行きの車内で、私たちはお互いのことをこれでもかというほど話し合った。それこそ、お見合いで聞くようなご趣味は、なんていう分かりきったものから、親友同士でも出来ないような赤裸々でディープな内容のものまで。チョロ松も私も、お互いに知らないことがこんなにあったのかと驚くことも多く、それは知らなくて良かったと思うことも、まぁそれなりに。でも、話せて良かった、聞けて良かったと思える有意義な時間を過ごせた。

「チョロ松ーっ!なにしてんの?乗り継ぎのバス出ちゃうよ!」
「ごめん、今行く!」

あとはこのバスに乗って温泉地に行くだけ、私たちは慌てて人の少ないバスに駆け込んだ。運転手さんは慣れた顔で、少し遅れた私たちをにこにこと迎えてくれた。都会の喧騒や冷ややかさから離れた田舎らしい良い雰囲気だ。

「なにしてたの?」
「ちょっと電話。急ぎの要件だったから、ごめん」
「私は大丈夫だけど、職場から?チョロ松は大丈夫なの?」
「僕は大丈夫、というか僕の申し出を向こうが聞いてくれて助かったよ」
「そうなんだ」

就職先との連絡だろうか。内定取消とかじゃないみたいで安心した。チョロ松は顔に出やすいから、そんなことになっていたらあからさまに分かるだろう。よかったよかった。
一人で納得して頷く私を、チョロ松はきょとんと見ていた。

バスに揺られて四十分ほど、温泉地に到着した私たちがバスを降りると、まず出迎えてくれたのは温泉地特有の空気とにおい、それから視界いっぱいに広がる白銀の世界だった。

「わあ、凄い。硫黄のにおいがする」
「なまえ、寒くない?大丈夫?」
「ほら!チョロ松あそこ!湯気が凄いもうもうしてる!!やばい、テンション上がってきた」
「お前も大概ぼくの話聞いてくれてないよね?」
「温泉旅行なんてほんと久しぶり!」
「それはまぁぼくも。修学旅行ぶり、かなぁ」

見上げたチョロ松も、楽しそうに頬を綻ばせていて、私は更に嬉しくなる。
はっきり言って、温泉地に娯楽というものは殆んど無い。でも都内より自然に溢れ、お土産屋さんや食事処が軒を連ねる通りなどは風情があってなんとも楽しそうである。
都内と違って、辺り一帯全てに雪化粧が施されているけれど、歩道や道路は整備されて歩き易く踏み固められているし、寒いは寒いけれど、雪で覆われているからか不思議と都内より暖かくも感じていた。

「チェックインまでまだ時間あるし、散歩しながら色々見て回ろうか」
「うん!そうしよ!お腹空いたし」
「うん、ぼくも。お土産も先に買っておこうか?」
「旅館にもお土産屋さんはあるだろうし、見て回って目星だけつけようかな。旅館のほうが値段が安かったら凹むし」
「なまえって、そういうとこ庶民だよね」
「え、私はかなり庶民だけど?あ、貧乏性って言いたいんだな?」
「ううん、価値観が一緒だと嬉しいなと思って」

チョロ松の笑顔に少し惚ける。嬉しいと素直に言って笑うなんて、可愛い奴だ。本人に言ったら嫌な顔をするだろうから言わないけど、たまに見せるチョロ松の可愛さが私は大好きだ。心なしかウキウキしてる姿も微笑ましく、つい笑みがこぼれてしまう。

「それで、なまえはなにか食べたいものある?テイクアウト出来そうなものも結構並んでるけど」
「食べ歩きもすっごく魅力的だけど、朝昼食べてないし、温かいものをしっかり食べたいかも」
「じゃあ、あそこの蕎麦屋は?丼ものも置いてるみたい」
「あ、いいね!そこで食べよ!」

