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「じゃ、またね〜」

手をふりながらご機嫌にドアの向こうへ消えた五条さんの足音が遠くなるのを確認して、私は壁に背を預けてずるりと座り込んだ。

「タチの悪い人」

五条さんは私の反応を見て楽しんでいる。また来るとか、不自由を手伝ってくれるとか、本気にして浮き足立ってはいけないし彼は二度と来ないと思った方がいい。
今まで、こちらが思わず見惚れるような女性と一夜を超えたのを迎えに行った事だってある。教師や御三家当主としての姿も遠巻きながら見てきた。

五条さんの言葉を信じて自惚れず、自分自身の立場を理解している。いち補助監督が──いうなら私のような凡人が……好かれている、とは思えない。となれば遊びか一時的な暇潰し。

ははあ…長いため息をついて立ち上がろうとしたその時、カツと何かを引っ掛ける音がした。その方へ目をやると白い物体が私を見ていて、手を差し出してみると伸び切った爪を鳴らしてこちらにやってくる。

「好きな人の名前なんてつけれるわけないのにね」

抱っこしていい?と許可を得て抱きかかえると先ほどのような抵抗はなかった。猫の背中に顔を埋めてまた深くため息を吐くと、掠れた声でミヤァと鳴いた。

 ▽△

五条さんの突拍子もない提案から3日。
痛みは激減して今日ものんびり部屋の中で過ごす…なんて勿体無いくらいに晴れ渡っていた。散歩だけどお気に入りのワンピースを着てサンダルを引っ掛けて目的の場所まで向かう。

外はとても気持ちよくて、公園から響いてくる子どもの楽しそうな声にこちらまでどこか楽しい気分になる。
予想の倍の時間をかけて道路に面した自販機に到着して、一番上のボタンを押そうと手を伸ばして思い出したのは五条さんの事だった。自販機と同じくらいだな、なんて思っていると背後で車のエンジン音が響いた。

ドアが閉じた次の瞬間、私のとは違う指先がボタンを押した。ガタンとメロンソーダが取り出し口に落ちる。

「お疲れサマンサ〜!僕これ大好きなんだ、一口いる?」
「…お疲れサマンサ五条さん。結構です」

なぜここに居たのが分かったのか、色々とハテナは浮かぶけど自然と会話を続ける五条さんに追求しても無駄だろう。五条さんが自販機にスマホをかざす。見上げると目隠し越しに視線があったのが分かった。

「紅茶。アタリ?」
「………当たり、です」

ガタンとペットボトルが落ちる。取り出そうと身を屈めると背後で「五条さんっ」ハキハキと甘ったらしい声がした。

「それじゃあ、あとでお迎えにあがりますね!」

五条さんの名前を呼んだのは笑顔がよく似合う新人補助監督だ。五条さんが手を振る隣で私が会釈すると僅かな間を置いて会釈が返される。

車の姿が見えなくなると五条さんは「じゃ帰ろっか」とマンションの方を指差した。

「あれ本気だったんですか」
「君に言うのは本当の事だけなのに。信用してないの?」
「…信用はしてますよ」

見上げながら言うと五条さんはへらりと笑った。やっぱり自販機と同じくらいの高さで、そう紐付けしてしまったら今後も自販機を見るだけで思い出してしまうのだろう。これは良くないなと視線を逸らす。

「そう?ただ人気者だから後1時間しかなくてね。任務が4件、すごいよね過労死させる気かって」
「…ならこの時間こそ、五条さんは休んだ方が良いですよね」
「僕が来たくて来たんだからそういう提案やめてくれる。ていうかなんで外出たの?体痛くないわけ」

可愛い私服見れたからいいけど、と付け加えた五条さんは態とらしく足先から頭の先まで見た。そういえば、意識してると思われたく無くて見せた事がなかったな。気恥ずかしくてワンピースをぎゅっと握る。

「…走ったりが難しいだけで痛みは少ないです。来週には復帰する予定ですから、その」

今日以降本当に来なくて大丈夫です。期待をしてしまう。以降仕事で顔を合わすだけで十分では、なんて言葉が喉元まで迫るが、それは嘘になるからグッと飲み込む。せめて前者だけでもと握りしめた手を解いて口を開く。

