「…で、俺も柄にもなく大声で叫んじまったもんだから長谷部がすっ飛んできて…」
「成る程。その後のことは大体わかりました」
とんでもない迷惑をかけてしまった。薬研にも長谷部にも、皆さんにも。まさか倒れてしまうとは思わなかった。
痛みは過去と同じもの。シロのことについては自分でもう決めたし、熱だってこれまで自覚していなかっただけで出たことくらいはあった筈だ。それを指摘されただけで気が緩んだとでもいうのか。
「…ほんと、情けない」
「…っ」
自嘲するようにポツリと漏らしたそれを薬研が聞き逃す筈がなかった。
手繰り寄せるように腕が引かれ、頭と背中に回された腕によってぎゅうっと強く抱き締められる。以前のような包み込んでくれる優しいものではなく、乱暴に…まるで子供が頑として玩具を手放さないような、痛いまでの抱擁だった。
「…痛いか」
「…………」
「痛いんだろう?わざと強くしてんだから痛い筈だ。なあ、言ってくれよ。さっきみたいに"痛い"って」
「それは…」
「大将は自分を情けないと言うが、俺は大将を情けない人間だと思ったことは一度として無い。シロのことを想って、俺たち全員を束ねて頑張って生きてる大将を誰が情けないなんて思うか」
抱き締める力が強くなった。薬研の肩に額をつけるようにしているから彼の表情はわからない。でもその低い声音は腕の強さとは違い、何故だか酷く悲しく聞こえた。
「悪いとは思ったが、俺と乱と次郎太刀は大将を着替えさせんのに身体の痣を見た」
「!…そう、ですか」
言われてみれば、倒れる前はお風呂にすら入っていないし外出用の服を着ていた。でも今はいつもの寝巻きの浴衣になっている。身体も拭いてくれたのか気持ち悪さすら無い。
乱と次郎を選んだのは刀剣男士と言えど女性寄りだからだろうか。全員男ですからその辺考えるのは大変でしたよね。
彼らには感謝しているが、こんなにも醜い身体を見させてしまうなんて…
「気持ち悪いって、言ってくれて良いんですよ」
殴られたものが大半だけれどそればかりじゃない。受け入れたくもなかった胸や首にある無数の痕は、誰が見たって目を背けたくなるものだと思う。
「言わねぇし思ってもねぇよ。大将のそれは、大将がこれまで懸命に生きてきた証だろうが」
「!あかし…」
「大将にとっては忘れ去りたい忌まわしいものかもしれない。だがな、大将。今の大将はその過去があったからここにいる」
「…………」
「過去が無ければ大将が審神者になることは無かった。俺と大将が出会うことも無かった。大将と出陣したことも大将の近侍になれたことも。全部大将が過去で痛みに耐え抜いて生きてきてくれたからだ。そんな大将の生きた証を讃えることはあろうと貶すわけがねぇ」
「…っ」
どうしてだろう。さっきからずっと心臓が速い。瑠璃様の通信の時とは違う早鐘は心臓だけでなく全身にまで響き渡り、下手すれば薬研にまで聞こえてしまうのではというくらい大きくなる。
同時に視界がぼやけてきて、瞬きができない。一度でも瞬いてしまえば壁が壊れる。ずっと押さえ込んできたそれが全部溢れ出てしまう。
薬研から離れなければ。頭ではそう思うのに、彼の温もりを知った私の身体は言うことを聞き入れてはくれない。
大将とまた呼ばれ、きつく抱き締めていた腕が少しだけ緩められた。逃げるなら今だ。しかし無意識に顔を上げれば歪んだ視界にも鮮明に彼の藤色が映り、その美しさに捕らわれたように逸らせなくなった。
そっと頬を撫でる手はいつかの桜の木の下で撫でてくれた時よりも温かくて優しい。それだけのことでも溢れ出しそうになるそれを必死に押さえ込もうとするけれど、もう限界がきていることを私自身もわかっている。
…崩れる。
「大将、大丈夫か?」
優しい声。いつものように労ってくれるその言葉に、もう強がりは言えなかった。
「…っ、……………だ……」
「…………」
「…大丈夫…じゃ……ない…で…す……」
「……そうか。身体は?痛いか?」
「……いたい。痛い…です…。痛い…、身体中が……とても…痛い…」
「…………」
「痛い…。痛くて…熱くて、苦しくて…。…ずっと…辛くて、…怖くて…、さびし…く……て……」
ついに閉じてしまった瞼。目尻からポロポロと溢れていくそれは止まることを知らないのかじわじわと浴衣を濡らしていく。
前に泣いた時もそうだったけれど、止めたくても止まらない。押さえ込んできた想いも全て。熱に侵されているせいもあるのだろう。もう抑えられない。
「…我慢してたんです。殴られるのは痛かったけれど、シロを守らなきゃって…ずっと我慢していました。我慢して父さんがいつか元に戻ってくれるならと。母さんが亡くなって、大事な人がいなくなる苦しさを知って…、痛くてももう失いたくなくて…。でも…」
「…………」
「父さんまで死んでしまって、親戚でも同じでした。助けを乞えばそれ以上の見返りを求められる。私がそれを拒めば矛先はシロに向かう。たった一人の妹を守れるならと…、もう「助けて」と言うのはやめました」
「大将は"頼らない"んでも"頼れない"んでもなかったんだな。…頼ることが"怖い"んだな」
「っ、」
その通りだ。怖くて怖くて堪らない。私が誰かに頼ればシロはどうなる?一人であの真っ白な箱の中で過ごしているあの子は?
