納口上
さて如何で御座いましょう?
両親に愛され、弟たちにも愛され慕われた松野家長女なまえの物語。皆様にも垣間見えて御座いましょうか。
ええ?ええ、分かって御座います。物語はこれで終いでは御座いません。
もう一編、皆々様にはお付き合い願いましょう。
松野家長女なまえの最後の物語で御座います。
□
突き抜けるような青空だった。
空を見上げて、手のひらで日差しを遮る。うん、ビルに狭められた空いっぱいに広がるのは綺麗な青だけだ。
こんなに清清しい日だなんて、なんだか少し勿体ないような気もした。ちょっと曇ってるくらいがちょうどいいのかも。そんなことも考えたけれど、なにをするにも気持ちがいいほうが良いに決まってる。そう思い直して、私は玄関を出た。
一歩、また一歩と松野家の敷地を外に向かって歩く。時刻は電車の始発前。通りの人通りもまだまばらだ。
荷物なんかはない。元より纏めるほどの私物なんか作って来なかった。だから、惜しむ物もないし、心残りなんてものもない。私の心は人生で一番清清しいものだった。ちょっと浮かれて、軽いステップなんか踏んじゃって、私は松野家の敷地を出た。
振り返り、古い木造住宅を仰ぐ。ここで、私は育った。九人なんていう大家族の中で、それなりに充実した時間を過ごせてきたと思う。両親にも、六人の弟たちにも沢山お世話になった。
今私が笑顔でいられるのは、家族みんなのおかげだ。涙なんかは全然出ない。ただ今私の心を占めるのは、有り余る充足感と幸福感。弟たちが産まれてきてから今日までの二十余年。私の目標が決まって、人生の意味を見つけられた。必死に駆け抜けてきた二十余年だった。感慨深くもある。
駅への道をゆっくり歩く。まだ始発まで少し時間がある。使い慣れた駅に向かうだけなのに、一歩一歩踏み出すたびに、高揚感に胸が高鳴った。まるで、なにもかもが真新しくきらめいて見えた子供の頃に戻ったみたいだ。こんな気持ちは本当に久しぶりで、思わず笑顔になってしまうほど嬉しく感じている。
わくわく、どきどきしながら歩いていたら、あっという間に駅に着いてしまった。ほんの少し残念で、来た道を振り返ってしまう。見返してみれば、なんてことはない見慣れた景色が広がっているだけ。毎日毎日、通った道。もう通ることがないのかと思うと、姉弟で学校帰りにここで買い食いをしながら帰ったなぁとか、仕事が遅くなった日はいつも誰かが迎えに来ていて一緒に帰ったなぁとか、ぽろぽろと思い出が溢れてくる。変哲もない道だけれど、それでも、私にとっては思い出の道だった。駅へと向きを戻して、私は軽やかに一歩を踏み出した。
改札口には、待ち合わせした人物が既に立っていた。紫色のスーツですらっと立つその人とも、なんだかんだで長い付き合いだ。笑顔で手を振ると、少し溜め息混じりに手を振り返される。
「遅くなりましたか?」
「いんや、時間通りザンス」
「それはよかったです」
「まったく、なんザンスか?こんな早朝に人を呼び出して。くだらない用事だったら怒るザンスよ」
「ふふ、私にとってはくだらなくないんですけど」
なんだかんだ、イヤミさんは良い人だ。善人ではないけれど、知り合いのことを無碍に見捨てられないところがある。まぁそれも時と場合によりけりみたいだけど。それでも、今日は私のことを見捨てなかった。こんなに早い時間なのに、私の呼び出しにも答えてくれる、今日のイヤミさんは優しい人だ。
二人で改札を抜けて、ホームへと歩く。当然だけど電車はまだ来ていなくて、それでも始発に乗る人たちが乗り口前に列を作っていた。私はそれを無視して、先へ先へと歩く。改札口の階段から遠くなると、少しだけ人もまばらになる。
「どこまで行くザンスか」
「っと、ここでいいですかね」
「随分端まで来たザンスね」
「今日は私の新しい船出なので、あまり周りに人が居ないほうが清清しいかと」
ホームの屋根を避けて空を見上げると、広がるのはやっぱり綺麗な青空だ。さっぱりとした、今日はなんて良い日だろう。
「船出?なんザンスか?とうとうあの六つ子たちに飽きて、家を出るザンスか!?」
「あら、嬉しそうですね?」
「あったりまえザンス!!チミが家を出て、あんなにチミに依存してた六つ子がどうなるか…見物ザンスねぇ〜!くっくっく、大荒れザンスよぉ」
「あはは、でしょうねぇ」
「…でも、ミーはチミもあいつらに依存してると思ってたザンス。一大決心ザンスね?」
一大決心。まぁ確かにそうだけれど、でもこれが私の人生の目標だとも言える。一世一代の決心って意味ではそうだ。
「私、両親も弟たちも私のこと本当に必要としてるのか疑問があったりしたんです」
「シェ?」
「でも、最近その疑問が解消されたと言いますか。お父さんもお母さんもトド松も十四松も一松もチョロ松もカラ松も、おそ松も、私のこと大切に思って愛してくれてるってちゃんと分かった。前から知っていたのも含めてって意味ですけど、家族全員が私のこと愛してくれてるんです」