「ご、五条さん」
「立ち話もなんだしカフェでも行く?ってド住宅街だし無理か。その辺の公園にしよう」

答えを聞く事なく歩き出した五条さんに渋々着いて行く。普段よりも歩幅を狭めてゆっくりと歩いてくれる配慮に、自惚れてしまいそうになる。公園についてすぐ、五条さんは3人掛けのベンチの中央に座った。

「君の代わりに送迎してくれてる子、可愛いんだけどしつこくてさ。ベラベラ喋りっぱなし」

先ほどの可愛らしい子がハッと浮かぶ。はああと溜息をついた五条さんは缶を開けると一口煽った。

「良いじゃないですか。おしゃべりな五条さんにぴったりで」
「ねえ君座ったら?僕が非常識なクズ野郎にしか見えないじゃん。ほら、座って」

ぽんぽんと右隣へ誘われ、渋々ベンチの隅によって腰掛けると五条さんは少し前のめりになり、私の表情を覗き込む。

「君は静かでしょ。僕のどうでも良い話をどうでもよさそうに聞くクセに、キチンと返してくれるし、空気も読める」
「……無視したり聞いてなかったら五条さん不機嫌になりますし、空気も読めるようになりますよ」

だから仕方がなく。そう聞こえてくれたら良い。逃げるようにペットボトルの蓋を開けて喉を潤す。コクリと喉が鳴ってしまい思わず下を向くけれど、視界の隅の五条さんは目隠しを下げて、真っ直ぐ私を見ていた。

「だよね。君は他人を無視出来ない真人間みたいだけど、本当に僕の気持ちに気づいてないわけ?」

近くで聞こえていた忙しい子どもの声も、どこからか聞こえてくるクラクションの甲高さも、全てが遮断されたような気がした。ほんの少しの沈黙が数分に感じる。

僕の気持ちってなんですか?
浮かんだ言葉以外を言わなくてはと口を開いた時、プルルと着信音が響いた。

「……誰だよ」

五条さんはボソリと呟くとスマホを取り出し応答する。やっと周囲の音が聞こえるようになって小さく溜息をこぼす。いつものようにふざけ倒した五条さんではなくて、なんだか、知らないひとみたいだった。

「時間まだだろ。……はあ?他のヤツがどうにかすれば…え〜…ハイハイ、場所送るから黙って。余計な話とか要らないから」
「…………」

言うと私の方をくるりと見る。棘を孕ませた声色から一変して困ったように笑い、残ってたメロンソーダを飲むと立ち上がった。

「て事だからまた来るよ。サトルに宜しくね」

あなたの名前にするはずないでしょう、と私も立ち上がる。降り注ぐ陽がまぶしい。

「サトルじゃなくてシロって名前にしましたよ」

言うと、五条さんは少し驚いたようで、うんと満足げに頷いた。目隠しをあげても口元は緩んでいて、しまったと数秒前の言葉を後悔する。否定とはいえ言わなきゃよかった、すごく、今になって恥ずかしい。

「対象がなんであれ呼ばれると気分いいね、もう一回言って」
「…では。五条さん、次は高専の方で」
「つれないな〜また行くよ、君のウチ」
「大丈夫です、本当、この通り治ってるので」

大丈夫ですからと再度念を押して、公園の出口へ向かう。すぐ隣から「えーつまんなーい」とごちる五条さんの声が聞こえるけれど、聞こえないふりを貫く。これ以上は私がもたない。もしかしたら本当に、なんて浅はかな考えがよぎってしまう。

公園を出てすぐ、五条さんは私の名前を読ぶと同時に手首を掴んだ。

「次は事前に連絡するから、居てよ」
「話聞いてました?」
「君だって僕の話はぐらかすでしょ」

お互いだよと笑う五条さんはそう言うと掴んでいた手を解き歩き出した。迎えの車がすぐに来るだろうと背を向けてマンションの方へ向かう。

──すこしだけ。五条さんは気づかないだろうと角を曲がる手前で振り向く。

「……」

と、こちらを見ている五条さんがひらひらと手を振った。ちょうど目の前に送迎の車が停まり、補助監督が顔を出し五条さんに声をかけた。

「……?」

こちらを見たまま、五条さんが口をパクパクと動かした。補助監督へ向けての言葉だろうと思いながらも、すこし、ほんの少し期待した私は首を傾げてみる。彼はスマホを取り出したかと思うと指先で差して、車へ乗り込んだ。