「大将ッ!!」
薬研の焦った声に直ぐ様反応したのは長谷部だった。その後に続くようにしてアタシたちも広間から出れば、然程遠くない廊下で薬研がぐったりした主を抱き抱えていた。
「主!?薬研、主は…!」
「…気ぃ失ってるだけだが、こりゃ思った以上に参ってんな。さっきの今で熱も上がっちまってる」
「あ…るじ…っ」
「大丈夫…なんだよね?死なないよね?」
「大丈夫だ、死にゃしねぇよ。ちっとばかし無理して疲れちまっただけさ」
頬を紅潮させ、呼吸もやや荒い。アタシたちの前では寝顔さえ見せない主がここまで弱っちまうとは、アタシたちの心の臓にも悪い。
でも、そりゃそうだよねぇ。過去の痣が浮き出てきて、痛みまで蘇って、妹ちゃんも眠りから覚めなくなっちまって…。一気に心労がのし掛かってきたんだ、倒れちまうのも無理もないさ。
「お布団敷いてきたよ…って主さん!?」
「どうしたんだ!?」
さっき薬研に頼まれて床を用意しに行った乱くんと厚くんも、まさか主が倒れているとは思わなかったんだろう。慌てて駆け寄ってきた二人にもいち早く冷静さを取り戻した薬研が説明する。
「たった今倒れちまってな。とりあえず大将のことは俺が運ぶ。長谷部の旦那、悪いが明日の編成と出陣先と当番表の作成頼んで良いか?今日はまだやってねぇ筈だから」
「ああ、勿論だ」
「それから次郎太刀の旦那」
「なんだい?」
「大将の身体拭くの手伝ってくれ」
「ああお安いごよ………は?」
快く返事をしている途中で気づいた。
身体を…拭く?
主の身体を?
拭く…!?
慌てて反論しようと口を開くが、こんなとこでも機動力を発揮したのは他でもない長谷部だった。
「な、何を言っているんだ!!」
「当然だろう。今日は演練で汗かいたのに大将まだ風呂にも入ってねぇし。このままじゃ風邪までひいちまう」
「だからと言って…!主は女子なのだぞ!!」
「そうだ、だから次郎太刀の旦那に頼んでんだ。俺たちは刀剣男士で男しかいねぇんだから、いくらか女寄りの次郎太刀の旦那に頼るしかねぇだろ」
「そうは言ってもだな…!」
「わかった、任せときな」
「!次郎太刀…」
中身は完璧"男"のつもりだけどね。でも見た目はそこらの女より綺麗な自信あるし、主だって女の子なんだから"ガッツリ男"って感じの奴らに任せるよりは良いだろう。長谷部とか。
「はぁ…、まったく」
「心配しなくても疚しいことなんかしないさ」
「ならボクも手伝う!ボクだって見た目は女の子より可愛い自信あるもん!」
「いや、乱は…」
「次郎さん一人で支えながら身体を拭いてたら主さんが起きちゃうかもしれないじゃん」
「…わかった。じゃあ湯と手拭いを持ってきてくれ」
「うん!」
パタパタと廊下を駆けていく乱くんを見送って、薬研は主の背と膝裏を支えて立ち上がった。
アタシからすれば小さな身形でもしっかり支えられるんだから薬研は男らしい。まぁ主が薬研より小さいし細身だからってのもあるんだろうけどね。
主の身体に響かないように、でも迅速に運ぶその姿は短刀にしておくのが勿体ないくらいだ。
「さて、アタシも行くかねぇ。ほら、あんたらもこんな寒いとこに突っ立ってたら主が起きた時に心配するよ?広間で待ってなって」
残った連中にそう声をかけてアタシも薬研の後を追った。ああでも言わないと皆動かないだろうからね。
主の部屋に行って布団に主を寝かせると、ちょうど良いところで乱くんがお湯と手拭いを持ってきた。
「…じゃ、始めるか」
「うん。…ごめんね、主さん」
この謝罪は身体にあるだろう痣を勝手に見てしまうことへの罪悪感だ。腕のものは以前に見せてもらったが、それがこの服の下に無いわけがない。腕だけでも勇気を出して見せてくれたってのに…、すまないねぇ主。
薬研が主の首の帯を解き、服のボタンを外して前をはだけさせる。
「…………」
「っ、こ…んなに…?」
「…思ってた以上だね」
華奢だとは思っていたけど、食が細いのもあって主の身体は年頃の女子にしては細すぎる。そんな肋の浮き出た身体をびっしりと埋め尽くすのは、腕と同じように青や黒に近い色の痣。赤く腫れ上がったものも少なくない。痛いと言っていたのはこれだろう。
いつまでも見ていたって仕方ないし主が風邪ひいちまうだけだと自分を叱責し、手拭いを濡らして拭いていく。そんなアタシを見てか乱くんも唇を噛んで拭き始めた。薬研は拭き終わった肌に丁寧に塗り薬を塗っていく。
起こさないようにと心掛けてはいるけど、こんなに触っても起きないんだから薬研の言ったように相当参ってんだね。
