プロローグ / 薔薇の王国編(6)

 ましろが連れてこられたのはおどろおどろしい屋敷だった。屋敷の周りも元は美しく咲き誇っていただろう薔薇は枯れ果てて、屋敷の近くにある城壁には大きな黒い茨が蔓をのばしている。美しい王都の中で唯一不浄とされている一角だ。そして、あたりには『剣人クシウス』達の住居となっている地区にされている。
ましろの記憶の中ではここは王都の端にはかわりないが、それでもこの場所はこんなに閉鎖的ではなかった。まっすぐに王城へと続く道があり、何か有事の際には駆けつけることができたのだ。

 しかし、現状はここの状況は決してよろしくない。
 王城へと続く道は塀によって閉鎖され、その一角も貧しいのだろうと予測できた。ましろがルジェとハウウェル、チェリッシュと共にいるから安全なだけで、恐らくましろ一人であればあっという間に取り囲まれるだろう。それでも物乞い達がルジェやハウウェルに寄ってくるのだが。その中には体の一部が黒ずんだ人もいる。ましろの視線に気づいたハウウェルが口を開く。

「あれは黒腐病を患っている人だよ。黒い斑点が体にひろがり、それはあざになって最後は腐り落ちる」
「ああなってしまえば助かりません。あとは死ぬのを待つです」

 そう言ったルジェに、ましろは違うと言いかけたがそれを知っているとなれば恐らく不審がられるのは間違いがなかった。ここに理志がいたならば、ましろの気持ちを汲み取ってどうにかしてくれたかもしれない。
 ましろにとって理志は頼もしい人だった。幼馴染みだからか、誰よりもましろのことを理解してくれていた。ましろの言葉を否定せず、周りと繋ぎ止めてくれる存在である。

「いや、それはどうだろうね。黒腐病についてはカルネが研究しているし、ルジェ、何よりましろ様は聖女様だ。どうにかしてくれるかもしれないよ」

 ハウウェルの言葉に、列を成して群がっていた『剣人クシウス』達がざわついた。ルジェはため息をつく。全く面倒なことをしてくれる。ざわめきはだんだん広がっていく。聖女様、聖女様ですって、ああそういえば外では聖人召喚の儀を。皆口々にそうつげる。一人の老人がましろの目をまじまじってみる。

「賢王様と同じ青い瞳じゃ」
「それは魔女と同じ青い瞳では」
「魔女のいた時代の方がマシだった。魔女は我らを慈しんだ」

 そう言った男性に、ルジェが目を細めて周りを睨んだ。

「聖女様の前です。口を慎みなさい」
「ルジェは怖いね、ましろ様」

 ハウウェルはそう言ってましろの肩を抱くと屋敷の扉にてをかける。しかし、騒がしかった『剣人クシウス』達が一斉にしずまった。王都と隔てる塀から聞こえてきた音に、そそくさと逃げるように『剣人クシウス』達は家の中に戻ったり路地に隠れる。ましろはがらんとした道の先をみた。
 ――現れたのは肌が変色した男だ。
 かろうじてわかる緑色の瞳がこちらをみたが、黒い服も相まってまるで影のように見える。そのあとに続いている人物たちもみな同じような風貌である。一部は普通の人と同じような肌を晒してはいるが。血のにおいが漂っていて、ましろは眉尻を下げた。この人達は怪我をしている。
 ハウウェルがその先頭にいる人物に口を開く。

「可哀想に、今日も死ねなかったんだね」

 その言葉に先頭にいる人物は泣きそうに顔を歪ませたのがましろにはわかった。そして、懇願するように口を開く。

「頼むよ、死なせてくれ」

 聞いたことがある声である。ましろは改めてまじまじとその人をみた。その緑色の瞳も知っている。

「何度も言うように、貴方を含む黒薔薇はこの国のかなめです。貴方達は国を守るために存在する。王は有能な貴方を生かしたいのですよ、ユージン。それが貴方の誓いのはずです」

 ルジェはそう冷たく言い放った。ポロポロと緑色の瞳からは涙を流す。

「貴方にあたらしい仕事です。聖女様の護衛、そして聖女様と闘技大会にでよということです。これで貴方はまた死ねませんね」

 淡々と告げたルジェに、影の男――ユージン=アイルは大きく表情を歪めた。そして、慟哭だ。ついには崩れた彼に、ましろはそっと近づいて背を撫でた。何について嘆いているかはわかりかねた。ただ、彼が悲しんでいることは理解できる。
 どうしてそうなったのかはまったく分からない。ユージンという人物はましろが知る限り、こんな人物ではなかった。少し年下の誰よりもまっすぐで心優しい存在であったはずなのだ。
 ルジェはすぐに「みっともない」と告げ、ましろに声をかける。

「聖女様、哀れな男に構う必要はありません。チェリッシュ、早急に部屋の準備を。聖女様の服などは明日お届けしましょう」

 ルジェの言葉にチェリッシュは「かしこまりました」と頭を下げる。そしてましろに「ご準備いたしますので少し広間にてお待ちください」と告げて屋敷の中に入っていく。その様子を眺めていたましろにハウウェルがコソッと耳打ちをした。

