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車内に乗り込むと香水の匂いが鼻についた。僕は窓を開けるよう指示してスマホを取り出す。

"──のお土産買ってくから 明後日空けといてね"

彼女が運転する時は当然こんな匂いしたことが無い。待機が長くなると眠気覚ましの為に煙を吹かしていると知ったのは、個人的に食事に誘って数回目のことだった。

「五条さん、お呼びしてごめんなさい…。まだ経路がよく分からなくて、……」

そんな彼女とは運転席にいる補助監督は違う。彼女なら道が分からないとかふざけた事言わないし、雑なブレーキだって踏まない。

"すみません、空いてないです"
"用事なくない?"
"通院です。"

そっけない返信の後に『了解』と返せばピコン、と白猫が頭を下げるスタンプが送られてくる。

伊地知なら病院くらい知ってるだろう。さっさと任務終わらして彼女のとこに迎えに行ったらどんな顔をするだろう?嫌そうな、困った顔で「なんでいるんですか」…安易に想像出来るものだから思わず頬が緩んだ。

そうと決まれば「あの」とこちらの様子を伺う補助監督に言うべき事はひとつ。

「僕、寝るから。着いたら起こして」

 ▽△

サングラス越し、目の前にいる彼女は想像した通り眉間の間に深く皺を刻ませて、鋭い眼光で僕を睨み、手に持った薬局の袋をぎゅっと強く握ったままちいさくため息をついた。

「ハハッすごい嫌そうな顔。傷つくなあ」
「伊地知くんですね?」
「伊地知のこと"くん"付けなんだ、妬けるな」
「五条さんは先輩で上司、伊地知くんは同級生で同期なので、当然ですよね…」

本心を言ってみても彼女は余計に皺を濃くしただけで、特別な反応は返ってこなかった。
車のキーを指先で揺らしながら彼女の荷物を半ば奪い取る。荷物を取り返そうと手を伸ばす彼女が控えめに背伸びをするけど、小さいな。

「今日は僕が送らせて。いつもお世話になってるからこんな時くらいさ」

イエスもノーも要らないと僕が歩き出すと少し距離を開けて彼女が後ろを着いてくる。車の鍵を開けて、後部座席の方へ向かおうとする彼女を制して助手席を指差す。

「こういう時は隣に乗るの」
「……失礼します」

シートベルトを締めた彼女は態とらしく窓の外を見続ける。最初こそ鈍感かと思っていたが意図的にスルーしているらしい。そうと分かっても僕が出来るのは伝えることだけなんだけど。

「超安全運転で行くよー、どっか寄りたい所は?この後オフだからどこでも連れてくよ」
「う、家で大丈夫です」
「折角だからデートしようよ、可愛い服着てんだしさ」

赤信号で車が止まる。カチ…カチとウインカーの規則正しい音が車内に響く。

「………五条さん、あのですね」

意を決したように彼女がボソリと言った。独り言のようなそれは紛れもなく僕に向けたもので、その先の言葉を待つ。

「五条さんは遊びのつもりかもしれないけど、私…」
「う、ん? 僕がいつ遊びだって言った?」

まだ続きそうな言葉を遮ってひとつの単語に食らいつく。助手席の彼女は少し驚いたように目を見開いて、まん丸な瞳に僕を映した。青信号に変わって前を見る。言葉遊びってなに?

「言ってませんけど、」
「待って。車停めさして」

すぐさま車を停めようにも大通りでは路駐も好ましく無いと、脇道に入りハザードランプを点滅させる。で、遊びってなんだ。僕が今まで言っていたのは正真正銘の、本心のつもりだったんだけど。

さて、と。
隣を見れば死刑宣告を待つ子猫のように彼女はダンマリと下を向き沈黙していた。

「何が言葉遊び?……顔あげてよ。僕は驚いただけで怒ってないし誤解があるなら今、この場で解きたいんだけど」
「………何かするのが好きとかさっきだって妬いたとか、期待させる言葉です。五条さんみたいな人に、その……ええと、つまり誤解します」

誤解します。彼女が声を絞り出した言葉に思わず吹き出して声を上げて笑うと、彼女は「ひどい、信じられない」と言いたげに僕を唖然と見た。なんだ。誤解してくれて良かったのに。

「誤解して良かったのに。クズな自覚はあるけど好きな子には一途だよ。忙しくても会いに行くし、こうやって休みだって取る」

目尻に浮かんだ涙を拭いながら言うと、また眉間に皺を寄せて唇をぽかんと開いた。俯いて、シートベルトを強く握る手は心なしか少し震えている気がした。

「君はどう思ってたの?僕に色々言われてみて」
「…嬉しかったです。ただ、多勢の一人になれるような度胸は無いから、真に受けてはいけないと」

彼女の言葉に僕はハンドルに頭を押し付けた。多勢って一夜限りとか?そうか、なるほど。どーしたらそんな紆曲した思考に辿り着いたのかは後々聞くとして。

「女が寄って来ても素性も身元もハッキリしてないと抱かないよ。無闇に五条の遺伝子を撒くのはリスキーだから」
「え、あ、言われたら…確かにそうかも」

呟いた彼女は納得したように一度頷いた。そこは素直に納得するんだ。いつまでもここに停めては居られないし、僕はさて、と真っ直ぐ見つめて切り出す。

「僕は君が欲しい」

気持ちを"好き"と表すには幼く、やはり適切なのは"欲しい"だ。指先からすり抜けるなら何としても手中に収めたい。逸らされると思っていた視線は絡んだまま、静かに瞼が落ちる。気づけば外は薄暗い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうになっていた。

「…私は、」
「あ、そうだ。相違があっても簡単に諦めるつもり無いから」

彼女がこれ以上引かないように念を押す。気持ちが違うなら向かうように仕向ければいい。迷惑だろうが、クズと言われようが、欲しいものは欲しい。

「…相違はないです。ただ、どうすればいいのか。今まで受け流すことしか考えてなくて、…ええと、ちがう。…私は五条さんが好きなんです。好きという言葉ではまとまらないくらいに、……でも」

ポツポツと雨粒がガラスを叩くのと同時に彼女は言った。聞きたかった言葉を受け取っても心がどこかひやりとしているのは、彼女の、伏せがちな瞳と不安そうに結ばれた唇のせいなんだろう。