「はぁ……ほんと、やってらんねぇよ」
そう零しながら、自身の片手を見れば白い毛に覆われた薄桃色の肉球が視界に入り、再度長い溜息を吐き出す。
知らずとはいえ、猫の墓に立ちションしたら呪われた。と、言えばいいのか。今の俺はとんでもなくぶっさいくな猫の姿をしている。それだけでも災難だというのに、俺と同じように猫の呪いを受けたヅラまでいる。ゴリラもいるが、あれは別件の何かに巻き込まれたとしか言いようがない。
「なんだって使えねぇ奴しかいねぇんだよ……はぁ、この言葉も、今はにゃーにゃー鳴いてるだけに聞こえんのかねぇ」
ただ、救われているのは右も左もわからない俺達にホウイチが付いていることだろう。
昼間に狩りの仕方を教えてはくれたが、あんなに可愛い雀を食えるわけもなく、俺のもふもふの腹から獣の呻きのような音が鳴る。
「あ〜腹減った」
廃れた神社の木影にぽてんと体を寝かせる。
ヅラ達は狩りに対して熱心で、今日もひと狩り行っている為か辺りはえらく静かだ。
そよ風が優しく毛を撫で、心地良い。
動けばそれだけ腹が減る。もう今日は此処でひたすら寝ることにしよう。うとうと、と閉じつつある瞼の隙間から神社をぼうっと眺める。
こんなにゆったりとした時間を過ごすことなどそうそうないな、そんなことを思っていた俺の耳に砂利を踏む音が聞こえた。
誰かが神社に続く階段を上がっている。音からして動物ではなく人間のものだ。
またあのババアか?と、餌に何かを混ぜて猫の意識を奪っては町内会に猫を引き渡しているババアが浮かんだ。
もし、あのババアなら面倒だ、と寝かせていた体を起こす。
「せっかく昼寝に洒落込もうと思ったのによぉ」
のっそりと体を起こした俺の視界にババアとは似つかわしくない。品の良い色をした着物が映る。
「………見ねぇ顔だな」
若くもねぇが年寄りっぽくもねぇ、年相応の落ち着いた着物を着た女が日傘を差して境内の砂利を踏む。その足は迷うことなく社へと向けられている。
あのババア意外にこの神社に来る奴がいたんだな、と思いながら起こした体を再び地に着けた。あのババアじゃないなら俺が退く必要もねぇ。
徐々に近づいてくる女は俺のような荒くれ者とは無縁のような雰囲気を醸し出している。きっと俺の日常では関わることなどないだろう普通の女だ。まぁ……面はなかなか整ってるんじゃねぇの……。
一言で言えばいい女だった。
俺のような者を夜と表すなら、その女は澄んだ空気を纏う早朝といったところだろう。
俺の周りに美人は多いがそのぶんデメリットが大きすぎる女ばかりで、こういった女と関わることはない。
普段ならじっと見ることはなどできないが、猫の身であるなら多少見たところでケチをつける奴はいないとつい目で追う。
「ん?なんだこのきらきら?」
木影で休んでいた俺の前を通っていった女の後ろ姿を眺めていると、その足跡がえらくきらきらしている。
は?なにこれ?なに?と目を前足でぐりぐりと擦り再度確認したが、やはり足跡が黄金色の粉が舞っているように、きらきら、は!?なに!?なにこれ!?
お姉さんー!?なんか粉落としながら歩いてますよおおおおお!?
女の足跡にゆっくり近づき、あらゆる角度から見てみるがやはり輝いていて、何故か綺麗だと見入ってしまうが冷や汗がだらだらと流れる。
だって、確実におかしいもの!!
ふわふわと舞っていた黄金色の粉を前足で触るか触れまいかとうろうろさせている間に、きらきらの粉がすぅ、と消えてしまい。この粉を発生させたであろう女に視線を向ければ、社で腰かけて……腰かけて……よぼよぼの爺と話している。
いや!!待って!!爺どこから来た!?
え?さっきから居た?居なかったよねぇ!?