「だから家を出るザンスか?なんだか、矛盾してるように聞こえるザンス」
「目標達成ってやつですかね」
「…チミも随分性格が悪いザンスねぇ」
「ふふ、そうですね…」
「まぁチミの将来なんて知ったこっちゃないザンスが、あの六つ子どもを甘くみちゃ駄目ザンスよ。どんな手段を使っても追っかけてくるザンス」
「そこは考えてあるんです」
そう言って、私は真っ白い封筒をポケットから取り出した。それをイヤミさんに差し出す。これで、私の持ち物は本当になにもなくなった。
「なんザンスか?これは」
「今日イヤミさんを呼んだのは、証人になってもらうためなんです。私がいったあと、その手紙を私の家族に渡してください」
「はぁ、怨まれ役は御免ザンスが…。まぁ、最初で最後のお願いってことで、聞いてやるザンスよ」
「ありがとうございます」
やっぱり、今日のイヤミさんは優しい。昔は私たち家族を引っ掻き回す迷惑な奴だと思っていたけれど、年月というのは人を丸くするものだ。
「あ、手紙には書いてないんですが、チビ太くんとハタ坊くん、それからデカパンさんとダヨーンさんにも宜しくお伝えください」
「あーあー、この際まとめて聞いてやるザンス。まったく、金でももらわないと割りに合わないザンス…」
「ふふ、ごめんなさい」
笑みを崩せない私に、イヤミさんは一瞥をくれたあと、肩を落として溜め息をついた。
「今回は特別ザンス」
その言葉に笑顔を返すと、また溜め息をつかれてしまった。でも、彼なら私の願いをちゃんと叶えてくれるだろう。
そろそろ電車がホームに来るとアナウンスが掛かった。ホームの黄色い線までの短い距離を、私はゆっくりと歩いた。
「それにしても、荷物もなにもないザンスね。本当に一からの再出発ザンスか」
イヤミさんの声に振り返る。荷物なんてもの、私には最初からなかったのかもしれない。だから、あの家に置いてきた物が私の抜け殻かと聞かれたら、答えはノーだ。
「だって、私はずっと私だけでしたから。これで充分です。それに、一からじゃないんです」
ホームに電車が入ってくる。
さあ、私の船出だ。
「ゼロに戻るんです」
これまでの人生で、一番優しく笑っていたと思う。
背中から線路に飛び込んだ私は、ホームに入って来た電車に攫われて、簡単にバラバラになって吹き飛んだ。それでいい。できれば欠片一片すら残さず消えたかったけれど、それが叶わないならせめてバラバラになりたかった。体が残れば、あの男たちに辱められると想像出来たから、それだけは避けたかった。
世界がスローモーションに見える中で、走馬灯代わりに考える。思えば、私の人生は嘘まみれだった。嘘ばかりつきすぎて、人格が麻痺したのがいつだったかも憶えていない。
私を家政婦か老後の保険として見ていたお父さんお母さん。
私をペットのように飼い馴らそうとしていたトド松。
私を自分の世界に引きずり込もうとしていた十四松。
私を世界の全てだと勘違いし依存していた一松。
私を理想の具現化だと思い込み信仰していたチョロ松。
私を手に入れ愛し合っている気になっていたカラ松。
私を壊し手懐け憐れみ駄目にしようとしていたおそ松。
私を六つ子の姉としてしか見ていなかったみんなみんな。
ざまあみろ。
私は綺麗な青空の中をたった一人で、優雅に舞っている。
「………シェ?」
嗚呼、今日は人生最高の日だ。
□
手紙は、きちんと松野家に届けられて御座いました。
白地に赤の水玉模様、可愛らしい封筒がポストに投函されていたようで御座います。
内容を言及すべきで御座いましょうか。簡単に申しますと、家族への怨み辛みの言葉が便箋の端から端まで、それはもうずずずいーっと綴られて御座いました。
六つ子を産んだ両親への怨みに始まり、弟一人一人への怨みごと。要約致しますと、かの長女は、六つ子の弟が産まれたことで自らが蔑ろにされ、子供の時間を奪われたと感じていたように御座います。だから、なまえは幼心に計画したようで御座いました。自らに依存させたのちに、家族を捨てようと。ええ、幼少の頃から二十余年ずっとで御座います。その間には何度も、人間らしい心を取り戻し、自分自身の人生を歩む好機が様々御座いましたでしょう。しかしながら、そのひとつひとつを、果然として六つ子が奪ってしまったので御座いました。無論、彼らに自覚は御座いますまい。迚も斯くても、なまえの終着点は変わりようが御座いません。
その後の物語は、皆々様の御想像通り言及するも凄惨な物語に御座います。それは本日語るに憚られ、またの機会をお待ち願いましょう。
斯くも賑々しくご見物の皆々様方、ここまでの御静聴、篤く篤く御礼申し上あげ奉りまする。これにて本日の物語は終焉と相成りますれば、御目まだるき所は袖や袂で、幾重にもお隠しあって、よき所は拍手栄当栄当の御喝采、七重の膝を八重に折り、隅から隅までズズズイットウー、オン願い申し上あげ奉りまする。
松野家長女の復讐喜劇、これにて、跳ね上げに御座います。
拝啓、愛憎半ばに