次郎太刀様たちが打刀たちを連れていってくれたお陰で、ここに残るのはあと一人だけになった。
ずっと俯いたままピクリとも動かない真っ黒いその刀は怪我こそそんなに無いものの、身体より心の方が重傷らしい。今にも消えてしまいそうなくらいに生気が感じられない。
「大将、こっちの準備は整ったぜ」
「ありがとうございます」
「あとは、加州か…」
手入れ部屋から手伝いに戻ってきてくれたんだろう、薬研は刀が減って広くなった広間を見渡し、一人ポツンと座っている彼を見てそう呟いた。
加州様というのか。彼だけ他の刀剣たちよりもかなり脆く見える。まだ名前を知らない刀剣たちも、私がさっきまでやりとりしていたのを見て動いてくれたのに、加州様だけは聞こえていなかったかのようにその場に残っている。
とりあえず、声をかけてみようかと彼の前に座った。
「…手入れ部屋、行きましょう?」
すると、無反応だった加州様は少しだけ顔を上げ、その表情に胸がツキリと痛んだ。
緋色の瞳が暗く淀んでいる。緋色なのに濃い藍色が連想されるくらい…敵意を持った瞳よりも酷く悲しい瞳だ。
「…可愛く…ないのに……?」
(可愛く?)
「大将…」
意味がわかり兼ねて薬研を振り向くと、こそっと耳打ちして教えてくれた。
彼、加州清光様は前任の初期刀だったんだそうだ。
元々貧しい環境で生まれたためか綺麗にしていないと可愛がってもらえないと思っているらしい。
前任は初めこそ可愛がっていたというのに、三日月や鶴丸といった滅多にお目にかかれない刀を手に入れた途端、彼のことは放置。挙げ句、構ってもらおうとすれば打たれ、出陣や遠征どころかこの部屋から出ることさえも禁じられたのだとか。
…そうか、だからここから動かないのか。それに今の話からすると、彼は一度も折られていないようだ。
構ってほしい人に相手にされず、折られることも無くこの広間に一人きり。どれだけ辛かったのかは計り知れない。
思わず視線を下げると、彼の爪が目に入った。
ボロボロで所々剥がれているけれど、赤い爪紅が塗られていたらしい。きっと、綺麗に着飾って振り向いてほしかったのだろう。それだけ彼は主を想っていたということだ。
「…薬研、少しここで待っていてもらえますか?」
「?ああ」
立ち上がり、急いで厨に行ってハンカチを濡らす。十分に絞ってから再び広間に戻ると、二人とも全く動いていなかった。
また加州清光様の前に座り今度はもう少し近づくと、顔は合わせないもののさっきより反応を示した。
「な…に……?」
「…失礼します」
彼の右手をとり、濡らしてきたハンカチで汚れを綺麗に拭き取っていく。泥も、斑になっていた爪紅も全部。瘡蓋になっているけれど引っ掻き傷も多く、白い手にそれはとても目立って痛々しい。
「痛くないですか?」
「……痛く…ない…」
「そうですか、良かったです。もう少しお待ちくださいね」
右手が綺麗になったところで、次は左手だ。同じように爪紅も汚れも拭っていく。
「綺麗…」
「!!」
本当に、傷さえ無ければ女の子が羨ましがるような綺麗な手をしている。思わず呟いたそれに、彼はビクッと肩を震わせた。
「っ、なんで…」
「?」
「今の…俺は…っ、…綺麗なんか…じゃ………」
どんどん小さくなっていく声音と共に、彼の瞳に涙が溜まっていく。今、彼が何を思っているのかはわからないけれど、私に出来るのは本心を彼に伝えることだけだ。
「確かに今の貴方は泥だらけで埃まみれで、一般的に言えば綺麗ではないです」
「っ!」
「たっ、大将…!」
「でも、この手は前任に愛されようと沢山努力した美しい手だと思います」
「…!」
前任は酷い人だと聞いていますが、少し彼女が羨ましくなりました。
こんなに愛されていたというのに、気づかないどころか放置するだなんて。やっぱり酷い人なのでしょうけれど。
少し霊力を与えながら優しく拭っていけば、元通りの綺麗な手に戻った。男の人の大きな手。
「汚れていても怪我していても、努力家で綺麗な手だということは変わりありません」
「…………」
「一生懸命な手。私は好きです、貴方の手」
「…っ!」
そう言った途端、彼はボロボロと涙を溢して抱きついてきた。突然のことで後ろに倒れそうになったけれど、ぽすりと何かが背中に当たる感覚がして、見上げれば薬研が支えてくれていた。
「まったく…心臓に悪い発言はよしてくれよ大将」
「?」
「″綺麗ではない″って。結果的に加州は立ち直ったがアレは無いだろう」
聞く方の身にもなってくれと溜め息を吐く薬研。
ああ、そういえばアレって地雷だったか。ついうっかり。
まぁ薬研の言う通り、適切な言葉は掛けられたようだから良いだろう。ぽんぽんさすさすと加州清光様の背を撫でながらそう思った。