女が来るまで、この境内には俺だけだった。社の中も無人だ。
何より、女と楽しそうに話している爺は女の足跡どころか、と、いうより爺自体が黄金色の粉で輝いている。むしろそのきらきらで姿が見えていると言っても過言じゃない。
ねぇ、本当に待って、俺そういった類は……べ、別に怖かねぇよ?すこーし苦手なだけで。
汗なのか冷や汗なのかは知らないが、毛がしっとりとしてきたのを感じる。
女と爺はえらく楽しそうで、爺と孫みたいな和やかな雰囲気だ。爺はきらきら輝いているが女のほうはまず人間と見て間違いない。変な粉を足裏にくっ付けてはいるが人間だ。人間であってくれ!
そして、女の声は聞こえてくるのに爺の声が全く聞こえてこない……大口を開けて笑っているのに。
「あ、やべ、もう足に力入んねぇわ」
がくがくと生まれたての小鹿、じゃなかった子猫のような俺に見られているとも知らずに、女と話していた爺が急に着ていた着物を豪快に脱いだ。健康とは言い難い薄っぺらい上半身を女の目の前にさらけ出している。
「きゃああああーーーー!!お姉さんんんんーーー!?逃げてーーー!?おいクソ爺!!神聖な場所でナニおっぱじめるつもりだよ!!背徳的な感じも確かに燃えるけどな!!!相手を考えろ!!!爺には勿体ねぇよ!!」
ぎゃんぎゃん鳴き出した俺の声が届いていないのか、上半身をさらけ出した爺がじりじりと女に近づいている。こうしちゃおれん!!と地を蹴った俺の前足が何かに払われ、顔面から地に転がった。
「ふぅんぐっ!!!!」
砂利で擦り抜いた顔を上げれば、でんと太い毛むくじゃらの前足。
「っつー……何しやがる、ホウイチ」
「おめぇこそ何するつもりだ」
「おらぁ、か弱い女性が変質者に襲われるのを阻止しようと」
そういう俺を見下ろしたホウイチがちらりと社を見てから、「おめぇさんが入っていい域じゃねぇ」と言い。まるでこっちに来いというように顎を動かした。
***
「はぁ!?神様!?あの爺が!?」
「声がでけぇぞギン」
「そもそも、俺は、神さんだかそういうのは信じねーの。あれだろ、体中にラメ塗りたくったパティー気分の爺かなにかだろ?ほらぁ〜、見てみろよ?主役級にきらきらしてんじゃん」
草むらから顔を出し、少し先の社を見る。
確かに金の粉を纏ってはいるが、あんなよぼよぼでみすぼらしい爺が神様なわけねぇと顔を小さく横に振る。
この神社の神があの爺さんだというホウイチを再度見たが否定はしてくれない。まじかよ。
「……あの爺が神さんだとして、なんであの女は普通に話してんだよ。見えてねぇのか?半裸の爺が居たら悲鳴の一つでもあげるだろ?俺でも悲鳴上げるわ。いや、でも笑い合ってたしなぁ」
前足を器用に顎に当て考える。もしかしたら偶然が重なって俺にはそう見えたと考えられなくもない。
「ってこたぁ……やっぱり自然な感じで爺から女を離してやったほうがいいよな。見えてねぇからって言ってもよ。爺のしわしわの胸が目の前にあんだ。妙齢のお嬢さんには酷じゃね?爺も爺で、あんなべっぴんさんを前に変な気が起こるかもしれねぇ」
うんうん、と一人頷く。
爺じゃなくてもあんな至近距離、ましてや己は半裸とあっちゃ俺でも反応するわ。
だが相手は神さんだ。下手に手を出すのも気が引ける。作戦を考えるにしろ、とにかく近づいてみるか、と前足を動かしたと同時に俺の可愛い尻尾がムギュっと潰れた。
「ンギャー―!!何しやがるホウイチ!!」
「おめぇさんが心配する必要なんてねぇよ。手なんてだしゃ、やられんのは嬢ちゃんじゃなく爺のほうだ」
俺の尻尾を踏んだままのホウイチに「はぁ?」と眉が寄る。
どう見たって爺にも勝てそうにない女だ。ホウイチにはあの女がゴリラか何かに見えてんのか?ゴリラっつーのはな新八の姉みたいなことを言うんだよ。それともなに?見た目はあれだけど彼女、プロレスラーか何かなの?