なかなかに美味しいお店で舌鼓を打ち、お腹いっぱいで体も温まった私たちは軒を連ねるお土産屋さんを見て回ることにした。
日頃から六つ子の五人にはとてもお世話になってるし、なにかしっかりとしたお土産を渡したいところ。一松は温泉旅行を引き当てた本人だし、おそ松カラ松十四松には救われてばっかり。トド松は、最近少し冷たいけど、六つ子の中では一番よく遊んでいたし仲が良いと思っている。チョロ松と付き合うことで、私たちの関係は変わってしまったのかもしれない。…仕方ないことだ。どちらも大切なんて、都合の良い話でしかない。

「ね、みんなってなにが好きなの?食べ物のほうが喜んでくれる?あ、地酒とかあるかなぁ」
「みんなって、あいつらのこと?お土産いる?」
「いるだろ。なにその不満そうな顔。絶対買うからね」
「じゃあ温泉饅頭一箱あれば充分だよ。あとは奪い合って食べるから」
「なんで買う前から争奪戦込みなのかな?ちゃんと均等に当たるように買うし、なんなら一人一人に買うよ」
「…じゃあアレだ。さっき見たキャラクターのキーホルダー。アレでいいよ」
「目に入った瞬間に、気持ち悪いってチョロ松が切り捨ててたやつのことかな?チョロ松はもっと兄弟を愛すると良いと思うの」
「それってなんか見返りある?無いよね。あいつらは饅頭ひとつでも這い蹲って貪るから大丈夫」
「扱いがひどい」

これ以上なにを言っても平行線を辿ることは目に見えていたので、みんなへのお土産は自分一人で選ぶことに決めた。これで結局仲良し兄弟なのだから、男兄弟はよく分からない。あ、おじさんとおばさんにもしっかりとお土産を用意せねば。
頭の中でお土産を買う相手をリスト化していくと、会社も含めて結構な数になりそうだった。まとめて買って郵送してもらおうかな。
そこでふと、チョロ松を置いて歩いていたことに気がつく。振り向くと、チョロ松はキーホルダーやストラップなんかが並べられた売り場の前で立ち止まっていた。いやに真剣に眺めているし、なにか欲しいものでもあるのだろうか。

「なんか面白いものあったの?」

ひょこりと顔を出してチョロ松の視線を辿る。チョロ松は無言でひとつのストラップを指差した。
それは、二つがセットになったストラップで、それぞれの下でハートの半分が揺れている、お土産屋さんでよく見掛けるカップル用のストラップだった。こういうのが、欲しいのだろうか。正直、私はコレの良さが分からない。

「欲しいの?」
「いや、こういうのってよく見かけるじゃん?今まで全然なにが良いのか分かんなくてさ、彼女が出来たら欲しくなるもんなのかなって思ってたんだ」
「うん」
「でも、コレってハートの片割れをそれぞれが持つわけだよね?」
「そうだね。二つで完成するところが、恋人たちに人気なのかなって思うよ」
「え、でもさ、割れたハート持ってて悲しくなんない?」
「え、そんなこと言われても」
「二人でやっと一つのハートになるくらいの愛情なんて、ちょっと小さすぎじゃないかな」
「ふむ。チョロ松くんはどんなストラップなら良いんだい?」
「ペアで持つなら?」
「うん」
「うーん、ペアで…ストラップ…普通に、色違いの同じやつとか…が良い、かな…?」

チョロ松は興味無さそうに宙を見上げてそんな答えをくれる。どうやら、ペアのものにはあまり興味が無いようだ。なんだか、意外。

「チョロ松はペアのものが好きなのかなって思ってた」
「いや、ペアルックとかは…恥ずかしいかな。マグとかの食器類なら分かるけど」
「ペアルック恥ずかしいって、チョロ松はいつも六つ子ルックじゃん」
「うん、だから特別感も無いし、なんならずっと恥ずかしい」
「なるほど」
「それに、どうせ一緒に身につけるならなんかもっと…」
「もっと?」
「…こう、イメージとしては、手錠が近い」
「連行される犯人かな」
「四六時中一緒に居られるし」
「彼氏じゃなかったら今通報してると思う」
「彼氏だから許されますか。手錠買って来ても良い?嵌めてくれる?」
「あはは、真顔で冗談言うのオモシローイ」
「いや冗談じゃ「それ以上言ったら殴るよ」なんでもない」

