──大将へ
天正10年5月29日。
俺は京に向かう信長さんの背を見送る。





「…………」



薬研が修行に出て三日目。届いたばかりの手紙に目を通す。
彼が降り立った時代では、数日後…、六月二日に本能寺の変で織田信長が自害する。
そして薬研藤四郎も…。





──今の俺も、信長さんが持ち歩いているこの当時の俺も、運命を変えることはできない。





結末を知りながら動けないのは、人の身を得ても同じことだ。"織田信長が本能寺の変で自害する"という運命を変えてはいけないのだから。わかっているから薬研も黙って見送ったのだろう。





──もしこのとき俺に逸話のような不思議な力があれば、信長さんは自害して果てることはなかったのだろうかね。





「……どうでしょうね」



力があったところで使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。守りたいものを守れない苦しみは私にも痛いほどわかるけれど、力の有無なんて関係無い。どうやって守るか、どう行動するかによって結果は変わる。力なんてその行動の補助でしかないし、使い道によっては無駄なもの。

結局必要なのは本人の心の強さ。それだけだ。





──今の俺は持ち歩かれるだけの守り刀じゃない。
こうして自分で動けるなら、やりようはいくらでもあるよな。





「…………」


「こんなところにいたんですか」


「宗三…」



サクッと芝を踏む音がして顔を上げると、今日の近侍、宗三がゆったりとした足取りで歩いてきた。

華奢な上に肌が白いせいでしょうか、病気で倒れるんじゃないかという心配が過る。
……本人元気そうなんで大丈夫でしょうけど。



「まったく、外に出るなら一言言ってください。探し回ったじゃないですか」


「すみません。最後の手紙はここで読みたいと思ったものですから」



私のお気に入りの場所。本丸の中心に聳え立つ、桜の木の下で。



「はぁ……、まぁ良いですけどね。仕事があるわけじゃありませんし。
隣、失礼しますよ」



眩しい太陽に目を細め、宗三は桜の木陰に座る私の隣に腰を下ろした。
彼も薬研が気になるのだろう、視線は私の手元へと注がれている。



「長谷部から聞きましたよ。昨日は織田信長と逸話についての手紙が来たのでしょう?」


「はい。今日の手紙にはお見送りしたことが書かれていました」


「見送り……」



何の……とは言わなくてもわかるだろう。宗三は薬研とは昔馴染みで、その当時の記憶があるのだから。



「……それで、貴女は何を思うのです?」


「"何を"とは?」


「あの男と共に"薬研藤四郎"は焼けて失われます。人の世では、焼失せず誰かに持ち出された可能性もあるなんて曖昧なことも囁かれているようですが、実際に薬研藤四郎の本体は見つかっていません」


「……そうですね」


「それを知った上で……、最愛の男の焼失を助ける術も身に付けた上で、貴女は何を望むのですか? 貴女の求める強さとは何です?」



綺麗なオッドアイが見透かすように真っ直ぐに向けられる。

審神者の私になら過去を守ることも、変えることもできる。つまり、薬研の本体を業火から守ることだってできるのだ。
考えたことが無かったわけではない。大好きな薬研のことだもの。彼の成り立ちは毎晩のように考えた。そして、私の中で導き出される答えはいつも一つだけ。



「私が望むのは、薬研が本丸に無事に帰還すること。求める強さは前から変わりません。"大事なものを守り通す強さ"。それだけです」


「過去の彼を守れる術もあるのに、それはしないのですね。何故です?」


「そんなことしたら、薬研は薬研じゃなくなります」



私の大好きな薬研ではなくなってしまう。



「刀剣男士は刀の付喪神様。刀剣という本体があってこそ存在する神様です。しかし、薬研藤四郎という刀は焼失していて、本体はどこにも無い。ならば、私たちと生活しているあの"薬研"は何者なのか」



分霊だとしてもその源である存在がいる筈だ。その"薬研藤四郎"とはいったい誰なのか。



「疑問に思ったことは何度もあります。薬研藤四郎とは誰なのかと」


「辿り着いたのですか? その答えに」


「これが正解かはわかりませんがね」



再び手紙に目を通す。"逸話"という二文字に指を這わせると悪戯するように風が吹き、手紙の端をヒラヒラと靡かせた。



「薬研に限ったことではありません。付喪神様とは、その物に寄せられた"思い"によって形作られた神様。勿論、"思い"の形はそれぞれ違います。貴方たち一人一人に個性があり、分霊でも審神者によって若干性格が異なるのもそのためです」



主である審神者の"思い入れ"。顕現後の生活の仕方でも変わるのだろうが、大体は審神者の心が強く影響する。



「主人の腹を切らなかったという"逸話"。薬研を薬研たらしめているものはそれです」


「逸話……」


「薬研の手紙で、織田信長のことも聞きました。ほどほどに信仰を利用し、否定もする、普通の人間。薬研の逸話のことも信じて持ち歩いていた」


「…………」


「しかし、薬研の逸話は主人の命を守ることは叶わなかった」



昨日、長谷部が言っていた。意思があったところで何もできないのだと。
守りたくても守れなかった。本来、物とはそういうものだ。



「"薬研藤四郎という刀の逸話"。人間たちの信仰……"思い"の具象化。それが"薬研"。言ってしまえば、空想や想像による産物ですね」


「随分な言い方してますけど、貴女の想い人のことですよ?」


「わかっていますよ」



酷いことを言っているのは百も承知だ。でも、それが事実。思いが集まって生まれた存在が付喪神様なのだから。例え本体が失われていようとも、人がその刀剣が存在していたことを……、逸話を信じるのであれば、その"思い"さえあれば薬研藤四郎は存在する。



「過去の薬研藤四郎を焼失から守ったところで"私の薬研藤四郎"は守られません。寧ろ失われます。本体が無く、逸話として存在する彼が"私の薬研藤四郎"です」


「…………」


「そしていつか、彼は逸話をも乗り越える。だって、私は"信じています"からね」


「! まったく……。頭が良いのは時に厄介ですね。
……貴女がそれで後悔しないというのであれば、僕から言うことは何もありません」


「ありがとうございます、宗三」


「お礼を言われることではありませんよ」



先に戻ると告げて腰を上げた宗三は、来た時と同様に風を感じながらゆるりと屋内に戻って行った。

彼が一人でわざわざ話しに来るなんて滅多に無いことだ。彼なりに心配してくれていたのだろう。想い人が”思いの塊”だと知って尚、愛することができるのか、と。



「愛せますよ」



だって、私は"薬研"が大好きなんですから。





──そろそろ帰る。
俺は、今の俺にしかできないことをやるだけだ。





最後の行を読み終え、その力強い決意に口角が上がる。
姿は見えずとも、その文面から強くなったのだと理解できた。
それならば……



「私も、貴方と共に強くなりたいから」



見せよう。私自身の全てを。










「お呼びでしょうか、クロ様」

「頼みがあるのだけど……」


 

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