俺もいよいよ美人の類を信じられなくなってきてんな、としみじみ感じてしまう。
「いくら神社の神だろうと、江戸一帯の地主神には勝てめぇよ」
「……………じぬし、なんだって?」
もう、俺の頭は駄目かもしれない。
神さんの次はなんだってか……と思考が停止しようとしている俺の耳にホウイチの大きい溜息が聞こえる。俺なんて溜息どころか胃の中のものが出てきそうだわ。何も入ってねぇけど……。
「あの嬢ちゃんには爺も見えているし、そもそもここに来た目的は爺に会うことだ。てめぇが心配する必要もねぇよ」
「痛い痛い!いつまで尻尾踏んでんだよ!」
むぎゅう、と踏まれている尻尾に更に体重を掛けられてのた打ち回る。だから俺に余計なことをして邪魔をするなと言うホウイチの言葉に返事をすれば、あっさり尻尾が解放された。
踏まれて痛んでしまった己の尻尾を見る。
「キュートな尻尾が腫れちまったじゃねぇかよ……で、地主神ってあれだろ?つーことはあのお嬢さんも神さんってこと?俺には普通の人間に見えるんですけどー」
ひりひりと熱を持った尻尾から視線を外して、草むらから社を見れば、女が爺の腰に何かを塗っている。何プレイだよ。俺だって若い女の手に腰を触れてもらいたい。ここ最近ご無沙汰な俺になんてもの見せんだ、と舌打ちが出る。
「嬢ちゃんは人間だ。俺にも見えているからな」
「何?おたく爺が見えてねぇの?あれだけきらきらしてんのに?」
「俺だけじゃねぇさ、ほとんどの猫は爺が見えちゃいねぇ。見えてんのはおめぇさんのように目が良い一部の奴だけだ」
「見たくもねぇ爺の裸見せられてもねぇ。迷惑料貰いてぇくらいだよ、こっちは……で、あれは何をしてんの?オイル塗ってるように見えんだけど、やっぱそういうプレイ?」
床にうつぶせになった爺の腰に何かを塗りたくっている女を観察していると、微かに声が聞こえてくる。
出雲から取り寄せた薬だの私が貰ってくるから安静にしていろだの、女の話し声しか聞こえないが、どうやら爺の腰痛の薬を女が持ってきているような、そんな会話だ。
「ああやって、ここ一帯の神さんの手助けしてんだよ、あの嬢ちゃんは。……何がどうなって地主神になっちまったのかは知らねぇが、見えてる奴らによれば、本当の地主神は別の爺って話だ。嬢ちゃんはその爺が留守の間の代理というやつらしい。人間どうなるかわかったもんじゃねぇな。……今、あそこは神域だ。近寄んなよギン。持ってかれるぞ」
「……………持ってかれるってなに」
「爺とはいえ、神社の主だ。神域に入れば、こっちには帰ってこれねぇ」
だらっ、と冷や汗がこめかみを通る。
よくよく見れば、いつもならうっとおしいくらい猫が集まるはずの神社に俺とホウイチしかいない。動物は敏感だと聞くが……。
気付いた途端、しん、と音が無いような境内の様子に体が冷える。
「あの爺が社に帰るまで此処を動かねぇほうがいい」
ホウイチの言葉に静かに頷く。
ホウイチがいなければ、俺は既に神域とやらに足を踏み入れてしまっていただろう。
「俺………ちびりそう」
「我慢しろ」
後ろ足を内股にした俺に冷静なツッコミが入る。
もう猫やだ、とふるふると体を震わせてじっとしていれば、境内の空気が揺れたように感じて俯けていた顔を上げる。
横になっていた爺が着物に袖を通して立ち上がったところだった。薬を仕舞う女に何か言っているようだ。女の「このくらいで、そんな」と控えめに笑う声が聞こえる。
帰るのだろうか、いや、もうさっさと帰ってほしい。
そんなことを考えながら、帰りを今か今かと待ち構えているとふ、と爺がこっちを向き、慌てて草むらに顔を引っ込める。
あっぶねぇ!!
