外伝奇集
わたしの知らないあなた
「ジコ坊殿!」
呼ばれたその名にふと足を止めると、隣を歩いていたアシタカもまたつられるようにして立ち止まった。
そして振り向いて見れば、こちらに向かって駆けてくる姿が一つ。
「知り合いか?」
「さて、覚えがあるようなないような…」
アシタカの問いに対し、適当に返しながらそっと溜め息を吐く。
昨今、他との交流を増やしたせいか余所者の来訪も多くなった。
ここらで一度、人の出入りを少し厳しく管理するようにエボシ御前に進言すべきだろう。
なんて考え巡らせている間にも、件の男はどんどんと近付いてくる。
「どんな輩か分からん。一先ず下がっておれ」とアシタカを後ろに下がらせ、愛想笑いを浮かべてそれを待ち受けた。
「お久し振りでございます!」
「これはこれは、お久しゅうございます。」
「風の噂でお亡くなりになられたと聞いておりましたが…まさかこのような場所で再びお会いすることが出来るとは!」
「いやはや、まこと、奇遇でございますなぁ。」
一向に思い当たる節はないのだが、とりあえず害はなさそうだ。
そう判断して早々に話を切り上げようとしたものの、妙に興奮気味の相手は全くこちらの意を解そうとしない。
それどころか突然手を取られ、その両の手で握り締められてしまった。
「これも何かのご縁…いや!きっと運命でございましょう!」
その瞬間、傍らのアシタカが動く気配を感じ、そちらに目配せをして押し止めたが、結局それも無意味に終わった。
「しばらくこちらに滞在するつもりなのですが、どうです?今宵、昔話に華を咲かせ」
「ケント殿。」
言葉を遮るという無作法を犯してしまったものの、客人はそれよりも私が口にした名前の方に気を取られたようだった。
「ケント?」と不思議そうに首を傾げる客人に、問い返す間も与えずケント殿が一気に畳み掛ける。
「いや、申し訳ない。これからちと急ぎの用がございまして。」
「え?あ、あぁ!すみません、呼び止めてしまって」
「いえいえ。では時間が合えばいずれ。」
「えぇ!また後程ゆっくりと!」
やんわりと外された手を名残惜しそうにする客人を残し、再び歩き始めたケント殿の後に私も続いた。
そして充分間を空けたところでもう一度「知り合いか?」と尋ねれば、返ってきたのはまたもや溜め息だった。
「どこぞの商人の倅だろう…一時期そういう連中ばかりを相手にしておったからな。」
ケント殿は至極どうでもよさそうに吐き捨てたが、私の心はあまり穏やかなものではなかった。
客人が今の『ケント』を知らぬように、私もまた『ジコ坊』の過去を知らない。
知ることも、出来ない。
「しかし、今後まとわりつかれると厄介だな…しばし様子を見て、」
人気ない裏通りに差し掛かったところでケント殿の腕を掴み、その勢いのまま傍にあった壁へその身体を押し付けた。
「っ…何だ、いきなり…」
「!すまない!」
だがすぐ、痛みに顔を歪めるケント殿に気付き、我に返る。
「妬きでもしたか?」
「…すまない……」
「まったく…飼い犬に噛まれた気分だ…」
離せ、と続けようとしたのだろう。
いや、もしかしたら「外で盛るな、馬鹿が」と言おうとしていたのかもしれない。
一度口を開きかけたケント殿は一瞬、視線をどこかへと向けた。
そして離そうとしていた私の手を捕らえ、反対に顔を引き寄せる。
「!ケント殿…?」
「先の御仁がこちらを見ておるようだ。」
「なに、」
「ちょうどいい。」
見せつけてやろうか。
なんてケント殿が悪戯っぽく笑った瞬間、ちりっと首筋に視線を感じた。
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だがその笑みに見惚れていた私には、もう何もかもがどうでもよいことだった。
(そして唇が触れる、)
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嘘つき、ロンリー。