ふと思う。
私もペアのものには今まで興味が無かったけれど、チョロ松となら、こういうのを持つのも良いのかもしれない。
こういう残る物って処分に困るし、あまり持ちたいものではなかったのだけど、処分、するとは思えないし。お爺ちゃんお婆ちゃんになったときに、こういうのが宝物箱なんかから出てきて、懐かしいねなんて笑い合えたら最高に幸せな気がする。
そんな、何十年後の未来、作ったこともない宝物箱、それらの妄想の中にチョロ松が居る。先のことなんて分からないけど、どんな未来だろうときっとチョロ松はそばに居てくれる。そんな気がするから、こういうのも思い出の欠片として良いのかもしれない。

「よし、じゃあ買おうかチョロ松くん」
「今お前の中だけで色々解決しただろ」
「良いじゃん、たまにはノリで旅行気分に浮かれて普段買わないもの買ったって」
「あとで後悔するタイプの買い物だな」
「後悔しないって」

目の前の棚から、二つでセットになったハート型のストラップを取る。それは、シンプルにただそれぞれハート型したシルバープレートの半分がくっついていて、そのハートの半分にワンポイントとなる小さな石が埋め込まれているだけのものだった。まぁこれくらいなら持ってても恥ずかしくなさそうだし、埋め込まれている石も透明のものと緑色、片方はチョロ松のパーソナルカラーだ。値段からしてただのガラス玉だろうけど、大人が持っていて不自然じゃないデザインなのは有難い。

「本当に買うの?」
「うん。チョロ松は嫌?」
「…嫌って、言うか…そりゃ、お揃いが嫌なわけじゃないんだけど…」

歯切れ悪くもごもごするチョロ松に首を傾げると、チョロ松は口の中でもごもごした部分を吐き出すような溜め息をひとつ。

「だって…さ、それ、見るたびにお前のこと思い出して、寂しくなりそうじゃん…」

視線を逸らして、ちょっと頬なんか染めちゃって、ほんとにもう、なんでこう可愛いことを言うかなぁ。

「…こら、笑うな」
「ふふ、ごめんごめん。でも、それが狙いだからそれで良いんだよ」
「えっ?」
「コレを見たら私のこと思い出すでしょ?そしたら、私に会いたくなるかなって。あ、スマホに着けられるなら着けてね」
「は、え、ちょっと、どういう意味」
「どういう意味って、言ったまんまだけど…。さっきチョロ松はさ、二つで一つのハートなんて小さくないかって言ってたけど、そうじゃないと思うんだよね。ハートの半分を見たら、どうしたってもう半分も思い浮かべるでしょ?」
「…うん」
「そうしたら、自然と私のことを思い出して、寂しくなって私に会いに来てくれるんじゃないかって思ったの。多分、ハートが半分なのはさ、そういう意味もあるんじゃないかな」
「…………」
「コレを見て、いつでも私を思い出して、いつでも会いに来て、いつだって好きでいてほしい。浮気なんか絶対許さないから…みたいな、ね」

少し恥ずかしくなって最後は冗談混じりに笑うと、チョロ松はピシリと動かなくなってしまった。不審に思って目の前で手を振ってみるも無反応。なに、どうしたんだコイツ。
不安半分で私が眉間に皺を寄せると、ぎょろり、チョロ松の大きくはない黒目が私を見下ろした。ホラー映画のワンシーンかと思うくらい怖かった。

