三月十四日。
現世ではホワイトデーという催しが行われるらしい。

バレンタインデーは女から男へ日頃の感謝や愛を伝える日であり、ホワイトデーはそのお返しをするのだと……。
興奮気味の乱と加州から聞いたのは記憶に新しい。

と言うのも、二月十四日に大将たちが外出してから、察した二人に詰め寄られたからだ。



「薬研! 一ヶ月後は絶対に主さんにお返ししなきゃダメだからね!!」


「は? 返す?」


「三月十四日はホワイトデーって言って、バレンタインデーのお礼をする日なの」


「今日、もし主さんが薬研に特別なチョコレートくれたなら、ちゃんとお返し物用意すること!!」


「…………」



その後、バレンタインデーさえもよくわかっていなかった俺は他の男士たちから情報を集め、どんな行事なのかを知った。

年に一度の恋の行事。今では昔ほど恋愛に煩い催しではないらしいが……。あの二人があれだけ目を輝かせてくるんだ。大将は俺に何か特別なものをくれるのだろうと、ほんの少し期待していた。

そうしたら、まさかチョコレートに加えて俺の願いまできいてくれるとは。
彼女らしい贈り物を嬉しく思い、意地悪くも接吻を求めれば、狼狽えながらも唇を寄せてきた。

困り顔で真っ赤に染まる彼女がこの上なく愛しい。ホワイトデーは何を返そうかと、柄にもなく俺自身が楽しみに思った。



今日はホワイトデー当日。贈り物は用意した。

離れで熱心に書物を読み漁る大将を眺めていると、邪魔になるだろうかと一瞬の躊躇いが生まれる。

だが、もたもたしていれば他の男士に先を越されるだろう。特に真っ白な驚き提供じじい。奴にだけは先を越されたくはない。



「大将、ちっと良いか」


「薬研? はい、何でしょう?」



意を決して大将に声をかけると、彼女は本から視線を上げ、不思議そうに俺を見つめた。

いつもの俺なら、この時間は薬の調合で部屋に引き籠っていることが多い。彼女もそれをわかっているから、俺と共に仕事をする時間を決めてくれている。
だが、今日はまだその時間にはなっていない。

用意された座布団に腰を下ろした俺は、小さな小包を彼女に差し出した。



「…………?」


「今日、何の日だか覚えてるか?」


「今日?」



口元に手を当て、思い出そうとしている彼女に苦笑する。本当に催し物に疎い子だ。

暫しの沈黙の後、文机の上にあるカレンダーに目を向けると、さすがにわかったらしい。



「…………ああ、ホワイトデー……」


「そうだ。やっぱり忘れてたな」


「気にする行事ではなかったので。見返りを求めてバレンタインデーで贈り物をしたわけではありませんし」


「はは、あんたらしい。でも次からは気にするようにしてくれや。ほら、これは俺からのお礼だ」


「! わざわざ用意してくれてたんですか。ありがとうございます。開けても良いですか?」


「おう」



両手でそっと手にとった彼女は、優しく丁寧に包装を解いていく。

彼女の掌ほどの木箱を開けると、その中身に彼女は目を見開いた。



「薬研、これ……」



見つめてくる彼女に微笑みかけ、それに手を伸ばす。中身を指で少量掬い、彼女の唇にそっと塗った。

ぴくりと反応を示したが、彼女は嫌がる素振りも見せず、されるがままになる。それを良いことに、夢中になって柔らかな唇を彩っていく。



「……ん。やっぱり似合うな、その色」


「……驚いた。まさか薬研が紅をくれるなんて……」



心底驚いたらしい。敬語をなくした彼女は、木箱に戻した紅を眺めて呟く。

そりゃそうだろう。俺だって、女人の化粧道具のことなんか、これっぽっちも興味無かったんだから。

……だが、他でもないあんたにだからこれを贈りたいと思ったんだ。



「気に入ってくれるか?」


「もう気に入った」



手鏡で自分の唇を確かめ、ほんのりと笑う彼女にほっと安堵する。

普段からこういった化粧をしない彼女のことだ。気に入らない可能性も高いと思ったのだが、予想と違って良かった。



「ありがとう。大事に使わせてもらうね」


「おう。じゃ、俺は部屋に戻る。邪魔して悪かったな」



まだ長居したいとこだが、執務の邪魔はしたくない。それに、俺も今日の分の調合が終わってないからな。

名残惜しいが、立ち上がって部屋から一歩出る。



「……ああ、そうだ。来年は簪だからな」


「え……?」


「あと、再来年は着物」


「え? は?」


「もう贈る物は決まってるから、楽しみにしててくれや。じゃあな、夜雨」



ひらひらと手を振って、今度こそ部屋を出た。

渡り廊下でそっと離れを振り返ると、遠目からでも彼女の頬が紅く染まっているのが見える。俺の言葉の意味がわかったらしい。



「……ククッ、してやったり」



上がる口角を隠すことなく、指に残る紅をそっと己の唇に当てた。










(……っ、負けた。ほんと、薬研には敵わない……。来年もバレンタインデー頑張ろう)

(来年のホワイトデーが待ち遠しいな、夜雨)



















【意味】
紅:その唇を吸うてみたい。
簪:その髪を乱したい。
着物:その着物を脱がしたい。

全てを贈る:貴女の全てが欲しい。


 

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