ことこと、柔らかい匂いがキッチンから広がっていく。
煮込むその音に、希雀は不意に笑みを浮かべた。
キッチンとリビングは無機質に近く、どちらかというとホテルのような印象を受ける。
灰色に近い色調。触れば冷たいだろうと無意識に思ってしまうようなイメージ。
だがその中で、ことことと音を立てて煮込まれている鍋の音だけが温かいイメージを抱かせていた。
もう出来上がった頃だろう。ガスのスイッチを切ると、安心したかのように湯気がふわりと浮いた。
着ていたエプロンを外しつつ、横にあった包丁をひょいと片手で掴む。
「やっぱ慣れてきちゃったよなー、へへっ」
料理している姿とはどこか違うような口調で呟きながら、その包丁を放った。
刃がきらりと光りながらも正確に洗い場へ向かう。小皿やら何やらの隙間の中へ、水の音だけを響かせて落ちた。
希雀が喜ばしげに笑みを強め、エプロンをソファに放りながら口笛を吹き始めた。
ボンゴレアジトである地下の住居エリア。 その一室に位置するこの部屋は、戦闘の空気とはかけ離れているにも関わらず無機質のままだった。
よく観察して見れば人が住むには少々不可解な点が幾つも出てくるこの部屋は、実は希雀の部屋では無い。
希雀だったなら、とりあえず冷蔵庫ぐらいは絶対に買うだろう。
「――…………」
数少ない口笛のレパートリーを全て出し切り、希雀が手持ち無沙汰のままリビングで棒立ちになった。
時計の針が進んでいく時間を一秒ごとに告げる。今の時刻、午後九時半。
今時のガキでも寝る時間じゃないな、と一人で呟く。
料理が得意かと聞かれれば、真っ先に誰かが食いたくはないと答えるだろう。それぐらい希雀が料理を作る姿は珍しかった。
むしろ、見せないと言うべきかもしれない。料理の腕前は極僅かにしか振舞ってはいないのだから。
無意味に振舞う必要は無いと、誰かから言われたことがある。
……その誰かさんは、こんな時間まで仕事をしているらしいが。
「……難しい会議なんぞ分かるかよ。あー暇だーぁ」
ソファの腰掛けに力無く寄りかかる。
エプロンを仕舞いに行く方が時間を有効活用できるのだが、全く動く気にならない。
今、あいつは重責だらけの会議で話しているのだろうか。もしかしたら些細な事で会議をぶち壊しにしているかもしれない。
全く変わっていないその性格を、思い出すように喉で笑った。
いつか勝ってやると昔に誓って……一体何年経っただろうか。十年ぐらいだろうか。
勝負を重ねるにつれて、だんだんと曖昧になってきた勝負という名の何かに終止符を打ったのは、一体何だったか。
さっぱり思い出せないのは、きっと鍋から立ち昇っている、腹をくすぐる匂いのせいだろう。
「ひーま」
呟いて目を閉じれば、天井に埋め込まれている明かりが瞼の裏で眩しく映った。
あいつが先日言っていた言葉を思い出してみた。――『ここじゃなくて、あっちで作らないの』。
あっち。この部屋を使わない理由の、あいつが住居として使っている特別施設である和風住宅の事だと直感した。
聞いた最初はお前が許可していないからだろとか不満を言ったが、ふと考えてみればあれがあいつなりの許可の言葉だったのかもしれない。
理解し難い言動をするあいつなりの、希雀を受け入れていいという言葉だったのかもしれない。
疑問点を挙げるとしたら、屋敷自体には今まで平気で出入りしていたという点にある。別にあいつが何も言わないから勝手に出入りしているだけだが。
何を許可したのだろう。そう考えていると、どこかで変な期待を抱いてしまう。
キッチンまで入って良い。
そういう意味だったら……。何か、変な意味になっているような、気もする。
「っあーっ!!夕飯冷めんだろ馬鹿雲雀ぃいいっ!!」
「温め直すぐらいも出来ないんだ」
「うっせぇよ!!ばッ……ば、え?あっ、お、おかえ、り」
「ん」
スーツ姿の雲雀が淡々と受け答えし、見上げていた希雀は冷や汗が流れた。
雲雀が夕飯を作れと言うのはもう慣れた。希望通り作ったにも関わらず帰りが遅いのなんぞいつものことだ。
珍しくファミリーのために仕事していたのに馬鹿雲雀は無いだろと自分で思い、慌てて顔色を窺ってみる。
だが、雲雀は別に何も思っていないように、無表情のまま背広を脱いだ。
前振りもなしに放られた背広を顔面に受けた希雀をよそに、雲雀はそのままネクタイを緩める。なかなか格好がつく姿だ。
そのまま着物に着替えるかと半ば確信を持って立ち上がった希雀に、雲雀が言う。
「シチュー」
立ち上がったままその言葉を呑み込むのに遅れた希雀の横に、雲雀が代わるようにして座った。
背広を脱いでネクタイを外して、滅多にない着崩したスーツ姿だ。風紀を重んじる雲雀が対象だとますますレア価値である。
唖然としたまま希雀が見下ろしていると、その見下ろす視線が嫌なのか若干睨みながらも「シチュー」また言った。
と、不意に思い出した。鍋の中に入っているものは、確か作り慣れた――
はっとして鼻を動かすと、微かに漂う胡椒と牛乳の匂い。
「早く出してよ。拒否したら咬み殺す」
「あー、いや、その前に着替え……」
「咬み殺すよ」
「っだぁあ分かったよっ!!」
リングが煌いたのを見て、やっぱりこいつが言葉の裏なんか考えているわけない、と先程の考えを打ち消しながらキッチンへ戻った。
* 帰りを待つ *
余計な事を考えてしまうと、間違いだと言われ。
それをさらに正されることとなるのは、近い内。
リライト
ラブラブな2人へ ver.27
作成時期:09,2/24 [19:07]