でも結局こっちの事情に巻き込んで…私は一体何をしてるのだろう。いつもいつも私の行動の皺寄せが行くのはシロのところだ。大事な妹なのに…守れない。不甲斐ない。
いつまでも泣き顔を晒したくなくて両手で覆おうとするも、手首を掴まれて遮られてしまった。
「大将」
そのまま引かれて再び距離が縮まり、彼の胸に顔を埋める形になる。私より大きい男の人の掌で頭を撫でられ、先程とは違って優しすぎるくらいの抱擁に涙は更に溢れ出た。
「そうか。大将はそれを全部一人で抱え込んできたんだな」
「……っ、」
「大丈夫だ、大将。ここには俺も皆もいる。俺たちは大将の刀だ。大将を想ってるやつらばかりだからな。嫌って言っても離れねぇ連中しかいねぇんだ。ここにいりゃ一人になることはもう無い。そんなにでっかい荷を一人で背負う必要も無い。俺たちと全部分けっこだ。な?」
「…、はい」
「良い返事だ。大将」
グッと腕に力が込められて身体が密着した。
トクトクと聞こえる私の心臓は、本当に彼にまで伝わってしまうのではないかというくらいに速い。何故こんなにも速くなるのかなんて考える余裕など私には残されていなかった。
耳元で囁くように紡がれたそれに、私がこれまでに築いてきた壁が音を立てて完全に崩壊してしまったから。
「一人でよく頑張ったな、夜雨」
「!…、ぁ…」
偉い偉いと誉められて、とうとう私の涙腺まで壊れてしまったらしい。一体どこに溜まっていたのかというくらいに零れ落ちる涙が彼の白衣を濡らす。
名を呼ばれて誉められたのなんて両親が生きていた時以来だろう。それにこれは私にとって当たり前だったことで、誰かに誉めてもらうものではない。なのに、どうしてだろう彼の言葉はストンと私の中に収まって、私は生きてきて良かったのだと安心した。
子供のように声を上げることはしないけれど、でも今だけはどうしても目の前の彼にすがりつきたくて堪らなくなった。恐る恐る彼の背に回した腕は自分でもわかるくらいに震えていて、私は頼ることにこんなにも臆病になっていたんだと実感した。
誰かに頼れば見返りを求められる。今までの経験からそれを痛い程に味わってきたからだろう。彼らなら大丈夫だと頭で理解していても行動と一致するものではない。頼りたくても怖かった。見放されやしないか、代わりに何を求められるのかを考えると恐ろしくて…。
でもそんな考えは再び囁かれた言葉で払拭された。
「大丈夫だ、夜雨。俺がずっと夜雨の傍にいる。それが俺の幸せなんだ。だからいつでも頼ってくれよな?夜雨」
「……はい…っ」
一番安心できる人が傍にいてくれて、名前もこんなに呼んでくれて、これ以上の幸せがあるのだろうか。
彼の肩越しから見えた外はまだ雨だったけれど、千切れた雲間から射す月明かりによって雫がキラキラと輝いていて、とても幻想的な風景を生み出している。
いつの間にか手の震えは止まっていた。でも離れたくないという気持ちが勝り、止まらない涙を理由に暫く彼の温もりに甘えて身を委ねていた。
「…眠っちまったか。でもスッキリしたみてぇだな」
…ゆっくりおやすみ
…良い夢見ろよ、夜雨