覚する。
彼女と笑い合うこと、いや、彼女と話せること・・・・もっといえば、彼女に出会えたこと自体が幸福かもしれない。そしてそのことに気づけたオレは、本当に幸せ者かもしれない。
そう結論が付いて、ふと視線を外にやると、もう日は沈みかけていた。

「あ、オレ、そろそろ行きます」

立ち上がると、彼女もそれに合わせた。
勘定を済まし、店を出る。店先までは彼女が見送りをしてくれるのも、いつもの事だ。

「ごちそう様でした」
「いえいえ、毎度ありがとうございました」

お互いに軽く頭を下げた。それがどこか可笑しく感じて笑うと、彼女も笑った。

「こっちも、ありがとうございます」
「ん?何が?」
「あー、いや・・・」

何がと聞かれても、それを説明するのには難しい気がした。というか、オレ自身もあまり分かっていない。なんとなく言いたかっただけだ。

「団子美味かったし、楽しかったから・・・?」
「ハハ、そう?なら良かったよ。歩実にも伝えとく」

また笑って、その場を離れた。名残惜しいことこの上ないが、今夜は予定がある。
気づけば既に日は沈み、星が瞬いている。今夜は新月か。


・・・・


彼を送り、しばらく背を眺める。その背が小さくなるまで眺め続け、仕事に戻った。

「今日も仲が良かったなぁ、嬢ちゃん!」
「え、そ、そうですか?」

まだ残っていた常連に茶化される。この客はいつも酔って茶化してくる。うちで酒は出していないはずなのに、おかしな客だ。

「いいねいいねぇ、これぞ青春ってかぁ!俺も若いころは奈々となー」

そして茶化したあと、ほとんど必ず奥さんとの惚気話しになる。いつものことなので、軽く流して仕事を続ける。
彼はここ最近、よく来るようになった。初めて来たときはいつだったろう。そのとき"お奨めを教えて"といわれ、当時まだ試作段階であったみたらし団子を出した。
試作といってもほとんど完成間近で、後は客観的な感想ぐらいだった。いつもだったら常連客に出すだろうが、初来客ということで、印象を付けたかった。
結果は上々。とても美味しそうに食べてくれるので、見てるこっちまで嬉しくなってしまった。
それから彼は、来るたびにみたらし団子を頼んだ。たまに宣伝もしてくれているらしい。毎日というわけではないが、もうすっかり常連客の仲間入りをしていた。
ふと手を止める。そう、彼はここに来てそれなりに時間は経っていた。しかし、彼の名前は知らなかった。
聞けないわけでも、はぐらかされるわけでもない。ただ、最初に名前を聞きぞびれただけだった。
呼び方に困るわけではなかった。それでも名前を知らないというのは、なんだか後ろめたさを感じ得ないのだ。
・・・・そういえば、名前で思い出した。

「まだ名前で呼ばれたことないな・・・」

名前は名乗ったはずだ。最初に来たとき、彼に聞かれた。なのに何故、呼ばれていないのだろうか。・・・まさか、忘れてる?

「嬢ちゃん!勘定頼むわー!」
「あ、はーい!」

今度改めて自己紹介でもして、それとなく彼の名前を聞こう。なんとなしに思いながら、客の待つ所まで急いだ。


・・・・


「襲撃?」

宿屋の階上の一室を借りて、数人が輪になって話し込んでいた。俺もその一員だ。
話題は、次の活動内容について。正直難しい話は専門外だが、今回はあまり黙っていられない。