というか、絶対俺達の存在に気付いてるぞ、あの爺!!怖い!!神楽ぁ〜、新八ぃ〜。
俺の帰りを待ってくれているであろう二人を思い浮かべて、うっうっと泣いていれば、草むらがガサリとかき分けられ、そこから女の顔が現れた。
「本当だ、猫が居る。珍しい」
「みぎゃーーーーー!!」
草むらから現れた女に悲鳴を上げるも、逃げようとした。だが、猫になって数日の体はまだ慣れず、足が絡まって顔から地へ転ぶ。
はっ!と顔を上げて、あることに気付く。
おい、嘘だろ……腰抜けた。
だらだら、と止まらない冷や汗を感じながらホウイチは!?と見渡すが居ない。あいつ!俺を置いて逃げやがった!何のためのホウイチだよ!!
「お爺さんがいる時はみんな逃げちゃうのに……逃げおくれたの?」
背後に居るだろう女を見ることができず、地に転がったまま死んだふりのようにピクリとも動かずにいる俺に女が話しかけてくる。
地主神ってくらいだ。動物の言葉も通じるかもしれねぇ。
「お、お姉さん、実は、腰がぬけちゃって」
「起き上れないの?」
「そう!そうなの!お願い起こして!そして見逃して!」
通じた!
猫の言葉が通じるって点でこの女も怖いが、あそこに座っている爺ほどでもねぇ。
俺の両脇に手を差し込み抱き上げてくれた女に身を任せながらも、逃げるタイミングを狙う。
あっ……柔らけぇ。
女の胸元に抱え込まれたことで、心地よい人の温度と柔らかさにへにゃと顔が緩む。ここ数日固い地面で寝ていた自分には天国のような状況だ。
無意識にごろごろと鳴る喉の音を聞きながら、その胸に顔を摺り寄せる。決めた。今日はここで寝る。
『もう一匹は逃げたようじゃな』
「お爺さんが居るとここ一帯神域ですし、逃げますよね。普通」
『わしも猫に触れたいのだがな』
「あっ、今なら撫でられますよ?どうぞ」
『確かに。そなたが抱えているなら、わしの神気にあてられまい、どれ』
温泉に入っているような心地よさに目を瞑っている間に何があったのか、瞼を開ければ爺のよぼよぼの掌が目の前まで迫って来ていた。
「ギャーーー!!触んなクソ爺!!銀さんはみんなの銀さんだから神域とかわけわかんないところには行かねぇの!」
「うっ、わ。そんな暴れないで、痛い痛い。爪が」
『元気な猫じゃな』
「ちょっとお姉さん!もしかして俺の言葉通じてなかった!?感覚で話してたの!?そういうことは先に言えよ!?」
爺が目の前に居ることからして既に神域とやらの範囲に入ってしまっている可能性はあるが、逃げられないと決めつけるのもよくない。そう思い、女の着物に爪を立てて胸元を上ろうと足掻く俺の様子を女と爺が眺める。
「怖がっていますね」
『残念じゃが、可哀想だ。撫でるのはよしておこう』
「よしよし、大丈夫。お爺さんは怖くない神様だからね」
「怖い怖かねぇの話じゃねぇんだよ……なぁ、俺帰れる?ってか今、生きてる?さっきまで聞こえなかった爺の声が普通に聞こえてんだけど」
女の滑らかな手で背中を撫でられ、うっ、と爪を立てていたことに気付き慌てて仕舞う。今の姿が猫と言っても元は人間の男だ。女に傷を付けるわけにはいかねぇ。つまりこの胸元で暴れるわけにはいかない。逃げられない、と肩を落とす。
諦めた俺が大人しくなったことで、女が更に俺の背中を撫でる。その手がするすると上り、頭まで撫ではじめた。
普段なら気安く触んなと思わなくもないが、もう、好きにしろよ。と女の肩に顎を乗せてふんと鼻息を吐いた。
『怪我はないか?』
「ないですよ。それに出来たとしても小さなものでしょう。気にすることないですよ」
