俺の意識が一時的にでも浮上したのは主が解雇処分された時だった。

俺の中に宿っていた主の霊力が揺れ動いて、その根源がどんどん遠くなる感覚がしたから。
とうとう主はこの本丸から居なくなっちゃったんだなぁなんて、まるで他人事のように思うようになった。

主の霊力はすごく強くて本丸の結界が壊れることもなければ俺たちがただの刀に戻ることもない。
いつの間にか他の連中も広間に集まってきてたみたいだけど、俺の目には映らなかった。

…否、映さなかったと言うのが正しいのかも。
だってもうこの本丸に審神者を迎え入れるなんて誰も望んじゃいなかったし、皆揃って政府も審神者も追い返していたから。後はそれぞれの中にある主の…元主の霊力が無くなるのを待つだけ。そう思っていたから会話する気にもなれなかったんだ。



──霊力なんか早く無くなってしまえ……

──もう眠りたいんだ……

──可愛くしても見てくれないなら……

──放っておかれるなら呼ばないで……

──……………でも……

──こうして人の身を得られたんだから……

──どうせなら誰かに……

──刀として……大事に……

──扱ってほしかったなぁ……















「…手入れ部屋、行きましょう?」


──…だれ?



座り込んで俯いていた視界に誰かの足が映った。
誰だろう?粟田口の女子みたいな短刀?…否、服も声も喋り方も違う。

…誰でも良いか。それより気になったのは″手入れ″という言葉。元主でさえ手入れなんてしてくれたのは最初の頃だけだったのに、誰が手入れをするの?
そもそも、俺はもう……



「…可愛く…ないのに……?」



何年もこの広間で座ってただけで、俺自身が可愛さも美しさも保とうとしてなかったのに。こんな俺を誰が手入れするっていうの?

少しすると、その誰かは別の誰かと話して立ち去っていった。


──ああ…やっぱり俺はもう……

──誰にも使われないんだ……



「加州」



今度は誰だ?
……ああ、粟田口の兄貴っぽい短刀か。見た目は子供みたいなくせして妙にしっかりした薬研藤四郎。じゃあさっきの誰かと話していたのはこいつか。

顔を合わせる気も返事をする気も起きなかった為、沈黙で返すと薬研は気を悪くするわけでもなく言葉を続けた。



「あの人…、大将の言葉にはちゃんと耳傾けといた方が良いぜ」



…何言ってんだ?こいつ。
そう思って今の薬研の言葉を頭で反芻し、はたと気付いた。


──″大将″?あの人が…薬研の新しい主?


あの人はここの新しい審神者だったらしい。
薬研があの人を主として認めた?粟田口の中でも頭の良いこいつが?元主に何度も折られたというのに、また審神者に従えると決めたの?

混乱している内にまた視界にさっきの人の足が映った。今度はさっきよりも近くに。


──何をするの?

──どうして近寄るの?


怖くなって恐る恐る顔を上げると、その人は無表情に俺の手を見つめていた。



「な…に……?」


「…失礼します」



鈴の音のような透き通った静かな声でそう断りを入れたその人は、濡らした小さな手拭いで俺の右手を拭き始めた。
泥や埃、剥がれかけの爪紅も全部、優しく丁寧に拭われていく。暖かい霊力が流れ込んできて、あの引っ掻き傷までどんどん治っていく。



「痛くないですか?」


「……痛く…ない…」


「そうですか、良かったです。もう少しお待ちくださいね」



左側に回って左手も同じように汚れも傷も治していくその人。どうして俺にこんなことするのか、不思議で堪らない。



「綺麗…」


「!!」



──い…ま……綺麗って……言った?

──こんなに…汚れた俺を?



「っ、なんで…」


「?」


「今の…俺は…っ、…綺麗なんか…じゃ………」



俯きながら、自分で言っていて悲しくなる。今の俺は綺麗なんかじゃない。与えられた人の身も、刀本体も…もう何年も手入れしてないんだから。
主の為にと頑張ってたあの頃みたいに美しさを誇れる程、俺は自分に自信が持てなくなっていた。



「確かに今の貴方は泥だらけで埃まみれで、一般的に言えば綺麗ではないです」


「っ!」



──綺麗じゃない……

──当たり前か……

──こんなにボロボロじゃあ…愛されっこないよな……

──いざ他人から言われるとやっぱり傷つく……



「でも、この手は前任に愛されようと沢山努力した美しい手だと思います」


「…!」



──努力した…美しい…手……?


そんなこと言われたのは初めてで、驚いてまた顔を上げるけどやっぱりその人は無表情のままだった。
でも、美しく強い光の宿った瞳に見つめられ、告げられる言葉は真っ直ぐに俺の頭に入ってくる。



「汚れていても怪我していても、努力家で綺麗な手だということは変わりありません」


「…………」


「一生懸命な手。私は好きです、貴方の手」


「…っ!」



塞き止めていた涙が溢れ出し、思わず彼女に抱き着くとよろめきながらも受け止めてくれた。背中を擦られると同時に流れてくる霊力が、俺の中にその想いまで運んでくる。


(痛かったですね)

(辛かったですね)

(もう大丈夫です)

(こんな生活は終わりにしましょう)

(私は貴方を捨てません)

(一生大事にすると誓いましょう)





新しい主

俺の主

こんなにも汚れた俺を綺麗だと言ってくれた

俺の目に彩りを取り戻してくれた

強くて美しい人…


 

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