「そこまですんのか?」
「うん、オレも思ったんだけど・・・それしか他になくて」
「・・・けど、襲撃って――」

部屋の隅で座っていた仲間が、立ち上がって言う。

「てめぇ、10代目のことを疑ってんのか?あぁ?」

オレは座ったまま、見上げて返す。

「そんなんじゃねえって。ただ、襲撃っつっても簡単に出来るモンじゃねえし・・・・」
「情報は手に入ってる。人数は少ない方がいい」
「狙う奴は?誰を狙って襲撃だ?」

聞けば、仲間が3人の名前を挙げた。いずれも苦汁を飲まされた奴らだ。

「奴らは用心深い。昼間に機会を窺っても無理だった。一歩も外に出ようとしねぇ」
「・・・・だから襲撃」

そこで黙り込む。かすかに聞こえるのは、行燈の燃える音だけだ。
襲撃は、それ自体はさほど難しいことではない。問題はその後だ。生還の可能性が極端に低い。敵地に乗り込むのであるから、当然といえば当然のことだ。
しかし、その3人を放っておくことも出来ない。あれだけのことをされて黙っていられるほど、オレは寛大じゃない。
だから襲撃。これ以上苦しまれないように・・・。

「・・・・分かった。いつ仕掛けるんだ?」
「少なくとも三日以内だ」

深く頷いて、返事をした。それを合図に、緊迫した空気が解ける。今日はこれ以上の事もないだろう、そのまま解散の流れになった。
壁にもたれて、その日の事を考えた。
三日以内。もしかしたら、明日かもしれない。それならば明日の昼、また甘味処に行こう。行って、どうしようか。
彼女に想いを伝えるか。なんの脈絡も無しでいきなり・・・。それはマズイか?そこまで強く伝えたいとは思わない。
なら、いつも通りでいいか。ただし、いつも以上に満喫しよう。あ、何か土産を持っていくのもいいな。

「山本・・・」

声を掛けられ、顔を上げる。

「どーした?」
「・・・・山本、ごめん」
「別にツナが謝ることじゃねえだろ?もとより討ち死には覚悟の上だし」

笑って答えるが、相手の表情は晴れない。

「それに、やられる気もサラサラねえしな!」
「――うん、そうだね」

明るくそう言えば、相手も少し晴れてきた。その様子に満足する。
ふと、違和感に気付いた。下が騒がしい。この部屋にいる奴も全員気付いたようで、訝しげな顔をしている。
ただのドンチャン騒ぎではない。第一、俺たち以外でこの宿に泊まっている客はいない。もしオレたちであれば、密会がある場所で騒がないはずだ。目立ってバレてしまえば、元も子もない。
階段を駆け上がる音が聞こえる。かなり急いでいて、とても荒々しい。それと同時に、断末魔のような叫び声が聞こえた。その一瞬で、ただ事ではないことを理解する。
襖が勢いよく開かれる。身構えるが、開いたのは仲間だった。

「て、敵襲だっ!!」
「なっ!?」
「勘付かれたのか!」

驚くが、階下から聞こえる悲鳴や怒声が、現実であることを告げる。
ならば――。

「獄寺、ツナを連れて逃げろ」
「な?!てめぇ何言ってやがる!」
「ここでツナがやられたら、それで終わっちまうだろ?」

仲間は言いづまる。

「だが、いったいどこから逃げるというのだ」
「ここからだと、窓しかねえな。そこから飛び降りるんだ」
「無茶な!」

会話をしながら、襖を閉める。少しでも時間を稼ぎたい。

「選んでる時間はねえ。早くしねえと来ちまうだろ」
「・・・屋根を伝って、どこか安全な場所に下りる。入り口付近に見張りがいるかも分からないからな」
「分かった。他の奴も行ってくれ。オレは足止めをする」
「でも山本・・・」
「心配すんなって。片付いたらすぐに追いかけっから!」

笑って後押しすると、渋々頷いてくれた。
次々と仲間は窓から外に出て、屋根を走っていく。下から聞こえる乱闘の音が、一段と大きくなっていた。

「山本」
「ん?」

顔だけ振り向けば、もう仲間一人だけしか残っていなかった。

「・・・・」
「必ず行く。ツナの方は任せたぜ」
「・・・・ったりめぇだ」

言って、仲間はすぐに窓から出た。直後、襖が開き、敵がなだれ込んでくる。

「おのれ、逃がしやがったか!」
「あいつらを追いかけるのは、オレを倒してからにしてくれよっ!」

刀を抜き振り上げる。いつの間にか、オレが乱闘の中心になっていた。


・・・・


どれくらい走っただろうか。無我夢中で走りまくったが、山本が気になり始めた。
懸命に走っていたから分からないが、遅すぎないか。距離があるのだろうか。それとも、実は大して時間は経ってない?
気になり出したら止まらない。音がすごかったし、かなり人数がいるんじゃ?確かに山本は強い。だけど、もしかしたら・・・――。
走っていた足を止める。それに合わせて、周りの人も足を止めた。