『小さな傷とて、そなたが傷つけばこの地も傷つく。気を付けてくれ』
「……………そうでしたね。はい」
『それにわしにとっては可愛い孫みたいなものだ。そなたが傷つくと爺も悲しい』
柔らかな声で話す爺に女もどこか嬉しそうに返事をしている。
神さんとか地主神などの話を聞いていなければ、普通の爺と孫にしか見えねぇ。
そもそもホウイチの話が真実であるかも怪しい。ホウイチ自体人づて……猫づてに聞いた話だ。
背後で交わされる会話に耳を傾けながら、腹に感じる女特有の柔らかさに目を閉じる。
『わしはそろそろ行くぞ』
「はい。また塗り薬が切れる頃に来ますね」
『いつもすまぬなぁ』
「いえいえ」
やっと爺が帰るらしく。心の中で、おうおう帰れ、帰れと思っていると目の前に爺の顔がにょきと現れて毛が逆立つ。
ぴりぴりと肌を刺すような刺激と吸い込まれるような感覚に俺の何かが、この爺は人間じゃないと訴えている。
「な、なんだよ。俺はうまかねぇぞ。というより、俺が腹減ってんだよ」
『そうかそうか、腹が減っておったか』
「けっ!どうせまた当てずっぽうで返事してんだろ。女で通じなかったんだ、爺にも通じてなんていないんだろう?わかってんだよ、おらぁ」
「お爺さん、猫の言葉がわかるんですか?」
『うむ。どうやらわしに食われると思っておるらしい。鈴、すまぬが、この猫に食べ物を与えてやってくれ』
「へ!?わかんの!?おい!爺!いや!神様!俺を人間に戻してください!!」
ええええ!?通じてるならもってリアクションしろよ!!と顔を上げれば、爺はふふふと頬を緩めて笑い「すまなんだな、これは迷惑料だ。鈴に食べさせてもらうとよい。では、わしは行くでの」と女に包みを渡している。
「おい!待て爺!いや神様待って!俺を元に戻してから帰って!ねぇ!ちょっと!おいー!!」
爺が視界から消えた途端、鳥の鳴き声が聞こえはじめる。
本当に帰りやがった……、と再度女の肩に顎を乗せて「みぃ」と鳴けば、女が俺の頭を撫でる。
「もしかしてお爺ちゃんと一緒に行きたかった?ごめんね、こう見えてお爺さんより神格が上だから……私が居ればきみがお爺ちゃんの神気に当てられることはないとか思っていたんだけど、余計なお世話だったかな。ごめんね」
あわあわとしながら「今度はちゃんと連れて行ってもらえるように言うから」と俺を慰めようとしている女の肩に額をこすり付ける。優しさが苦しい。慰めたいなら人間に戻してくれよ、とすんすん泣いてしまう。
「お腹空いていたんだよね。お爺さん、何をくれたのかな?あっ、クッキー」
「クッキー!!食う!!」
「これ人間用かな?猫用のほうがいいよね?……でも神様からキミに、ってことだし。いやでもやっぱり猫用を買ってきたほうがいいかな」
「大丈夫だからくれ!」
人間用、猫用で悩んでいる女に元は人間だから!と言いたいが、どうせ通じはしない。猫用を買いに行くらしい女が俺を地面に下ろすと同時に、前足を使って女の足にしがみ付く。自分では「くれ、くれー!」と言っているつもりだが、耳には「みい、みい」という鳴き声が聞こえてくる。
俺があまりに必死に訴えるものだからか、立っていた女がしゃがみ込む。距離が近づいた女と自然に目が合った途端、息が詰まる。
ぼふん、と尻尾が膨らんだ。
あの爺と目が合った時に似た感覚だったが、それよりも酷い。ごく一般的な瞳の色だというのに、この瞳を見ては駄目だと警報がなる。
思考も何もかも持っていかれそうな感覚に、こりゃ、確かに爺より格上なのだろう感じた。