「彼は死にたいそうなんだけれど、強いから王様が死なせないんだよ」
「それはなぜ?」
「そうだな、この国では珍しく、彼は魔女を殺したことを悔やんでいんだよ」

 ましろはハウウェルを見上げる。ハウウェルは優しげな笑みを浮かべて、ましろを見下ろした。

「貴方にしか、彼は救えないと私は思っているのだけれど」

 その言葉にましろはもう一度ユージンをみた。どうすればいいかなど、思いつきもしなかったが。



 黒薔薇の騎士団は、死が近いものが所属する部隊だ。『剣人クシウス』の中でも『黒腐病』を患ったものが有無を言わされずにこの部隊に配属される。手足が腐りもげ嫌われ者疫病者として死ぬか、それとも栄光ある戦場もしくは討伐場で討たれ名誉ある死を飾るか。そのどちらかを選ばされると多くの者は皆後者を選ぶのだ。
 ――死ぬことを恐れない者は誰よりも強い。そして、その人たちが集まれば、どの国よりも強い部隊ができあがる。
 この国が戦で強いのはそういった部隊が存在するからというのも大きい。

 ましろが送られた屋敷は、その部隊の宿舎である場所だった。理志がいる華やかな王城とは違い、見るからに鬱蒼とした屋敷で廊下は少し埃っぽい。ハウウェルとルジェが帰ってしまった為、世話焼きな騎士団の人物にましろは広間に通された。調度品などは良いものを揃えているが、手入れをする人間がいないのだろうことは理解できる。
 ましろは広間の暖炉の上に飾られている絵画を見上げる。不自然にその絵画――恐らく肖像画であったもの・・・・・・・・・だけが埃を被っていなかった。その下には何も活けられていない花瓶がおかれている。
 ましろを連れてきた人物が、胸元に飾っていた黒薔薇を花瓶にいけた。次々に広間に戻ってきた兵士達次々に胸元に飾っていた黒薔薇を取り出してはその絵画の下に活けていく。ましろはその様子を大人しく眺めている。
 この国の騎士団はどの色であっても、同じように肖像画が飾られる場所があってこうやって花を活ける場所がある。その花瓶の上に飾られる肖像画は王族であることが多い。
 たとえば、いまであるなら橙色の部隊は現王であるフューネ王だろう。青色の部隊は先代王だろうし、黄色の部隊はエレリーナだとましろには推測された。
 では、この塗りつぶされた肖像画は。
 最後にやってきたユージンが同じく薔薇の花を活ける。そうして、ましろの隣に並んだ。ましろはユージンを見上げたが、ユージンの視線はましろにむくことはなかった。

「ええと、さっきはとりみだしてすまない」
「いいえ、何かご事情があるのでしょうから」

 ましろはそう言ってまた肖像画を見上げた。ユージンはましろを見下ろしたが、今度はましろの視線が絵画に向いていて。

「あの肖像画を大切にされているのですね」

 ましろの言葉にユージンは「えっ」と小さく声を上げた。あれが肖像画だとわかるものだろうか。そこにいた人物は黒く塗りつぶされて、シルエットのようにしか見えない。この部隊にやってくる人のほとんどがそれを「絵画」だという。今所属する人は黒腐病に侵された乙女の絵だと思っているのだ。そこに描かれた人を知る部隊の人間は皆死んでいった。
 ましろはユージンの困惑したような声を聴いて、その理由を勘違いしたようである。

「あの絵の額縁だけ埃がかぶっていませんから。誰かが大切に掃除をされているようだったので」
「……そうだね」

 ユージンはそういって目を伏せた。あの肖像画をきれいにしているのは、ユージンだ。ユージンだけがあそこに描かれた人を知っている。この世界に存在しない黒いバラをどうやって作っているのかも知っている。
 ましろは肖像画から目をはなし、ユージンをみた。そこではじめてユージンはましろの顔をみたらしい。ユージンはまたぽろぽろと涙を流す。そうして零れ落ちた黒いしずくは床にシミを作った。

「……あなたは泣き虫な方ですね」

 ましろは困ったようにそう告げると、そっと手で涙をぬぐってみせた。黒い涙がその手を伝う。

「きみに、黒腐病がうつって、しまうから」
「いいえ、うつりません」

 ましろはそういって、ゆっくりとユージンの背中に手を伸ばす。そうして子供をあやすように背をなでた。ユージンはその感覚が、懐かしく感じた。大丈夫だとなだめる声も、その瞳の色も、何もかも、ユージンが昔なくしたものだ。

「――」 
「ましろ様!」

 ユージンが何か言いかけたとき、チェリッシュがかけてきて、ユージンとましろの間に割り込んだ。

「あなたはなんということを!」
「あまりにも彼が泣かれるので、なだめていただけです」
「黒腐病がうつってしまいます! はやく体を清めなければ。こちらにお越しください!」

 チェリッシュはそういってましろの手を引くと、ユージンをにらみつけた。そうして怒鳴りつける。

「穢れた『剣人クシウス』が聖女様にふれるんじゃない!」

 チェリッシュはそれだけいうとましろを連れて廊下を進む。清らかな水で湯あみをし、洗い流さなければならない。ましろがユージンを見ようと振り返ったが、ユージンはただ広間で立って、ましろを見つめて少し笑みを浮かべていた。ましろにはかすかに口が動いたように見えた。それがなんと告げているかはわからなかった。