「・・・オレ、戻るよ」
「10代目?!」

みんなは驚いたけど、でも、オレには無理だ。

「やっぱりこんなの駄目だ、見捨てるようなこと出来ない」
「駄目です10代目。あいつは自分で残ると言い出した。あなたが気負う必要などありません」
「・・・でも、山本遅くない?下からすごい音してたし・・・うわ、よくよく考えてみれば一人で残るのなんて、そんなの・・・!」

言葉にするのも嫌だ。そんなこと、あってはいけないんだ!

「だからオレ戻るよ!」
「10代目!あなたが戻れば、アイツが残った意味がなくなります。アイツはそのために――」
「だから戻るんだよ!誰がなんと言ってもオレは戻る!絶対に!」

獄寺くんを睨んで、つと目をはずす。こんなの八つ当たりだ、情けない。第一、ここで言い合っている場合ではないんだ。早く行かないと。

「・・・分かりました。オレも一緒にお供します」
「獄寺くん・・・」
「お前らは先に行け、ぞろぞろ戻ることもねぇだろ。それから、なるべく散り散りになって行けよ」
「分かっている。気をつけて行けよ!」
「そっちも気をつけて!」

別れて、すぐにまた走り出した。獄寺くんも続く。
胸騒ぎがするんだ。どうしようもなくざわめいて、息をするのもやっとだった。


・・・・


いつの間にか、乱闘は治まっていた。
刀に付いた血を拭い、鞘に収める。辺りの音を聞くが、虫の声さえ聞こえない。・・・静かすぎる。
辺りを警戒しながら部屋を出た。もしかしたらまだ、生き残りがいるかもしれない。
廊下は血の海と化していた。ひどく濃い血の臭いがして、顔をしかめる。
そこかしこに横たわる死体の顔を、一人ひとり確認していく。こちらの被害はどれくらいか、向こうの被害はどれくらいか。そして、この襲撃がどこの者なのか。
死体はどれも苦痛の表情を浮かべている。無理もない。そんな彼らの顔を一人ひとり確認するのは、敵味方関係無しに、辛いものがあった。
仰向けの死体も、顔だけ動かして確認する。・・・・・この男は、確かあの3人のうちの一人だ。
かすかな物音がした。即座に身構え、様子を窺う。
音がしたのは前方。薄闇が続く廊下を睨む。これで仲間だったら笑ってすむが、敵であれば笑うどころではない。
ヒタリ、ヒタリと、血を踏み歩む音が聞こえる。一歩ずつ進むにつれ、鼓動が高鳴り、手が汗ばむ。
すると突然、すぐそばの襖が開いた。刀が振り下ろされる。
紙一重でかわし、刀を抜いて横薙ぎにする。しかし相手もかわしたようで、手ごたえはない。
前方からの殺意を感じ、敵であることを認識する。襖から出てきた奴は、こちらの様子を窺っているのか、何もしてこない。
参ったな。本当にそう思った。この二人はかなりのやり手だ。
前方の奴は、凄まじい殺気を送ってくる。少しでも動けば襲い掛かってきそうだ。もう一方も、気配を消しすぐそばから奇襲してきた。侮れない。
狭い通路の中、じりじりと詰め寄ってくる二人。ひやりと頬を伝ったのは、冷や汗か、誰の血か。


