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「鋼くんがすき」


みょうじの口から出たのは、頼りなくか細い声だった。みょうじはようやく伝えることが出来たと、それがどう聴こえるかなど考える余裕すらなく、ただただ安堵した。村上もまた、待ちに待ったその一言が己の中をゆっくり満たしていく感覚に、安堵と興奮を覚えた。相反する二つの感情が渦巻いて、たまらずに良かった、とため息混じりに言ってしまう。その表情はとても穏やかだった。
そうして、二人の間には沈黙が訪れた。どちらも話さず、動くこともない。
みょうじはこの空気を持て余した。村上の言った良かったという言葉を、どう返そうか考えていたのだ。彼が不安に思う要素なんてどこにあるのだろう。しかしそれは自分勝手な決め付けだと瞬時に気付き、やはりこういうことに不安や緊張があるのは当たり前なのだ、と妙に現実的なことを考え始める。それが現実逃避だとハッとして、思考は振り出しに戻った。なんて返事をしようか。
対照的に村上は、この沈黙を堪能していた。この空気を心地良いと思ったのだ。いつも一緒にいるときのような穏やかな時間より甘く、先ほどの緊張するような息苦しい時間より安らかだ。だからといって今の村上が平静であるかといえば、それは違う。緊張とも興奮ともつかない鼓動の高鳴りが、村上の指先までをも支配していた。だからこそ、この沈黙を破りたくなかったのだ。しかし、いつまでもこうしていられない。傾いていた陽はほとんど沈みかけて、東の空には夜が顔を覗かせている。村上は名残惜しくなりながら、すっと己の手を差し出した。


「それじゃあ、はい」


それは以前、みょうじが言った台詞だった。村上は意図したわけではない。しかし口にしてみると、どこか感慨深いものを感じてしまい、笑みが深まるのが自分でも分かった。今日一日で何度も思ったあの頃と違うということが、ここでようやく明確になる。
みょうじもそれが自分が使った台詞だとすぐに気付いた。そして今までと全く異なる心持ちで、差し出された手を見つめる。あのときは仲直りの名目だった。もっと前は、意味すらなかったはずだ。今回とは決定的に違い、それがみょうじを緊張させる。しかし握らないという選択肢はなかった。想いを告げた瞬間から、こうなることを心のどこかで望んでいたのだから。
みょうじはおずおずと手を伸ばし、村上の手に重ねた。その握り方は今までと変わらない。みょうじはそれで満足していたが、村上は一瞬考えて、握った手を一度離し、指を絡めて握り直した。これで名実ともに二人の関係が変わる。お互い確信めいた予感を思いながら繋がれた手を見つめて、どちらともなしに顔を見合わせた。緩んでいく頬を誰が止められるだろう。
この繋がった手を、いつかの頃と比べることはもうなかった。