「シロが昨夜から目覚めないんだそうよ」
瑠璃にいつになく真剣な表情と声音で言われて頭の中が真っ暗になった。何を言われたのか理解するのに時間が掛かり、皆さんの私を呼ぶ声でやっと反応できた。
「寝てる…だけ?」
「うん。軽く揺すってみても声を掛けても全然起きないの。審神者たちと同じ。あ、クロみたいに悪夢に魘されてるって感じじゃないからそこは大丈夫だと思う」
「…そう。わかった、ありがとう」
いつも通り冷静に言ったつもりだった。でも自分で思ってる以上に動揺しているようで、出てきた声は少しだけ震えていた。
「じゃあね」
「ちょ、待ってよ来ないの?」
「ん。シロのことお願い」
「えっ、ちょっとクロ!?」
瑠璃との通話を強制的に終了させ、そういえば立ち上がろうとしていたのだったと自分の膝立ちの体勢に気づく。膝が痛いです。まぁ身体中痛いのであまり関係ないですが。
「刻燿を見てきます。薬研もついてきてください」
「あ、ああ」
身体の悲鳴を聞かなかったことにして、なるべく自然にいつも通りにと自身を叱責して立つ。突然の私の異変と瑠璃からの連絡で茫然としていた皆さんも、私が動いたことで我に返ったらしく慌てたように声をかけてきた。
「あ、主!お身体は…っ」
「大丈夫です。いきなりで驚いただけなので、気にする程ではありませんよ」
「シ、シロのことはどうすんの?行くんでしょ?」
「っ、そうだよ!今お見舞い行かないでどうするの!?」
「…行きません」
「はあ!?あんた自分で何言ってるかわかってんのか!?」
「か、兼さん落ち着いて!」
お見舞いには行かない。私の出した答えに動揺が広がり、掴み掛かってこようとする和泉守を堀川が抑える。
普段からシロのことばかり気にしているからだろう、その決断は誰も予想していなかったらしい。
「妹が起きねぇんだぞ!なのになんで…!」
「今月のお見舞いはもう済ませました」
「だから行かないって?妹君の一大事なんだから行ったって良いだろう」
「"例外は無い"。そういう契約ですから」
お見舞いは月に一度だけ。それをつい先日真黒さんが重春様からやっと二度までの許可を得てくれたのだ。ここで私がそれを破るわけにはいかない。
もしここで私が動けばシロは病院から追い出されてしまう。鈴城からの援助も無くなり、あんな人たちでも審神者貴族だから他の病院にまで手を回され、シロは手術を受ける環境すらも失ってしまう。有り得ないことでも平気でするのが人間だ。それだけは何としてでも避けなければ。
「行ったら…危険が増えるだけなので」
「!あんた…」
「刻燿の様子を見たらご飯にしましょう。乱、今剣」
「!は、はいっ」
「刻燿と大倶利伽羅の分を部屋まで持っていってあげてください。無理して広間まで連れてこさせるわけにもいきませんから」
「わ、わかりました」
「皆さんもまだお夕飯の準備の途中だったのでしょう?私は大丈夫ですから戻ってください」
「大将…」
「行きましょう、薬研」
そうして私と薬研は静かすぎる廊下を渡って刻燿を見に行った。大倶利伽羅に聞けば私の気配に安心して眠ったばかりだということで、とりあえずは異状が無いことを確認して部屋を出た。
暫くは大倶利伽羅に見ていて頂きましょう。刻燿も懐いているようですし、彼らの膝枕には癒されました。
食欲は湧かなかったけれどお夕飯も済ませて、ではそろそろ休もうかというところでまた皆さんに呼び止められてしまった。
「考え直した方が良いですって。妹さんのことなんだから行くべきですよ!」
「兄弟の言う通りだと思う」
「お気遣いありがとうございます。でももう決めたので」
「だぁあああッ!!もうなんでこんな時までそう頑固なんだよあんたは!!」
「揺れて隙が生まれればそこを突かれて負けてしまいます」
「誰にだよ!?」
「色んな人にです」
光忠が淹れてくれたお茶を飲み、その温かさからか先程から全身がふわふわした感覚がする。秋の肌寒さも増してきましたし、心地良い温もりに酔ってしまったのでしょうか。不思議な感じです。