汚れじゃないから当然痣が落ちることは無い。アタシたちじゃ消せない。主はアタシたちを綺麗に手入れしてくれたってのに、アタシたちからは返せないんだ…。
「次は背中だな。旦那、大将の身体起こして支えてやってくれ」
「わかった」
主の首裏に手を入れてゆっくりと抱き起こす。寝てる人間は力が抜けて重くなるというのに、主からはそれさえも感じない。
なるべく苦しくないように自分に凭れさせると、薬研が主の服をそっと脱がした。背中も乱くんが拭いていくけど、その表情は今にも泣きそうだ。
わかってはいた。背中にもところ狭しと痣があり、二の腕には刃物で切ったような痕まである。上半身だけでもこんなに…。これだけのものをこの子はずっとひた隠しに我慢してきたんだと思うとやりきれない気持ちになる。
過去を聞いた時にもっと気にかけてあげればと後悔の念に襲われた。乱くんも同じ気持ちなんだろう。
身体を拭き終えて浴衣に着替えさせても、最後まで主が目を覚ますことはなかった。
「ありがとな。次郎太刀の旦那。乱」
「礼を言われることじゃないさ。主のことは頼んだよ」
「ああ」
薬研は看病のために主の部屋に残り、アタシと乱くんは広間へと戻った。
一緒に歩いていても乱くんから言葉が出てくることは無かった。アタシも気休めの言葉すら出てこなかった。それだけ衝撃的すぎたんだ。
「おかえり、乱。次郎太刀殿も」
広間ではまだ皆風呂にも入らずに待っていた。
それぞれが鎮痛な面持ちの中で声をかけてきた一期くんは、恐らく乱くんの表情から察したんだろう。優しい顔で、優しい声をかけられて、とうとう乱くんの大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「ぃち…にぃ…っ」
「おかえり。よく頑張ったね、乱」
皺が寄るほどぎゅっと服を握り締めて立ち尽くす乱くんを一期くんが抱き締める。それを受けてボロボロと泣き出した乱くんは我慢してきたんだろう感情を全て吐き出した。
「なん…で…っどうしてあんなに…っ、あんな…ひどい…酷すぎるよッ!!」
「…………」
「あんな痣っ女の子がつけて良いものじゃないのに!主さんだって痛い筈なのにッ!どうしてボクたち気づいてあげられなかったんだろう…っ」
「乱…」
「ボクたちが気づいてあげなきゃ…ダメなのに…。このままじゃ主さんが壊れちゃうよ…っ」
嗚咽を漏らして泣き止まない乱くんに周りは何も言えなかった。気づけなかったのは皆同じだ。どこかで主は大丈夫だと安心してしまっていた。あの強い瞳の主しか見てこなかったから。
でもそうじゃない。主だって人の子で、ずっと一人で戦ってきた子なんだ。誰よりも我慢して、誰よりも妥協を許さずに。
甘えを見せない子が強い子であるかと聞かれればそれは否だ。甘えないということは甘えられる対象じゃないからか、或いは甘えられない理由があるか。
誰にも甘えず押さえ込まれた負の感情は積もりに積もって、やがてその者の心を殺してしまう。現に主の表情は殆ど表れていないんだ。もういい加減吐き出させないとあの子は…。
「なんだ、まだ皆起きてたのか」
「薬研!!」
水を取り替えに来たらしい薬研が現れ、乱は一期くんを突っぱねて薬研へと詰め寄る。…ちょっとだけ一期くんが可哀想だった。
「薬研、もう主さんは限界だよ!身体も心も壊れちゃう!」
「落ち着け、乱」
「あんな痣だらけでボロボロな身体見て落ち着けるわけないじゃん!!」
「落ち着け!!」
怒鳴るような声に乱くんはビクッと身体を震わせた。
薬研がこんな怒声を上げるところなんて見たことが無い。一期くんもまさか薬研が怒鳴るとは思わなかったんだろう、ぽっかり口を開けて固まった。
「限界なのは俺だってわかってる。我慢してるモン吐かせねぇといけねぇことも。近侍失格だな、倒れちまうまで我慢させて」
「薬研、お前は立派な近侍だよ。主が一番頼りにしているのは薬研だ」
「いいや。一番近くにいながらあんだけ心労溜め込ませちまったんだ、立派なんて言えねぇさ。
…だが、俺だってもうこれ以上は我慢ならねぇ」
「薬研?」
最後のは近くにいたアタシと乱くん、一期くんにしか聞こえなかっただろう。一層低く小さな声で、決意の籠ったその言葉は主へと向けられていた。
「俺は今晩は大将の看病につく。見舞いに来るなら明日の昼過ぎからにしてくれ」
そう言い残して薬研は広間を後にした。去り際の薬研の藤色は、まるで勝ちに行く主のそれと同じ光を宿していた。