【やなぎのした】漆
山に入るな、と言っても山の境界を知らねば意味がない。
はてさて、皆の衆。
今我らが佇むこの場所が、山ではないと何故言い切れる?
気を付けなされよ。
それは誰が線引きしたものか?
【里人】
「…幻、置いてくぞ。」
「あ、待て!黒兎!」
弟弟子に声を掛け、追いつくのも待たずに歩きだした。
背後では未だ声高々と講談が続いている。
(山の境界、か…)
あの一件以来、師匠の仕事に同行することが増えた黒兎と幻殃斉。
修験者の修行が始まったというのも勿論あるが、何より二人の身を案じてのことだろう。
『あれは危険だ。』
小屋へ戻り、帰ってきた師匠に事のあらましを伝えた時の悲痛な顔を、黒兎は忘れることが出来なかった。
『……お前達が、無事で良かった。』
「黒兎?」
「ん、何だ。」
「荷物、重くはないか?持とうか?」
「大丈夫だ、こんくらい。それより疲れてねぇか?」
「私は平気だ!」
「そうかい。師匠んとこまでもうちょいだ。頑張んな。」
いつの間にか自然と握られていた手。
それを特に気にすることなく、黒兎は反対の手にある荷を抱え直した。
隣で幻殃斉が聞いたばかりの講談を真似て楽しげに話し出すが、空気はそう悪くはない。
(あの女は…師匠の友人は、一体何だったんだ…)
前に聞いた話以上のことを、師匠は話そうとはしなかった。
それに山近くにある拠点の小屋も、動こうとしない。
時折どこかへ向けられる視線は、
『あれは危険だ。魅入られてはならない。』
『お前達が、無事で良かった。』
きっと師匠は、囚われてしまった一人なのだろう。
「黒兎、幻殃斉。」
「!師匠!」
手を離して駆けだそうとする弟弟子を押し止め、黒兎は再び荷を抱え直した。
「遅かったな。必要な物は買えたか?」
「一応は。ただどうしても足りないのがあって」
「師匠!先程向こうで面白い話が」
思考の海から舞い戻り、変わらぬ日常へと溶け込んでいく。
今はこの手さえ離さなければ怖いものなど何もないと、そう言いたげに黒兎と幻殃斉の手はずっと握られたままだった。
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嘘つき、ロンリー。