02


 清々しい朝の空気が小鳥の囀りと共に自分の体に入ってくる。少し冷たい風が頬を撫でれば、段々と頭が覚醒していった。

 私、電車に跳ねられて……。

 ゆっくりと重い瞼を開けた先に見えたのは黄緑色の絨毯に鬱蒼と生い茂る木、木、木……。頭上の緑から朝露が額に垂れる。反射で閉じた瞼をもう一度開ける頃には、確かな焦りと混乱、それに不安で私の心は満たされていた。

いったいここはどこなのか。生前余り信じてはいなかったが、これが黄泉の世界なのだろうか。痺れ欠けた腕で支えながら体を起こすと、脳味噌がぐわんぐわんと揺れた。それでもなんとか立ち上がろうとした私は次の瞬間激しい嗚咽に襲われる。

 なに……これ……?

 周りの青臭い臭いで今まで気付かなかった自分を呪いたい。兎に角気持ちが悪いのとショックとで私の体はもう一度地に落ちる。

"死体"だ。私の目の前に転がっているのは間違いなく"それ"だった。あまりに酷(むご)い光景に辺りが急に血生臭く感じた。

 尻餅を着いた下半身はまるでこの寒さに凍ってしまったかのように動かない。それどころか、私の目も、体も、"それ"を記憶に焼き付けるかのように"それ"から私を離してはくれなかった。

 それから暫くして、また段々と意識が遠退いていった。


 もう一度意識が戻ってくるのが感じられた。周りからはもう鳥の囀りも肌寒い風も感じられない。代わりに暖かい布に包まれている感じがした。瞼を開けるのは怖い。瞼を開けたらまたそこに"あれ"が転がっているのではないか。そう考えずにはいられなかった。

がちゃ、とドアがそうっと開く音がした。これまでの事ですっかり敏感になってしまった精神で肩が跳ねる。ノックも無しに開けられたドアがきぃぃという音を出した。誰かがこちらに近付いてくる足音に自身の心臓がばくばくと激しく脈打つ。足音が止むと、今度は顔のすぐ横で木製の物に固いものがぶつかる音が耳に入る。

何だろう……。

甘い匂いが鼻孔を擽る。好奇心に負けた私はそうっと重い瞼を開いた。

 目の前にいたのは30代ぐらいの女の人で木製のトレーを小脇に抱えてこちらに心配そうな目を向けていた。

自分が寝ていたのはベッドで、そのすぐ横にあるサイドテーブルの上には湯気が立っているコーンスープが置いてある。

「嗚呼、起きたのかい。」
女の人は続けて、大丈夫かい?と口にした。

「ぁ、あの、私どうしてここに……」
自分でも驚くぐらいに枯れた声が出た。女の人は一瞬眉を潜めたが、すぐに口を開く。

「あんた、始まりの森に一人で倒れてたんだよ。」
覚えてるかい?と女の人が言う。

「……始まりの、森?」
そんな森聞いたことがない。少なくとも私の知っている範囲では日本国内にそんな名前の森なんてなかった気がする。単に私が知らないだけだろうか。

「始まりの森は子供は立ち入り禁止なんだよ。親に教わらなかったのかい?」
女の人は強い物言いでそう口にした。

「し、知りません。その始まりの森っていうのも聞いたことありません……。」
掠れた声が更に震えていた。常識だというような女の人の物言いに、知りませんというのはとても勇気のいることだった。

 女の人は私の言葉に驚きを見せたが、すぐに眉間の皺を深くして、親は?と訊いてきた。勿論いる。私は一言います、と答える。

 それから、幾つか質問を繰り返すと女の人は一言そうかいと溢すと、木製のドアノブに手を掛けて部屋から出ていってしまった。

 ドアが閉じるのと同時に今までの疲労がどっと押し寄せてきた。助けてくれたとはいえ、知らない人との会話はとても緊張する。

 幾つか質問を投げ掛ける前に飲むように薦めてくれたコーンスープも一口も飲まない内に冷えて膜が張っている。好意で出してくれた物だったのだろうが、なんだか飲む気になれなかった。


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