・・・・


出てきた宿はすぐに着いた。実際どのくらい掛かったか分からない。時間の感覚が麻痺してるんだ、きっと。
宿屋から音は聞こえない。襲撃があったなんて嘘みたいに静かだ。
部屋に入ると、そこは真っ赤に染まっていた。何人もの人が、血を流しながら倒れている。その中に山本の姿はない。
惨劇に息をのむ中少しだけホッとするが、いったいどこに行ったのだろうか。この部屋に生きている人はいない。
まさか入れ違いになった?いやでも、一本道の屋根で、どうやったら入れ違う?もしかして、下の、普通の道から出たのかも。
まさかとは思うが、もしかしたら、他の部屋で・・・・――。
いや、そんなはずはない。なんたってあの山本だ。嘘を吐くことも、約束を破ることもしない、あの山本なんだ。

「ここにはいませんね。他の部屋を見てみましょう」
「あ、ああ、うん、そうだね・・・」

こんなところで立ち止まって、俺は何をしているんだ。
獄寺くんには感謝しないといけない。もし俺一人だったら、うじうじ悩んでいたところだった。
廊下に出る。やはりそこも、一面が赤一色に染められていた。

「ひどい・・・」

ほとんどが、苦痛や恐怖の表情で固まっている。中には全身血まみれの人、手足が身体から離れているものまであった。地獄絵図というのを目にしたことはないが、きっとこれ以上のものではないだろう。

「この男は・・・」

獄寺くんが、少し先で屈んでいる。そばには死体がある。

「獄寺くん・・・?」
「10代目。この男、襲撃の標的の奴ッスよ」

そっと獄寺くんの背中越しから覗いてみる。・・・・確かにあいつだ。いままで散々な目に合わされてきたが、こうして見ると、とても遣る瀬無い気持ちになる。何故俺たちは殺し合っているのだろうか・・・。
ふと右に目をやる。襖が乱暴に開け放たれ、床には何かを引きずった血の跡がある。その跡を目で追うと、それはその部屋の奥に続いていた。中に入ってみる。
入ってすぐ、襖の後ろに斬り倒された男に気付く。驚いたが、よく見ると標的のうちの一人だった。血の跡はこいつじゃない。
奥に進むと、血の跡は途中で消えていた。周りを見ると、抛られたように倒れている人がいた。その人を中心に血の池が出来ていることから、既に事切れているのだろう。

「こいつら、この襲撃に賭けてやがったのか。まさか総動員で来るとは・・・――」

獄寺くんが死体を調べて、部屋を見回したとき。驚いたように、動きを止めた。
不思議に思い、目線を追う。
――そこには、壁にもたれる、血まみれの見知った男がいた。

「山本!」

駆け寄り、肩を揺さぶる。あまり強くやると、傷にひびくかもしれない。いや、これは出血でなく返り血かも。それに、壁にもたれているのは力尽きたのでなく、休憩のためかもしれない。あれだけの乱闘だったのだ、それぐらいあってもおかしくなんかない。そうだろ?

「山本、起きてよ・・・こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ・・・?」
「10代目・・・・」

自分の声が震えてた。獄寺くんの声が辛そうに響いた。
なんだよ、これ。まるで山本が死んじゃったみたいじゃないか。そんなわけないだろ?だって山本はここにいるんだ。

「山本、起きろって。山本!」

叫んだ拍子に涙が出た。お願いだから、目を開けてくれ・・・・!


・・・・


深い沼に沈む感覚だ。浮遊しているような暖かさも、波に漂う心地良さもない。ただひたすらに、寒くて重たい。
何かが聞こえた。唐突に、何かを叫んでいる。
それが自分の名前だと理解して、そういえばこの声はあいつじゃないかと思った。重い瞼を開けると、目の前には泣き顔でいる声の主。その後ろには、こいつを敬愛する頼もしい仲間。

「ハハ、やっぱり、ツナか」
「や、やま・・・もと・・・・」
「お前・・・・・」

よく見ると、二人ともひどく深刻そうな顔をしている。といっても、部屋は明かりも無く月も出てないので暗く、何故か目も霞んでいたから正確には分からない。ただその声質がいつものあいつ等らしくないから、何か深刻な状態なんだろうとは察することが出来た。