「…なまえってさあ」
「アッ、ハイ」
「今までぼくがもし浮気しても、仕方ない、自分のせいだ、とか思ってただろ」
「エッ、…ど、どうだろ…」
「もとよりぼくが浮気出来るはずもないんだけど、ああ、理由は割愛するけどね。なまえってさ、なんかちょっと自己犠牲的だよね?相手が悪くても、自分が悪かったのかもとか思うタイプだろ」
「はぁ、まぁ、そうかも…?」

なんだろう、急になんの話が始まったんだろう。ていうかなんでチョロ松は怒ってるんだろう。

「そういうの、たまにイライラしてて」
「えっ」
「でも、さっきなまえが浮気なんか絶対許さないって言ったとき、なんか、分かった」
「え、え?なにが?むしろこれはなんの話?」
「ぼく、自分ばかりがお前を独り占めしようとしてるのが惨めに思えて、寂しかったんだ。ぼくはお前が浮気なんかしたら許さないどころじゃないけど」
「やだ怖い」
「お前から必要とされたいし信頼されたい、束縛されたいし独り占めしようとしてほしい。そういうのが、少し叶った気がした」
「よかったね…?」
「凄く嬉しかったよ、そういう意味ならぼくもそのストラップが欲しいって思った」
「あ、ここに繋がるのか。なるほど」
「ぼくの最終目標は共依存だから、なまえももっとぼくに執着してね」
「これが世に聞くヤンデレってやつなのかな…」

ここまでの間、チョロ松はぴくりとも体を動かさなかった。なんなら瞬きもしていたか不安になるくらいだ。口だけが動く人形のようでとても怖い。ほんと、全体的に怖い。

「えっと、じゃあ…お会計してくるね?」
「分かった」
「…チョロ松は一緒に来ないの?」
「ああ、今ぼくに触らないで。マジで振り切る寸前だから。どうなっても責任持てない」
「分かった、ごゆっくり!」

身の危険を感じてレジへと急ぐ。私は気づかない内にチョロ松の地雷を踏み抜いていたらしい。そしてそれを鎮めるために、直立不動で固まっているってわけか。こんなことが続くようなら、チョロ松の今後がとても心配だ…職場で上手くやっていけるのかな、あの人。

会計を終えてお店を出ると、チョロ松が店の軒先で待っていた。落ち着いたのかしら、と顔を覗き込むとなぜか頭に軽いチョップを頂くことに。

「ぼ、暴力反対!」
「ごめん、つい」
「“つい”でチョップしてくる人、無理なんだけど」
「ん?ごめん聞こえなかった。耳が詰まってるのかな…」
「お、ほんとに?ばーかあーほお前の兄弟クソニート」
「否定出来ない悪口はやめなさい」
「おそ松たちはいつ就職するのかな」
「…………」
「チョロ松、あなたの兄弟なんだからなにかしら弁護するようなこと言ってよ」
「あ、ほらなまえ、足湯だって。行ってみようよ」
「わあ、足湯初めてー!」
「なまえって今日ちょっとバカキャラぽいよね」
「チョロ松は今日全体的にキャラがおかしいよ」
「ははは、ご冗談を」
「いやかなりガチで」
「足湯ってぼくも初めてだなぁ」

道端にある足湯場からは湯気が立ち昇っていて、こんなに寒いのにその温度は保たれているようだった。こういうのはどこが管理しているのだろう。ちょっと手を入れてみたけどやっぱり温かい、ちょうど良い湯加減だ。
私は縁に屈んでお湯を見下ろし、チョロ松は隣で靴と靴下を脱いでいた。つい、視線が釘づけになる。

「え、なに、なんでそんな見られてるのぼく」
「いや、なんか、こういうの無防備だなぁって」
「?無防備ってどういうこと?」

上はしっかりコートを着込んでいるのに、厚地のパンツの裾を折って、そこから覗く細くて骨張った肌色が、なんだか、無防備で妙にえろてぃっく。うん、こういうのをきっとエロスというに違いない。

