今から何年前かな…。父さんが死んだってクロが報告しに来た時だから、九年くらい前のことだ。
「…死……ん…だ…?父さんが…?」
「うん…」
頷かないでほしかった。嘘だって言ってほしかった。だって私、数年間父さんに会ってなかったんだから。
母さんが死んでからずっと父さんは病院に来なくなって、クロだけがお見舞いに来てくれた。病院には母さんの名残があって悲しくなるからって…。父さんが頑張って悲しみを乗り越えたら来てくれるからってクロから聞かされてたのに…。
「……っ、……き…っ」
「?」
「嘘つき!!」
思いっきり強く枕を投げつけた。クロに当たったそれは受け止められたけど、その後も私は手当たり次第にぬいぐるみも絵本も投げまくった。
「シロ、落ち着いて」
「落ち着け!?どうしてクロはそんなに冷静でいられるの!?父さんまで死んじゃったんだよ!?」
「それは…」
「どうして!?どうして父さん連れてきてくれなかったの!?独り占めしてたの!?私だって父さんに会いたい!父さんに会わせてよ!!」
「…っ」
泣きもしないで黙ってるクロが腹立たしかった。
ずっと父さんと一緒にいたくせに、私よりずっとずっと家族として過ごせてた筈なのになんで?どうして今まで説得できなかったの?引っ張ってきてくれなかったの?私が病気だからなの?
病気が憎い。
脆弱な自分の身体が憎い。
父さんと過ごしてたクロが憎い。
何もかもが憎くて堪らなかった。
「クロの馬鹿!クロなんか嫌い!!」
「っ!」
「もう帰ってよ!!」
投げつけた絵本がクロの顔に当たった。でも彼女はやり返すことはしない。反論もしない。達観して全部受け止めてる片割れに、だんだんと自分が惨めになってきた。
こんなにも人のせいにしか出来ない自分が嫌い。自分じゃ何もできなくて、そのくせ誰かにしてもらうことに文句を言って。傷つけることしかできない自分が嫌でしょうがない。
「もう来ないでよ、クロ」
わかってるんだよ、ちゃんと。クロは優しいからいつも私を元気付けようとしてくれる。父さんとの二人暮らしだって家事をこなしてるのはクロなんだって、あかぎれで荒れ放題の手を見ればわかる。
父さんがいなくなった今、クロを縛り付けてるのは片割れの私だけ。
だから、解放してあげるよ。
「私だけ除け者にして父さんと楽しく過ごしてたんでしょ?私が邪魔でしょうがなかったんじゃない?わざわざ病院来なきゃいけなくてさ」
「!違う。そんなこと思ったこと無い」
「どうだか。いつまでも良くならないしお金は掛かるし、私なんて煩わしいことこの上ないじゃん。もうさ、自分でも本当に嫌なんだよこの身体」
「っ!」
「安心してよ。どうせ私だってそんなに長くないからさ。もうすぐ解放してあげられるから待ってて」
「待たない!」
「!!」
ぎゅうっと、それこそ息が苦しくなるくらいに抱き締められた。クロからそんなことされるのは滅多に無くて、目を見開くってこんな感じなんだって思うくらいに驚いた。
「お前から解放されるなんて絶対嫌だ」
「何言って」
「そもそも私は一度だってシロを煩わしく思ったことは無い。ここに来るのは私の意思だよ。来なきゃいけないから来るんじゃない。私がシロの所に来たいから来てるだけ。もしシロに迷惑だと言われても絶対やめない」
「!何それ、我儘にも程がある」
「それはそうだ。我儘なお前の片割れなんだから我儘に決まってるでしょう?」
言い返せない。私の我儘は自覚あるもん。
でも何とかしてクロに距離を取ってもらわないと。私はクロのお荷物でしかないんだから、少しでも軽くしてあげなきゃ。
そう思って引き剥がそうと彼女の肩に手を置いた時、襟の隙間から見えてしまったそれに再び固まった。
首元からその更に奥まで…、影と言うには明らかに黒すぎる肌の色。この距離で頬もよく見てみれば厚く化粧してる部分があって、何か色の濃いものを隠している。
色の濃い…肌…。
そこまで考えて思い至ったそれに慌ててクロの袖を捲った。
「!シ…」
「なに…これ…」
腕をびっしりと埋め尽くす痣。治りかけの黄色っぽいものや、相当強く打ったのか黒くてガサガサしてるところもある。もう一方の腕も同じだし、ということはさっき見た首のも全部痣?
転んだくらいじゃこんなに沢山の痣ができるわけが無い。それも身体中に?じゃあ…まさか…?
私の考えてることがわかったのだろう、クロは観念したように浅く溜め息を吐くと全て語ってくれた。母さんが死んでから父さんがどんどん壊れていったことも、日々クロを見てはその面影を追って慰みものとして扱われたことも。
「私でこれなんだもん。連れてきたらシロまで同じことされるかもって思ったら…、元に戻ってくれるまで会わせない方が良いって思って」
「そ…ん………父さ…が…?」
「シロ?」
私の中には優しかった父さんしかいない。優しい笑顔で、優しく撫でてくれて。楽しい絵本も可愛いぬいぐるみも買ってくれた優しい父さんしか。
その父さんが虐待してたの?
嘘だって…冗談だって言ってほしいのに、クロの痣が目の前で真実を告げている。
頭が痛い。胸が苦しい。目の前が真っ暗で…
「ッ!?シロ!!シロしっかり…!」
あれ?クロの顔がぼやけてる。
……ああ、発作か。
こんなに血相変えてるクロも久々だな。
「猫塚さん!どうしました!?」
「シロが…!妹が発作を…!」
先生来るの早い。クロがナースコール押してくれたのか。
息が吸いにくい。苦しい。
さっきはあんなにクロを解放するって突き放すようなこと言ったのに、今は死ぬのが怖い。このまま病魔に魂を抜かれてしまうのかと思うと恐ろしい。だってまだ、さっきのこと謝ってないもん。
酷いこと言った。クロはずっと私のことを守ってくれてたのに、八つ当たりして、私は何も知らないで距離を置こうとした。少し考えればわかることなのにね。
「…ごめ……ね…………ごめん……っ」
何も知らなくてごめんなさい。
知ろうともしなくてごめんなさい。
知らないくせに勝手に幸せだと思い込んでてごめんなさい。
クロもずっと辛かった筈なのに…
「っ、喋らないで。大丈夫だよ、わかってる。全部わかってるから。だから…っ」
「クロちゃん、シロちゃんは大丈夫だから一度出ましょう」
看護婦さんに言われて離れる直前のクロの言葉に、苦しさとは違う涙が溢れた。
「だから…っ置いてかないで…!」