「悪いな・・・後、追うつもりだった、けど・・・・体が・・・」
「そんなこと、気にしなくても・・・」
「力が、入らないんだ・・・・」

おかしなことに、体を動かそうとしても重くて動かせない。俺の身体はいつからこんなに重くなった?
それどころか、力が抜ける感覚がある。ひんやりと冷たく、抜き取られるという表現が一番しっくり来る。さっきから目も霞むし、なんとなくだが眠気も襲ってきた。

「他の・・・奴等は・・・・?」
「大丈夫・・・皆、逃げたよ!だから山本も一緒に・・・!」
「・・・10代目」

仲間が咎めるように呼ぶ。
そいつが呼ばれると、勢いよく首を振った。
他の皆が逃げたという事実に安心して、二人の会話が遠く感じる。

「そんな事無いって!すぐに医者にでも見せれば治るって!」
「・・・・ですが10代目、いつここの騒ぎが気付かれるか分かりません。すぐにでも離れた方が」
「だから山本も連れて――」
「お気持ちは分かりますが10代目、あなたが危険な目に合えばコイツがこうなった意味がありません。先ほども聞いたでしょう、覚悟の上だと。でしたら、俺たちはすぐにでもここを離れるべきです」
「そんなの!――・・・・なんだよ、これ。まるで山本が死んじゃうみたいじゃないか!」

眠気の中から少しだけ覚醒してきた。
その一言で、なんとなく合点がいく。この感覚が消えていく現象も、二人が言い争う意味も。

そうか、俺は死ぬのか。

不思議とその事実は受け入れることが出来た。現段階で実感していることだし、なにより覚悟の上だったからだろう。
それにしても、二人は本当に優しい性格だ。足手まといになる俺を必死に連れて行こうとしたり、それを阻止しようとあくまで遠回りな言い方をしたり。
でも本当は二人とも気付いているはずだ。俺の長くない先を。

「お前ら・・・・ホントにいい奴だな」
「山本・・・?」

良かった。こんなにいい奴等と一緒に入れられた俺は、幸せ者なんだな。気付けて良かった。
ふと、彼女の事を想い出す。ああそうだ、俺は仲間に恵まれただけじゃなく、彼女という幸せそのものと出会えたんだ。
本当を言えば、死にたくはない。これから先の事実を否定するわけではないが、出来ればまだ生きていたかった。
仲間たちと、もっとバカ騒ぎをしたかった。出来ればああいった密会などではなく、昼間から堂々と遊べる様な。
彼女と、もっとたくさん話したかった。ありふれた会話で、時には一緒に街へ出掛けたりとか。いつも仕事中の彼女しか見たことが無かったから、違う彼女も見てみたい。

・・・・思い出すのは、彼女の事ばかりだな。笑う彼女も、少し困る彼女も、忙しく仕事をしたり、悪戯っぽくなったり。
まだ、想いを伝えてない。いつか伝えようと思っていたのに、そのいつかは来なくなってしまった。
死ぬ覚悟をしていたけれど、いつ死んでもいいわけじゃなかった。死ぬつもりなんて、毛頭なかったのに。
意識が、とうとう朧気になってきた。もう俺の時間も無いようだ。

「・・・獄寺、ツナの事・・・・頼むぜ」
「――・・・・っ、分かってる」

俺が言うと、二人は驚いた顔を見せた。仲間の奴はその後、苦虫を噛み潰した表情をする。

「や、山本、嘘だよね?こんなの・・・!」

笑って返そうとしたが、声が掠れて上手く出来なかった。ダメだな、こんな時だからこそ、明るくなんねえと。こいつはすぐ自己嫌悪になる。
なのに、どうしてか何も出来ない。もう口を開けることすら億劫に感じてしまい、瞼も下がってくる。身体中の感覚という感覚が、全て無くなった気がする。おかしいよな?
でもあいつ等の声も遠く感じる辺り、俺は本当に死ぬのだと再確認した。
ふわりと、風が吹く。