「なまえ…?」
「ごめん、今自分でも凄くアホなこと考えちゃってびっくりした」
「??いいけど、入らないの?結構気持ちいいよコレ」

自分もあの無防備さを晒すのかと思うと少し恥ずかしくなったが、そんなことを考えていること自体が恥ずかしくなって、ええいままよとブーツを脱いだ。私たち以外に誰も居ない足湯で、なにを恥ずかしがることがある。靴下を脱いでデニムの裾をくるくると折り上げ、ちゃぷんと温かな湯に素足を晒す。ふむ、脹脛から下が極楽だ。

「…はあ、きもちいー…、足湯だけでこの幸せ…凄いな温泉パワー…」

ほうっと一息。ふと隣を見ると、私の足元をガン見するチョロ松が見えてびくりとした。は、恥ずかしい。

「チョロ松、あの、あんまり、見られるの、嫌なんだけど…」
「えっ、アッ!!ご、ごめん…!」

またなにか文句か茶化した返答が返ってくるかと思ったら、予想に反してチョロ松は顔を紅潮させパッと向こうを向いてしまった。

「あいや、べつにそこまで嫌だったわけじゃないんだけど…、チョロ松?」
「い、いや、ごめん、その…ぼくもう駄目かも…」
「えっ!?」
「お前がさっき言ってた無防備っていうの、よく分かった…」

終いには両手で顔を覆って項垂れてしまったチョロ松に、どうしたらいいのかと慌ててしまう。駄目かもってなんだろう、体調悪くなった?なにが駄目なの?
とりあえず持ってきていたタオルで足を拭いて靴下とブーツを履く。チョロ松にも足湯から上がるように促した。

「時間早いけど、もう旅館行こう」
「…っえ、…エッ!?」
「あと一時間くらいだし、部屋にまだ入れなかったらロビーで待たせてもらっても良いし」
「あっ、いや、そりゃ、ぼくも、それは、嬉しいん、だ、けど…」
「うん、じゃあ行こう。荷物、自分のは自分で持つよ」
「えっ?いや、いいよこれくらい…」
「そう?無理してない?」
「してない…というか、なまえのほうこそ、いいの…?」
「チョロ松がつらそうなの見るほうが嫌だもん」
「……なまえ…」

頬を赤らめて涙目になるチョロ松に、熱が出てきたのかと心配になる。額に触れて、熱が無いことを確認してから頬を撫でる。チョロ松はどこか落ち着かない表情で視線を泳がせていた。

「大丈夫?チョロ松」
「だっ、大丈夫…だけど、」
「タクシー呼ぶから少し待ってね」
「え、旅館まで歩いて行けるよね…?」
「そうだけど、歩くのつらいかなって」
「そ、そこまでじゃないし!そんな心配しなくていいよ!」
「そう…?」
「うん!歩けるから!むしろ歩いたほうが少し落ち着けるし!」

そこまで意気込まれると、ノーとは言えない。今日のチョロ松が全体的におかしいのは、色々振り切ってるって言ってたけど、実は悩ませすぎて体調崩してるのかもしれない。六つ子たちが変なところで体が弱いというのは、なんとなく聞いていたし。うん、それなのかも。

「分かった、じゃあ歩いて行こうか。つらかったらいつでも言ってね?」
「…リードされてしまうのかと不安があったのは事実だけど…、それにしたってお前ちょっと男前すぎない…?」
「え?」
「いや、うん。ガンバリマス…」
「やっぱりタクシー呼ぶ?」
「ごめん、少し冷静になる時間がほしいから、歩いて行こう」
「?分かった」

旅館までの道程を、チョロ松と手を繋いでゆっくりと歩いた。道中何度もチョロ松の顔色を窺ったけれど、赤みは引いてきていて、なんだかちょっと凛々しい顔つきになっているようにも見えた。それでも、ぎゅっと握られた手を引かれて体が寄り添うと、支えが必要なのかなと心配になる。

