生まれる

幼い頃、父が唐突に「サンタさんなんているわけない」と言って笑った。当時の私はその事実がとてつもなく衝撃的で、雷を撃たれたかのようにひどいショックを受けた。何日、何曜日のいつに、何故父が私にそんなことを言い放ったのかという経緯はもうさっぱり覚えていない。しかし、あの時の衝撃だけは今でも鮮明に覚えている。自分の夢と妄想で詰まった世界が、一気に現実に突き落とされる感覚。私は一生忘れはしないだろう。そして、これからもずっと節目で思い出しては鉛のように重くずっしりとした感情を飲み込むのだ。

今思えば、私は夢見がちな少女だった。
サンタさんはいる、いい子にしていれば私の一番欲しいものを与えてくれると無条件に信じていたし、流れ星に願いを3回込めれば叶うと思っていたし、女の子はみんな誰かのお姫様で、いつか白馬の王子さまが迎えに来ると信じていた。当時の私は子供特有の純粋さと想像力で、ありとあらゆるものに自分の妄想を書き加えた。それが正しいことだと信じていたからだ。
しかし、年を重ねるにつれ、夢と妄想でキラキラしていた世界は現実という霧に紛れて、上手く見えなくなっていた。学校の成績、複雑な友人関係、受験、就職…… ありとあらゆる人生イベントが私を現実へと引き戻した。ああ、こんなものか。キラキラなんてまやかしだ。サンタさんなんていないし、白馬の王子さまはいつまで待っても現れやしない。待っているのは周りの白けた目と、つまらない現実。代わり映えのない日々に魔法をかけるように紡いだ妄想は、誰も幸せにならない。残るのは虚しさだけだった。

夢見がちだった少女は現在、終わらないタスクに忙殺され心が死にかけている新卒新入社員である。妄想だの、夢だのそんなことをタラタラと語っている暇があるのなら、目の前に山積みになっている仕事を片付けることの方が1000倍も自分のためになる。
本当に現実ってものはつまらない。言い訳をするようで癪だが、別に楽しむ努力を怠ったわけではないのだ。受験勉強もそれなりにやってそこそこネームバリューのある大学に進学したし、サークルに入って仲間とはしゃいだり、それなりに恋愛にも手を出した。就職活動時も好景気で特に苦労することなく内定をもらい、薄給ではあるものの納得ができる範囲の待遇で働けている。特に波も風もない平々凡々で順風満帆な人生だ。

何が不満なのだろう、と自分でも思う。仕事があって、友人がいて家族も健在で、帰る家がある。客観的に見れば、私は恵まれた環境にいるのだ。
しかし、心の奥底で燻っている。これは飢えに近い。つまるところ、刺激が足りないのだ。世間一般が求める水準の生活を固持してきたのは他でもない自分なのに、我慢というコップから不満が溢れ出てしまいそうだ。
ああ、誰か攫ってくれないだろうか。ここではないどこかへ、白馬の王子さまでなくとも、怪人とかでも良いから。

「ならば丁度良い。審神者になりませんか?」

今考えていたこと全てが筒抜けていたかのように、さらりと話題を捻じ込んでくる黒いスーツのおにいさん。イケメンだ。残業を終え、会社を出てすぐの人気のない暗い路地で、唯一の街灯の光に照らされたイケメンだ。眼福である。

「あの、どちらさまですか?」

明らかに不審者であるというのに、私は何故か内心でワクワクしていた。さにわだかはにわだか訳のわからないことを言っていたが、こんなイケメンにお目にかかれたのはいつぶりだろうか。しかも声を掛けられるなんて。変わったナンパではあるが、乗ってみるのも楽しそうだ。

「……驚いたり、悲鳴をあげたり、警察に連絡したりしないのですか。訳のわからない不審者が目の前にいるというのに。」
「あ、おにいさん、不審者の自覚あるんですね」

本当に変わったお兄さんだ。不審者は普通、自分を不審者だと明かさない。これが油断させるための罠だとしたら、相当な手練れである。稀に見るドイケメンだし、狙った女は100発100中の有名ナンパ師とかだったりして。

「何だか良からぬ嫌疑がかけられていそうなので言っておきますが、私は政府から派遣された者です。」
「はぁ」

黒い背広を着て黒い手袋をはめ、何だかヤバそうなにおいがするスーツケースを片手に持っている人が政府から派遣された役人とは一体。どう見たってカタギではない。第一印象はヤのつく自由業である。

「あまり信用されてなさそうですね…… ではこれを」

彼は小慣れた手つきで胸ポケットから名刺ケースを取り、そこから1枚名刺を引き抜いた。どうぞ、と渡される。
視線を落として読みあげると、そこには“防衛省 歴史修正対策室 本丸担当”と書かれていた。ほとんどが聞き覚えのない初見の単語である。ここ最近帰宅したら即ベッドな日々を送っていたためニュースに疎いのだが、こういう詐欺が流行っているのだろうか。しかし、目の前に立っているイケメンは真面目で堅そう、いかにもお役人さんという感じで、嘘には見えない。どうしたものか。

「不審に思われるのも無理はありません。しかし、事は一刻を争います。あなたにはすぐに審神者になって頂きたい。」

さっきから何度か話題にあがっている“はにわ”というのは、一体何のことなのだろうか。全くもって事態が掴めていない。

「あの、そのはにわ?というのは?」
「端的に言えば、刀の付喪神である刀剣男士と共に正しい歴史を守る仕事です」
「なんて?」

あ、これ夢だな、と思った。しかし、パンパンに浮腫んで痛む脚と、残業の疲労感、長時間パソコンに向き合ったが故の霞み目、全ての感覚がやけにリアルだ。いたずらに頬をつねってみるが、やっぱり痛い。これはガチで、本当にリアルだった。

それを自覚した瞬間、鳥肌が立った。それは恐ろしさからではなく、非日常へと片足を突っ込んだことによる驚きと純粋な喜び。
私は頭がおかしいのだろう。普通の人間であれば、警察に通報するか、真っ先に逃げるかの2択である。女性であれば、尚更そうすべきだ。でも、私は違う。望んでいたのだ。学校にいる時も、会社にいる時も、私の居場所はここじゃないとずっと思っていた。
これはチャンスなのだ。

「まだよく分かってないんですけど、とりあえず立ち話も何ですから、どっか入りましょ。といってもこの時間じゃ店も閉まっちゃってるので、私の家になっちゃうんですけど…」
「構いません。基本的にあなたに拒否権はありませんが、ご納得いただいてから着任された方がこちらとしても楽ですので。」

こうして、得体の知れない自称お役人さんと自宅へ向かうのであった。
後に初期刀となる彼からは「主は危機感なさすぎ!」とどっちかられてしまうのだが、それはまた別の話である。