みぃ、みぃと鳴いていた俺がしがみ付く格好のままぴくりとも動かなくなったことに、女が「そんなにお腹が空いているならしかたないね」と困ったように頬を緩めて「神様からの贈り物だし大丈夫だとは思うけど」と、クッキーを割った。
一口サイズになったクッキーが俺の口許にちょこんと当てられ、ついかぷりと口に含めば、口の中に甘みが広がる。
「喉に詰まっちゃうといけないから、ゆっくり食べてね」
久方ぶりの糖分に本当は大口を開けてかぶりつきたいところだが、そんなことをすれば女の指まで噛んでしまいそうで。この指に傷を付けてはいけないと思うのは動物だからだろうか……気を付けながら、かり、かり、と小さく噛んでいく。
もういっそのこと地面にばら撒いてくれりゃーいいのに、と思うが、ちらりと見上げた先の女が微笑んでいるのを見ると悪い気もしない。
人間の身体と猫とではやはり違いがあり、クッキー数枚で「けぷっ」とゲップが出た。まだ食べられる気もするが先のことがわからない今、女が持つ残りのクッキーを持って帰るのが賢いだろう。
さて、どうやってあの包みを貰うかだ。
いっそのこと奪うか?いや、でもなぁ、相手は神さんだしなぁ……と口回りについたクッキーを舐め上げていると、女がハンカチを取り出した。
クッキーを包み、風呂敷のような形にしたかと思えば、それを俺の首の後ろに乗せて首元で結ぶ。
「重みもあるし、少し苦しいかもしれないけど、そんなに遠くには行かないよね?お仲間さんや家族にも持って行ってね。お爺さんからだから、きっとご利益あるよ」
「……………本当に俺の言葉、通じてないんだよな?」
「お爺さんに付いて行きたくなったら、社の中に行くといいよ。キミは目が良いみたいだからきっとすぐにわかると思う」
「あ、これ、通じてねぇわ」
はぁ、と溜息を零しながらも、クッキーを貰ったことに「ありがとさん」と言えば、頭から背中にかけてゆっくり撫でられた。
……撫でられるのも悪くねぇなと思う。
このお姉さん、今日神社に泊ってってくんねぇかな、抱っこされて寝てぇ。
もう固い床は嫌だ。むしろ俺を飼ってくれとさえ思う。
そう思っている俺の気持ちなど知らずに立ち上がったお姉さんは「じゃあね」と言って、階段へと歩いて行く。その背中を見ていると、周りを飛んでいた雀がお姉さんの肩に止まり、つい笑ってしまう。マジで神さんみてぇ。
ちゅんちゅん、と嬉しそうに鳴いちまってまぁ……とそのほのぼのとした後ろ姿を見ていれば、町に爆音が響く。音に反応し、そちらを見ると遠くのほうで煙が上がっている。此処かぶき町ではよくあることだ。
一瞬にして興味が失せ、階段に目を向ければ、お姉さんがしゃがんでいる。
「え、お、おい、どうした?音にビックリしちゃった?」
え、ええー!と少しだけ距離があったお姉さんの元に駆け寄れば、俺が来たことに気付いたお姉さんが「結構な爆発だったね?怖くなっちゃった?」と言った。
そんなのどうでもいいっつうの!怖くねえよ!!俺はあんたを心配してんの!
「驚いて足とかくじいたか?爺呼んでくるか?」
「はぁ、びっくりした。今の感じは真選組のあの人かな」
「え?あ、ああ、総一郎くんのバズーカー?」
「建物だったら大丈夫なんだけど、地面がえぐれると少し体に負担がかかるんだよなぁ。アレ、どうにかなんないかな……どう思います?猫ちゃん」
「どう思いますって……え?」
胸に手を当てて、はぁ、と息を零しながら立ち上がったお姉さんを見上げる。本当に驚いただけだったのか、けろっとした顔で「音ばかりはどうにもならないけど、此処なら安全だろうから大丈夫だよ」と言って階段を降り始めている。
なになに、どういうこと?