――――まだ名前で呼ばれたことないな・・・

彼女の声だ。
室内なのに風を感じることを疑問に思ったり、何故彼女の声が聞こえたのか驚いたり、そんなこと少しも思わなかった。ただ純粋に、嬉しかった。
そうだな、まだ名前で呼んだことが一度も無かった。特に理由なんてなかった。呼び方に困らなかったし、呼ぶ機会もなかった。でも彼女はそのことを気にしていたのだろうか。
もしそうなら、悪いことをしてしまった。
これから飛んで会いに行き、何回でも呼びたいのに。叫んだり囁いたりしてみたいのに。俺が呼ぶ声に反応して、振り向く彼女を見たいのに。

スイマセン。もう、出来そうにないッス。

「・・・・・千柚璃――」

全ての力を使って、掠れて辛うじて音となった彼女の名前。敬称とか、何かつけた方がいいかと考えた。しかしそれを言う力は無かったらしい。
せめて想いより、この言葉だけでも伝えたかった。

二人が呼びかけるのが聞こえて、けれど返事が出来ない。
ひたすら寒くて重たい。まるで、深い沼に沈んでいく様だった――・・・・・・。


・・・・


朝。朝日に染まる空は明るく、とても清々しい。雲間から照らす陽は暖かく、今日もきっと穏やかな一日であることを告げている。
そんな中で、掃き掃除をするのはいつものことだ。何か落ちているわけではないけど、客を出迎えるのだからこれぐらいはしないと。そう思って毎朝の様に続けている、一つの日課だった。
その掃き掃除をしながら考えるのは、今朝歩実から聞いたことだ。
昨夜、どこかの宿屋で争いがあったらしい。襲撃事件だとか。死者もたくさん出ている様で、きっと今日の街はこの噂で持ちきりになるだろう。・・・・歩実は情報を仕入れるのが早い。
この話を聞いた瞬間に身震いした。このご時世、そういった出来事は珍しくないとはいえ、身近に起こってしまうと他人事と考えられなくなる。
それに、彼のこともあった。名前も知らなければ、素性だって分からない。しかしいつも刀を所持していたから、そういった事に無縁の人だとは思えなかった。
胸騒ぎはする。しかしこういった類の話を聞いて心配した後、必ず彼はここに来る。いつもと変わらない様子に安堵して、その話はどうでもよくなってしまうのだ。だからきっと、今回のも杞憂に終わる。いつもそうなのだから、今回だけ違うなど有り得ない。
ふわりと、風が吹く。

―――― 千柚璃

彼の声だ。
まだ名前を呼ばれたことは無かったが、彼の声であることは間違いない。辺りを見回すが、しかしその姿はない。
空耳だろうか?未だ聞いたこともない言葉の空耳。それは、自分がそこまで求めていたからだろうか?
・・・・だとしたらなんて恥ずかしい。無意識にも、呼ばれることを心待ちにしているなど。いや、でも一度も無いのだから、それぐらいは・・・。

「何ニヤニヤしてンだよ」

妹の言葉で我に返る。顔の筋肉に集中すると、確かに笑っていたようだ。

「・・・うるさい!仕事に戻れ!」

乱暴にあしらえば、それ以上突っ込まれること無く、へーへーと言いながら店内に戻っていった。
にやけ顔を見られて赤くなる顔を、両手で挟んで冷ます。風が優しく吹いているが、冷気はない。穏やかで暖かい風だ。少しだけ心を落ち着かせる。
ふと顔を上げれば、その先には昨日彼が帰っていった道が続いていた。今日この道から、彼は来るだろうか。今日来なくとも、明日、その次の日・・・・いつの日か来るだろうか。
先ほどの彼の声を聞いて、胸騒ぎが増していた。今まで聞こえたことなどないのに、何故聞こえたのだろう?
・・・・。まあ、考えても分からないけど。
この胸騒ぎがいつもの杞憂で終わることを願いつつ、彼に名前を呼ばれることを心待ちにしつつ、仕事へと戻るのだった。