さてそれよりどうやってこの場を収めようか。納得いかないという者が大半を占めているようで、誰を見ても笑っていない。
「主よ、そこまで頑なに拒む理由は契約の為だけか?」
普段はのんびりと微笑している三日月でさえも、今回ばかりはその美しい瞳を細めて見詰めてきた。訳を聞かせろと語っている。
「契約の為というのは語弊があります。シロと自分の為です」
「鈴城に見舞いに行きたいと申し出ることもせずに諦める。それは主が負けず嫌いである故か?」
「…そうですね。それもあるのかもしれません」
「"も"?」
「これ以上は嫌だから…。特に鈴城には…絶対…」
「…主?」
頼りたくない。只でさえお金関係で頼りたくなくても頼らなければいけないのに、それ以外にもなんて嫌だ。
もしこれがシロの命に関わるものであれば土下座でも何でもしていただろうけど、まだ大丈夫。シロだってまだこれくらいのことで私が行動を起こすことを望みはしない。双子だからかその辺はよくわかっている。
「…大将、ちっと良いか」
「?はい」
ぐっと拳を握って決意を固めていると、薬研が席を立って私の隣へとやってきた。彼は眼鏡を外して両手を私の頬に添え、目を瞑ってゆっくりと顔を近づけてくる。
彼の端正な顔立ちが間近に迫り、やがて額と額がくっつくと薬研はそのまま静止した。
皆さんのざわめく声が大きくなった。乱の「キャー!」という悲鳴のようなものや、長谷部の「あああ主になななにを!」という舌が回りすぎて言葉になっていないものが、大きな声なのにどこか遠くに感じる。
しかし薬研が動かないことに疑問を抱いたのだろう周囲の声も収まり、そうして暫く待っていると額を離した薬研は眉間に皺を寄せて眼鏡をかけ直した。
「…熱がある。気づいてねぇのか大将」
「ねつ…?」
「えっ!?」
「!?大丈夫ですか主!」
「大丈夫だと思いますけど…」
「んなわけあるか、結構熱いぜ。目も若干潤んでるしいつもより顔も赤い。頭とかボーッとしねぇか?」
「ほわほわするなぁとは…」
「ちょっと自覚あるなら言って!お粥作ってあげたのに!」
「いえ、自覚はありませんけど」
熱で寝込んだことなど一度も無いし、熱がある時の感覚も体温も測ったことが無いから自分の平熱しか知らない。
そもそも熱なんてそんな頻繁に変わるものではないと思っていたし、私の身体だし今日はこの調子が普通なのだと毎日何となくで過ごしてきた。だからこの頭の芯が重たいけどなんだか浮いているような不思議な感覚も、今日の普通の調子だと勝手に思っていたのだけど。
「とにかく大将は部屋で寝とくこと。後で薬持ってく」
「すみません…」
「謝らねぇでくれ。日頃の疲れもあんだろうし。乱と厚、先に大将の部屋に行って床を用意してやってくれ」
「わかったよ!」
「おう!」
指名された二人が出ていき、私も部屋に戻ろうと立ち上がる。皆さんから心配する声と視線を受けながら広間を出れば、秋の冷たい風が火照った肌を撫でていった。
ゆっくりと廊下を進みながら思う。この匂いは雨でも降りそうだ。空も曇っていて月が見えないし、虫たちの鳴き声も聞こえない。
とても静かで、身体は熱くて、痛くて…。
ああ、そういえば前にも似たようなことがあった。親戚の家で運良く二人がデートに出掛けてくれた日。一日自由だと思った矢先に身体が怠くなって動けなくなった。結局眠って過ごしてしまったのだけど、あれは熱が出ていたからだったのか。あの時も誰もいなくて静かで熱くて痛くて、一人でいられることにほっとしていた。
…でも、今は…
「ひとり…か…」
あの頃は一人になれることを切望していた。悪魔のような人間たちから一時的にでも離れられることに喜びを感じていたのに…。
「刀剣だからか…神様だからか…」
今は…一人になるのは…
「大将、まだこんなとこにいたのか?」
「…………」
ああ、一人じゃなかった。
「…大将?………っ!?大将ッ!!」
未だ嘗て聞いたことが無い薬研の慌てた声がする。でもそれに答えることは私の意識を覆った深い闇が許さなかった。