この神社の神さんは爺で、この江戸そのもの、土地の神がお姉さんで。つまり土地が傷つくと少なからずお姉さんに負担が掛かるってこと?
また遠くのほうで爆音が響くのと同時に階段から「また地面がえぐれた」と心の底から絞り出しかのようなお姉さんの声が聞こえる。
「難儀っつーかなんてーか……神っつーのも大変なんだな」
***
空を雲がゆっくりと流れるのを見上げてから、一歩階段を上がる。
猫共の一件もあったが、無事に人の身に戻れてから数日。町でホウイチを見て、ふと此処に来てみたくなった。願いなんぞ叶える力も無さそうな寂れた神社へ。
「相変わらず、猫しかいねぇのな」
俺が来たことで数匹の猫は逃げるようにどこかに行ってしまったが、猫が居るということはあの爺は居ないということだ。
つまり、あの女も居ない。
別に会おうなんざ思っていない。むしろ面倒そのモノのような女に関わるなど御免被る。
あの日、女が座っていた場所に腰を下ろし、目の前に広がる景色をぼうっと眺める。
今日は爆発音とか聞こえてねぇし、大丈夫だと思うけど……いや、心配とかしてねぇよ?やっぱ土地の神だし?アレに何かあったら俺の家も駄目になるわけじゃん?困るじゃん?ねぇ?
あの日から、この町を見る目が変わったのは確かだ。
人間に戻ってすぐ地面を踏んだ瞬間、あの女を踏んでいる気がして片足を上げてしまったのを思い出す。
「……いやいや、駄目だって、関わるべきじゃねぇって俺の中の第二の俺が言ってっから」
あの女を探してしまいそうになるのを何度我慢したか、いや、腐っても万事屋で、人探しなど朝飯前だ。だが、探してどうする?アンタが地主神って知ってんだよね?って?怪しすぎて逃げられるわ。
「そもそも、神さんって知られて消えちまうなんてことになったら、俺はどう責任取ればいいんだよ」
此処は何も知らなかった、何も見ていなかったと早々に忘れたほうがいいだろう。神さんっていうのは触れずにそっとしておいたほうがいい気がする。
そう思うのに、遂に今日、此処へ来てしまった。
はぁ、と溜息を零しながら頭を掻く。胸元からクッキーの包みだったハンカチを取り出して、そっと置き、立ち上がる。
「これ、返しにきた。男前な猫が返しに来たって伝えといてくれよ」
あと、クッキーもありがとよ、と背を向けながらそう言うが、返事はない。
だが、俺が去った後、きっとハンカチは消えるのだろう。そしてあの女の元へちゃんと返るのだろう。
「あ〜、なんか甘いもん食いたくなってきた」
神社から暫く歩いていると、みたらし団子の独特な香りについ視線をそちらに向ける。そこには老舗の小さい甘味屋がある。いろんな甘味屋を回っているがたまーに食べたくなってつい寄ってしまう店だ。本来は持ち帰り専門だが、店先に食べていける長椅子が一つだけ置かれている。今時の若者なら寄ってはいかないだろう店だ。
店先で老夫婦が腰かけているのを見て、財布を取り出して中身を確認する。
なんで俺って、こんなに金がねぇの?
泣きそうになりながら、老夫婦が仲良く茶を啜っているのを見ていると、みたらし団子を盆に乗せた店員が出てきた。
あそこは確か、爺と関取のような娘しかいなかったはずだ。あんな見るからに別嬪オーラを引っ付けた娘は居なかった。新しく雇ったのか?と目を細め、その顔を見た途端、手から財布が落ちる。
「は?……え?……待って……神様、甘味屋でアルバイトしてんだけど」
あの日、俺にクッキーを食べさせてくれた女が老夫婦にみたらし団子を運んでいた。
web拍手
【一話終わり:後書きもどきはmemoにございます、もしご興味のある方はよろしければどうぞ】