終始、チョロ松のことを観察しながら辿り着いた旅館は、老舗然と言うよりもホテルに近い風貌だった。フロントにチェックインを早められるか聞いたら、快く承諾してくれて、私たちは程なくして部屋へと案内される。部屋は和室でそれなりの広さがあり、窓が広いせいか開放感があってなかなか素敵なお部屋だ。それを気に入るのと同時に、気になったことがひとつ。

「なんでもう布団敷いてあるの?」

こういうのは夕食時間の間とか、不在のときとかにやってくれてるイメージだったけど、最近はセルフだったりするところも増えてるって聞くし、ここもそういう類いのシステムなのかもしれない。

「その、布団は電話で頼んでおいたんだ…」
「え?あ、バスに乗る前の?」
「…うん、そう」

そうか、じゃああのときからチョロ松は体調悪かったのか。それなのに連れ回して悪いことしたなぁ。
荷物をまとめて置いて、コート類を箪笥に仕舞う。用意してある浴衣が視界に入ると、自然と温泉に入りたくなった。

「じゃあ、チョロ松はお布団で休んでて?私は先に温泉入ってくるよ」
「えっ、い、一応部屋にもお風呂ついてるみたいだけど…」
「え?でも、せっかく温泉旅館に来てるわけだし…」
「そ、れも、そうか…、えっとじゃあぼくも行くよ」
「え、大丈夫?少し休んでからのほうがよくない?」
「え、さすがに大丈夫だけど…」
「無理しないでね?」
「?うん、あ、で、どれくらいの時間で上がる?」
「うーん、私結構長いかも。一時間から一時間半くらい」
「一時間半!?」
「あ、だから先に休んでていいよ?」
「えっ?え、一時間半も待たされるの…?いや、それはさすがに、さすがに…」
「?夕飯は確か六時から八時って言ってたと思うから、それまでには絶対戻ってくるよ?あ、それともなにか用事あった?お土産見たいとか?それにしたって、やっぱり少し休んでからのほうが、」
「ん?」
「え?」
「…なまえ、ちょっと聞いていい?」
「うん」
「旅館に早く来ようとしたのって、なんで?」
「え、チョロ松が体調悪そうだったからだよ」
「はあ?」
「え?」

溜め息をついたチョロ松が、膝から崩れるように布団の上に座り込んだ。なんだろ、なんか話が噛み合ってない?

「…お前の、」
「うん?」
「お前のその時々発揮される女神フィルターなんなの!?」
「め、女神フィルター?!」
「あーもうそうか、なるほどね、なるほど…だからああいうね、男前な感じだったわけね」
「え?え?なんか、えっと、ごめんね…?」
「分かってないのに謝らなくていいよ」
「すみません…」
「いや、怒ってるわけじゃなくてさ…」

ぽんぽん、とチョロ松が自分の目の前を叩く。座れってことだとは思うんだけど、なんか説教されそうで気が進まない。

「なまえ、とりあえず此処来て」
「う、うん…」

仕方なく指定された場所に座ろうかと近づくと、突然腕を強く引かれてバランスを崩した私はそのまま布団の海にダイブする形で情けなく倒れてしまった。

「痛たた…っ」
「ねぇ、なまえ」

気づいたら、チョロ松が目の前。これって、もしかして組み敷かれてる…?

「あの、ちょろ…」
「此処に来た目的なんだか憶えてる?」
「え?目的?…チョロ松の就職祝い?」
「そう」
「……うん…?」
「くれるんでしょ?」
「…え、…あっ、」

そこで私はやっと理解した。

「あ、あの、そういうのは、その、夜とか…」
「無理、限界」
「あの、でも」
「もうなにも、聞いてあげない」

「もう駄目」そう言ってチョロ松はキスをした。私は、ああ駄目ってそういうことかなんて暢気に考えながら、この後の展開を想像して、不安と期待に肩が竦んでいた。


はいどう、はいどう
遂にその日が来てしまった。
(2017.07.14)


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